救いはある、というのがブランキの考え。
なぜなら、反復には分岐が伴うから。
今この牢獄で『天体による永遠』を書いている私はといえば、王政、帝政、共和制、私が生きたすべての政治体制下で危険人物と見なされ、犯罪者として投獄され、敗北に次ぐ敗北を重ねながら、あいかわらず同じことを繰り返している。何もかもが俗悪きわまる再版、無益な繰り返しなのだ。 けれども嘆く必要はない。なぜならば、この永続と反復にはつねに枝分かれが伴い、この地上で我々がなりえたであろうすべてのことは、どこか他の場所でそうなっているのであり、すでに別の時空では別の私が革命を成功させているにちがいないのだから。
私は常に獄中に回帰してくるのではない。
反復は分岐を伴う。すなわち、獄外への分岐を。何人もの、いや、無数の私が、たえず獄外へ脱出しつづけている。回帰とは希望なのだ。
そのような無数の分岐の先には、もちろん上海も含まれる。
https://fedibird.com/@mataji/112056902108675727
ルイ=オーギュスト・ブランキ(1805-1881)、フランスの社会主義者、革命家。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・オーギュスト・ブランキ
ブランキの著『天体による永遠』は、イギリス海峡に臨む岩礁の上に築かれたトーロー要塞の監獄で書かれた。
その中で彼が言うには、宇宙を作っている元素(原子)は100元素しかない。無限の宇宙を構成する材料が有限種しかないのだから、宇宙は無限に反復しなければならない。すべての天体も、天体上の生物も無生物も、すべての存在物はこの永続性を分かち持っている。
地球もそうした無限に反復する天体の一つであり、全人類も同様に反復する存在である。ブランキはそのように論を進め、現にトーロー要塞の土牢で『天体による永遠』を書きつづける自分に言及する。いま私が書いているのと同じことを、同じテーブルに向かい、同じペンを持ち、同じ服を着て、まったく同じ状況の中で、かつて私は書いたのであり、未来永劫書くであろう、と。
救いのない反復に見える。いつまでも冊子は書き上がらず、監獄からは出られず、革命は成らないのではないか。
何が言いたくて、彼はこんな書を遺したか。
江戸は隅田川沿いの私娼窟で、店の主人に納まっているのがじつは藤原純友の遺臣、そこで養われている三日月お仙が純友の遺児、そこへお仙をくれと言ってやってくる若い魚屋が頼光四天王の一人・渡辺綱であったり、
あるいはまた、江戸郊外の茶屋の主人が、じつは四天王の一人である卜部季武、その女房がじつは平将門の娘・七綾、そこへやってくるクズ鉄買いの伝七がじつは将門の長男・将軍太郎良門であったり、
江戸の市川團十郎を、じつは頼光四天王の一人・碓井貞光とする設定もあり。團十郎が貞光を演じているのではない、貞光が團十郎を演じているのだ、と。その團十郎に京から下ってきて弟子入りする女形が、じつは源頼光の弟・美女丸であったり。――
永劫回帰の観念が、ほぼ同じ時期にボードレール、ブランキ、ニーチェの世界に現れたことは、力説されるべきである――とベンヤミンは言ったが、彼らがイデアとして述べたことを、江戸の歌舞伎は見世物として客に供した。
ここで挙げたのはすべて、平将門、藤原純友の残党を江戸の現代に回帰させた鶴屋南北の例。先行例を並べて南北にいたる過程をたどることは、江戸芸能史の一面を語ることになるはず。
懐かしいな、上海。
植民地を持ったことのしあわせ。先方の不幸との引き替えだが。
上海の街角で(東海林太郎・佐野周二)
https://www.youtube.com/watch?v=UOzAtqwB8FM&t=69s
ブログ名を変更、「壁抜随筆」を「壁抜雑記」に。
ホームサイトの名称 zakki by mataji にあわせてみた。
https://johf.com/memo/index.html
上海の街路を短い葬列がやってくる。
道ばたの老人が話しかける。
老人 いつ?
―― 一八八一年一月一日。午前九時十三分でした。
老人 なるほど。倒れてから五日間、とにかく生きてはいたというわけだな。
―― 一度も意識は戻りませんでした。お医者さまの見立てでは脳溢血と……
老人 七十五年の生涯のうち四十年間を、牢獄に幽閉されて過した。最後の五日間は、とうとう自分の身体の中にとじ込められてしまった。パリ、イタリー大通り二十五番地。古い建物の六階の小部屋。ベッドで横になっていると、どこからか隙間風が吹き込んで来る。
―― よくご存知で……
老人 墓碑銘は?
―― 「ルイ=オーギュスト・ブランキ。一八〇五年から一八八一年。主人もなく、奴隷もなく」
老人 よし、行こう。行って、私にも墓に花をそなえさせてもらおう。
―― 故人とは親しいおつき合いで?
老人 そう、終生の友……
―― 失礼ですが、お名前を。
老人 私か? 私の名は、ルイ=オーギュスト・ブランキ。たったいま、上海に着いたところだ。
同じタイトルの佐藤信『ブランキ殺し上海の春』からだが、先の「上海版」に対しこちらは別版「ブランキ版」の冒頭。
昭和11年(1936年)2月26日、2.26革命が勃発。
武装正規軍の蜂起に呼応して、陸軍少佐大友宮アマヒト親王(大正天皇第5皇子)は弘前の連隊を率いて革命軍の一翼を担い、事態を宮廷革命へと変貌させる。革命に成功するとアマヒトは天武2世を名乗って即位し、昭和の幕を11年で閉じて「飛鳥」に改元。
一方、中国大陸とアジアの情勢打開に苦慮するコミンテルンは、大陸における日本の軍事力と民族資本の蓄積に着目し、亡命地「満州国」で保護されたヒロヒト天皇を精神的支柱とする「大東亜人民共和国」の構想を1940年の大会で決定。この構想を中核として多くの抗日・独立運動が再編成され、徹底した皇民化教育受けた年少者たちによる「皇衛兵」組織が各地で発足する。
かくて飛鳥10年(1945年)8月15日、天武2世の大日本帝国敗戦の日、ここは大東亜人民共和国の未来の首都に擬せられる上海。――
佐藤信『ブランキ殺し上海の春(上海版)』の時代設定だが、昭和は遠くなりにけり、年号が「飛鳥」に変わった当時を、誰がリアリティを持って思い起こせるか。だが、覚えはあるだろう、微かだとしても。
《すでに言ったように今日は春の三日目か四日目で、哀れで惨めな気分の春なのに、寒暖計のせいで私は南京虫みたいに気がおかしくなってゆく。読者は多分、私がずっとクリシー広場に腰をおろして、アペリティフを飲んでいたと思っている。じっさい私はクリシー広場に腰をおろしていたが、それは二、三年前の話だ。また、小さなトム・サムのバーにもいたが、それも長い昔のことで、以来ずっと蟹が私の急所をかじってる。すべてはパリの地下鉄(一等席)で、l’homme que j’etais, je ne le suis plus(私はもう以前の私ではない)というフレーズとともにはじまった。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』
ここでの花山天皇は、不在であることに価値といった存在だが――
https://fedibird.com/@mataji/112001247260049591
じつはファンの多い天皇らしい。
以下、いずれも Twitter の『光る君へ』関連投稿から。
《テレビをもってないので大河ドラマを見ていないのだが、おれが大好きだった花山天皇が大河ドラマのせいでメジャーになっているらしく、ひじょうに悔しい。おれだけの花山だったのに。》―― https://twitter.com/zinofrancescatt/status/1762266892444794895
《花山院、お父上の冷泉院と共に、一部の人に大人気ですな。あの親子は濃い……。》―― https://twitter.com/spy_in_the_cab/status/1764592940901700036
《それにしても花山天皇、輝きがすごい。白が似合うどころか、本郷奏多、発光してるやん。》―― https://twitter.com/kanaty1115/status/1764254391853617243
《花山天皇の出家、「古典B」に入れてない会社がないってけっこうすごくない? 大修館・三省堂・筑摩・明治書院・東京書籍・教育出版・数研出版・文英堂・桐原、全部入ってた。》―― https://twitter.com/sempreviola/status/1763948153336946825 [参照]
「実」の世界から「虚」の世界への招待という形で、寺山修司は出口を用意した。
観客を無理やり舞台に上げようとして問題になった『邪宗門』のヨーロッパ公演(1971年)がその代表例。
https://fedibird.com/@mataji/111677875601612878
劇団員でない者を当人の同意なしに舞台に立たせるというアイデアは、寺山が演劇活動を開始する前からのものだったという。
ラジオドラマを書きはじめたばかりのころ、寺山が番組制作者に述べたこと。
《街頭でパッと人間を拉致するんだ。全然不特定の人。それで目かくしして車に乗せて三十分か四十分か街を走りまわる。それからどこか劇場の舞台の真ん中におくんだ。ベルが鳴り、幕があがって、スポットライトが当たる。そして目かくしをはずすと、その人物は「助けてくれ〜!」と絶叫するだろう。
「こんないい芝居はないだろう?」》――田澤拓也『虚人 寺山修司伝』
『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』後半の「じつは」。
場所は江戸、隅田川岸。
切見世(下級の女郎屋)の亭主・鬼七、じつは藤原純友の遺臣・伊賀寿太郎。
鬼七の女房・お綱、じつは純友の侍女・苫屋。
切見世の女郎・三日月お仙、じつは苫屋が生んだ純友の遺児。
魚屋の海老雑魚の十、じつは頼光四天王の一人・渡辺綱。
切見世の路地番・喜之助、じつは渡辺綱の家臣・三崎の藤内。
貸し物屋の金六、じつは渡辺綱の草履取り・三田平。
獣屋(獣肉店)の権助、じつは渡辺綱の奴。
最後は、病の癒えた源頼光が鎮守府将軍として東国に赴任する途中、足柄山で坂田公時(おとぎ話の金太郎)を見出す舞踊劇。
猟師・斧右衛門、じつは源氏方の老臣・三田仕。
猟師・鉄蔵、じつは市原野の盗賊・鬼同丸。
馬子の胴六、じつは皇位簒奪を目指す勢力の一員・夜叉太郎国秀。
賤女・紅梅、同じく白梅、じつは源氏方からひそかに遣わされた頼光警護の娘たち。
中国地方の神楽団による神楽「葛城山(土蜘蛛)」
https://www.youtube.com/watch?v=dM1y6IwjQ6Q
はじめに源頼光が出て踊る。謡曲「土蜘蛛」の設定に従って、頼光は病んでいる。
頼光が引っ込むと、頼光四天王の碓井貞光、卜部季武が出て踊る。この顔ぶれは、渡辺綱、坂田公時に代わることもある。
貞光、季武が引っ込むと、女形の土蜘蛛が登場。これが女形になっているのは、頼光のための薬をもらいに出かけた侍女を、土蜘蛛が食い殺して入れ替わったから。
薬と称するものを土蜘蛛が頼光に与えると、いっそう病状が悪くなるが、頼光は刀を抜いて戦い土蜘蛛を追い払う。碓井貞光、卜部季武がふたたび登場。頼光は自分の振るった刀を「蜘蛛切丸」と名付け、貞光に授ける。
頼光、貞光、末武が退場すると、代わって土蜘蛛が登場。場が頼光邸から葛城山に移ったというこころ。
長い戦いののち、貞光、末武が土蜘蛛を倒して、完。
44分の長尺ビデオだが楽しい。演者も演技も衣裳もいい。
謡曲「土蜘蛛」の前半。
病に伏している源頼光を見知らぬ僧形の者が訪れる。じつは蜘蛛の妖怪である。
僧 「いかに頼光、御心地は何と御座候ぞ
頼光「不思議やな、誰とも知らぬ僧形の深更に及んで我を訪ふ。その名はいかにおぼつかな
僧 「おろかの仰せ候や。悩み給ふもわがせこが来べき宵なりささがにの
頼光「蜘蛛の振る舞いかねてより、知らぬといふになほ近づく。姿は蜘蛛の如くなるが
僧 「かくるや千筋の糸筋に
僧の出現を怪しむ頼光に、僧が「愚かなことをいうものだ。そなたが病に苦しんでいるのは蜘蛛のせい――」と言いかけると、頼光は「そんなものは知らぬ」と返すのだが、僧は正体をあらわしてさらに近づき、蜘蛛の糸を投げかけて頼光を絞め殺そうとする。
ここにある「わがせこが来べき宵なり」以下のフレーズは、『古今集』にある衣通姫(そとおりひめ)の恋歌「わがせこが来べきよひなりさゝがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも」の転用。今夜はきっとあの人が来てくれる、蜘蛛のようすでそれがわかるの――というほどの意。
権威の不在ということは、頼光四天王の主人である源頼光についても言える。
武家の棟梁であり、朝廷の守護である頼光が病で伏せている。
そこでこの『戻橋背御摂』では、弟の頼信が兄のポジションを代行し、皇位の簒奪をはかる黒髭公に取り入るため、家の宝剣(じつは偽物)を贈ろうとしたり、恋人の鶴の前をめぐって髭黒と争ったりする。
頼光が病んでいるのは南北の独創ではなく、病の因を葛城山の土蜘蛛とする謡曲「土蜘蛛」の設定を利用したもの。
同じ設定は歌舞伎や読み物で広く使われたようで、頼光の枕元に僧形で現れた蜘蛛の妖怪がかける台詞「わが背子が来べき宵なり、ささがにの――」が、『戻橋背御摂』では田舎娘お岩(じつは平将門の娘七綾姫)の台詞に取り入れられている。
南北の師・初世桜田治助の舞踊劇「蜘蛛の拍子舞」も謡曲「土蜘蛛」に拠っており、「わが背子が――」のフレーズで歌がはじまる。
「今夜、花山の古御所で会合して計略をめぐらしたい」
との密書が袴垂保輔から平貞盛に送られてくる。これが序幕の「諸羽社の場」でのことで、『戻橋背御摂』のストーリーの一筋が「花山の古御所」に向かうだろうことが当初から示唆されている。
計略をめぐらす場所を古御所としたのは作者の恣意。ストーリー展開のうえでの必然といったものはない。何の計略をめぐらすかも不明。
南北にとって、花山の古御所とは何か。
権威の不在を象徴するイメージ、それがこの古御所だろう。帝が御所を捨てて行方知れず。残されて荒れ果てた御所。そのアナーキーが南北好みなのではないか。
事実としての歴史をたどれば皇位の空白は埋められるが、南北はそれをしない。アナーキーなまま放置して、その上に『戻橋背御摂』を組み立てている。
代わって空位を襲うのが、髭黒の左大将道包という悪役。『戻橋背御摂』前半の時と所はあちこちしているかのようだが、よく見れば髭黒公の皇位僭称に至る一日二日のこと。
その後、宝剣・蜘蛛切丸は転々とする。
本物の蜘蛛切丸が盗み出され、源家の武士・加藤忠正が取り返す。やがて忠正は宝剣を所持したまま袴垂保輔を追って、「花山の古御所」に走り込む。
花山の古御所とは、愛妃を失くした花山天皇が悲嘆のあまり出家してしまい、主をなくした御所跡。いまは荒れ果て妖怪の棲家となっている。ここに、経櫃に潜んだ袴垂が手下の手で運び込まれている。
忠正は手下を切り倒すが、ふいに出現した蜘蛛の妖力により、自分の腹に自分の刀を突っ込んでしまう。蜘蛛は忠正の刀を奪って、忠正の首を撃ち落とす。
経櫃が四方に割れて袴垂が出てくる。
ついで将軍太郎良門が床下から現れる。
蜘蛛の精は灰色の十二単に姿を変えている。じつは将門の娘・七綾姫である。
七綾と良門は母の異なる姉弟だが、この時点ではたがいの面識はない。
暗闇のなか、三人による手探りの立ち回り。
床に落ちている袋入りの蜘蛛切丸を良門が拾い上げ、袴垂との奪い合いになって、鞘は袴垂の手に。
白刃の現れた蜘蛛切丸に恐れをなして、蜘蛛の精(七綾)は姿を消す。