鶴屋南北の戯曲の一場面。
都の守護をになう源頼光の館に上使がやってくる。
頼光は病気で臥せっているため、かわりに奥方の園生の前が応対する。
上使は三田源太広綱と名乗り、頼光が所持する名剣「蜘蛛切り」と「鬼切り」の二刀を差し出すよう求める。刀は何者かに盗まれて館にはないのだが、園生の前は「後刻さしあげまする」とこたえて引き伸ばしをはかる。
あれこれあるうちに別の上使がやってきて、はじめの上使と同じ三田源太広綱を名乗り、同じ二振りの刀を求める。
二人の上使が同じ用件でやってくる。
同様の場面は、このところ見てきた『天竺徳兵衛韓噺』にもあり、そこでは二人のうち一人は徳兵衛の扮する偽物だったが、これから見る『戻橋背御摂』では、二人の三田源太広綱はどちらも偽物。
『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』の粗筋が立命館大学のサイトにある。このうち問題の場面は「一番目六建目 摂津介頼光館の場」。
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/戻橋背御摂
二人の上使の真偽がつかないまま場面が変わって、接待の場になる。上使たちはそれぞれの好みでくつろいでいる。
上手の部屋では最初の上使Aが、長裃のまま鉢巻をしてあぐらをかき、茶碗酒を飲みながら、火鉢にかけた小鍋で料理をしている。
下手の部屋ではあとから来た上使Bが、やはり長裃のまま花盆に山茶花を生けている。上使Bの部屋に腰元たちが世話をしにやってくると、Bは「女は嫌いだ、近寄るな」といって追い払う。
かわりに頼光の弟美女丸があらわれると、上使Bはごきげんになって美女丸に寄り添う。Bが美女丸のふところに手を入れると乳房が触れて、じつは美女丸は女とわかる。「女でもいいか」とBの気持がかわって、二人はその場でできてしまう。
上使Aの部屋では園生の前がみずから相手をする。酒を飲むうちに、園生の前は窮屈だといって緋の袴を脱ぎ、上使Aも裃を脱ぎ捨てて、この部屋でも二人はできてしまう。
じつにじつはな『戻橋背御摂』の人物たち
上使A、じつは市原野の乞食頭・つづれの次郎で、これより先に煙草売りのふりをして館に入り込んでいた女乞食の仲間だが、それも仮の姿でじつは盗賊の首魁・袴垂保輔。
上使B、じつは平将門の遺児・将軍太郎良門。
頼光の北の方・園生の前、じつは用心のため頼光側が立てた代役で、武家のむすめ三崎。
頼光の弟・美女丸、じつは頼光家臣のむすめ小式部。
まとめて言えば、この頼光館の場で相愛関係を結んだ全員が偽物。
上手の部屋でできてしまった袴垂と三崎は、じつはいいなずけ同士であったことが判明して婚礼の式がはじまるが、そこにかつて袴垂と情をかわしたことのある田舎娘・お岩が乱入して、
「ほんにマア、なんの因果で都へのぼり、つらい憂き目に逢うぞいな。やっぱり在所で麦畑の霜ふみつけがましじゃもの。情けない身になったわいナア」
と嘆くが、このお岩がじつは平将門のむすめ七綾姫で、将軍太郎良門の異母姉。
二人の上使に先立って頼光館を訪れ、やはり難題を持ちかけていた尊国君が頼光の子を刺し殺すが、じつは殺されたのは七綾姫と袴垂の子。
その尊国君、皇位簒奪の一派に与すと見せかけて、じつは源氏の武士・秦の次郎正文。
鶴屋南北の『戻橋背御摂』は、文化10年(1813)に初演された顔見世狂言。
ジャンルは通俗史書の『前太平記』から材料をとった前太平記物。
このジャンルの基本型は平将門残党と源頼光ひきいる源氏方の戦いだが、この芝居の前半では、これに加えて帝位を僭称する髭黒左大将の一派、さらに盗賊として資金を稼いで天下を握ろうとする袴垂一味の四勢力が入り乱れて争う。
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/戻橋背御摂
この戯曲の「じつは」な人物設定を、前半の実質的大詰め「一番目六建目 摂津介頼光館の場」で見てきたが、同様の設定はじつはこの戯曲全体を通じてのもの。いちおうの台詞と見せ場を与えられているような人物は、ほぼ全員が身分・身元を偽っている。
諸羽社の境内で二人の男――瀧夜叉と源家の家臣――が争っている。
源家が神前に納めておいた宝剣・蜘蛛切丸を瀧夜叉が盗み出し、それを家臣が奪い返そうとしていることが、二人の台詞でわかる。瀧夜叉は当て身をくらわして花道を逃げ、家臣も息を吹き返してあとを追う。
端役以外のほとんど全員が正体を偽っている『戻橋背御摂』の、これが幕開け。
この冒頭ですでに偽りが仕込まれていて、まず、この蜘蛛切丸は本物ではない。本物は神殿の奥深くに隠されていて無事。
また瀧夜叉は、盗賊・袴垂保輔の手下を自称するが、じつは源家側の一員。
この場における宝剣の争奪自体が、源家が仕組んだ疑似イベント。
ある事情で、源家は蜘蛛切丸を髭黒ノ左大将道包に差し出さなければならないが、本物は渡したくない。このイベントは偽物を本物に見せかけるための工作で、ほどなく別の源家の家臣が瀧夜叉を捕らえ、(偽の)宝剣とともに戻ってきて、これを本物であるかのように人びとの前で披露することになる。
「今夜、花山の古御所で会合して計略をめぐらしたい」
との密書が袴垂保輔から平貞盛に送られてくる。これが序幕の「諸羽社の場」でのことで、『戻橋背御摂』のストーリーの一筋が「花山の古御所」に向かうだろうことが当初から示唆されている。
計略をめぐらす場所を古御所としたのは作者の恣意。ストーリー展開のうえでの必然といったものはない。何の計略をめぐらすかも不明。
南北にとって、花山の古御所とは何か。
権威の不在を象徴するイメージ、それがこの古御所だろう。帝が御所を捨てて行方知れず。残されて荒れ果てた御所。そのアナーキーが南北好みなのではないか。
事実としての歴史をたどれば皇位の空白は埋められるが、南北はそれをしない。アナーキーなまま放置して、その上に『戻橋背御摂』を組み立てている。
代わって空位を襲うのが、髭黒の左大将道包という悪役。『戻橋背御摂』前半の時と所はあちこちしているかのようだが、よく見れば髭黒公の皇位僭称に至る一日二日のこと。
権威の不在ということは、頼光四天王の主人である源頼光についても言える。
武家の棟梁であり、朝廷の守護である頼光が病で伏せている。
そこでこの『戻橋背御摂』では、弟の頼信が兄のポジションを代行し、皇位の簒奪をはかる黒髭公に取り入るため、家の宝剣(じつは偽物)を贈ろうとしたり、恋人の鶴の前をめぐって髭黒と争ったりする。
頼光が病んでいるのは南北の独創ではなく、病の因を葛城山の土蜘蛛とする謡曲「土蜘蛛」の設定を利用したもの。
同じ設定は歌舞伎や読み物で広く使われたようで、頼光の枕元に僧形で現れた蜘蛛の妖怪がかける台詞「わが背子が来べき宵なり、ささがにの――」が、『戻橋背御摂』では田舎娘お岩(じつは平将門の娘七綾姫)の台詞に取り入れられている。
南北の師・初世桜田治助の舞踊劇「蜘蛛の拍子舞」も謡曲「土蜘蛛」に拠っており、「わが背子が――」のフレーズで歌がはじまる。
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