《すでに言ったように今日は春の三日目か四日目で、哀れで惨めな気分の春なのに、寒暖計のせいで私は南京虫みたいに気がおかしくなってゆく。読者は多分、私がずっとクリシー広場に腰をおろして、アペリティフを飲んでいたと思っている。じっさい私はクリシー広場に腰をおろしていたが、それは二、三年前の話だ。また、小さなトム・サムのバーにもいたが、それも長い昔のことで、以来ずっと蟹が私の急所をかじってる。すべてはパリの地下鉄(一等席)で、l’homme que j’etais, je ne le suis plus(私はもう以前の私ではない)というフレーズとともにはじまった。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』
《たとえば私がバルパライソと言うとき、これまでの意味とはまったく異なる意味になる。それは、前歯がすべて抜け落ちたイギリス人娼婦と、通りの真ん中に立って客を探しているバーテンダーを意味するかもしれない。あるいは、シルクのシャツを着て黒いハープの上で繊細な指を走らせている天使を意味するかもしれない。あるいはまた、蚊帳地で腰を巻いたオダリスクを意味するかもしれない。それはこれらのいずれかを意味するかもしれないし、何も意味しないかもしれないが、それが何を意味するにせよ、それまでとは何か違うもの、何か新しいものであることは間違いない。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』
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