人は誰も過去を作り出す。ただ思っただけにすぎないのに、その思ったことをもって、過去もそうであったと思い込む。
記憶とはそのようなもの。
寺山だけが過去を創作してしまうのではなく、誰もが過去を創作する。

《記憶なるものの凡てが想起という経験を擬似的に説明するための形而上的仮構なのである。当然その想起以外に記憶の証拠となるものはない。こうして虚構に導いたものは想起経験の中で経験される過去性である。つまり、過去として何かが経験される、という想起経験の本質が自然に過去という実在を想定させてしまうのである。》――大森荘蔵「言語的制作としての過去と夢」

過去の創作は、基本的には無意識的に行われるが、意図しても行われる。
寺山の場合、意図的な過去の創作は文章作法の一部。エッセイでも、論文的なものでも、論旨を支える要所に、創作された過去が置かれている。

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DOMMUNEが昨日放送した「寺山修司と60年代テレビの前衛」のアーカイブをYouTubeで公開
youtube.com/watch?app=desktop&

《寺山修司にあっては、句も歌も、およそ自身の感懐を吐露するというようなものではありえなかった。彼は、句や歌を作ることによって、自身の感懐なるものを作りあげたのであり、場合によっては自身の物語、自身の出生の秘密さえつくりあげたのである。
 たとえば塚本邦雄はその寺山修司論「アルカディアの魔王」において、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」ほかの歌を引いた後に次のように述べている。

「反生活と人間のなからひに、引きさかれつつ現れた、父、家、青年、祖国、その属性を、もはや私に即して読む愚を繰返す読者はあるまい。これらのヴォカブラリーを以て彼の思想的深化を説くのも、作者にとっては有難迷惑にすぎないだらう」

 塚本邦雄のこの指摘は何度繰り返されても過ぎることはないだろう。いまなお「私に即して読む愚を繰返す読者」が少なくないからであり、しかもそれが驚くまいことか歌人に少なくないからである。(……)寺山修司は嘆声を発したのではなく、嘆声を作ったのである。あたかも劇のなかの一青年の嘆声を台詞として作るように作ったのである。》――三浦雅士「二重性の連鎖――寺山修司の言葉」(思潮社『続・寺山修司詩集』解説)

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《私は一九三五年十二月十日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし戸籍上では翌三六年一月十日に生まれたことになっている。この三十日間のアリバイについて聞き糺すと、私の母は「おまえは走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいなのだ」と冗談めかして言うのだった。》――寺山修司『誰か故郷を思はざる』

《この自伝には寺山修司が得意とするフィクションが横溢している。彼は「青森県の北海岸の小駅」で生まれたのではなく、実際には弘前市紺屋町にあった父親の転勤先の家で生まれている。彼の母親が「おまえは走っている汽車のなかで生まれた」というような冗談を言う人かどうかもあやしい。ここには彼が「走っている汽車」というイメージに同化しようとする、彼自身の「外に向かって育ちすぎた」フィクションがあるのだ。》――佐々木幹郎「「死ぬのは他人ばかり」か?」(思潮社『続・寺山修司詩集』解説)

「実」の世界から「虚」の世界への招待という形で、寺山修司は出口を用意した。
観客を無理やり舞台に上げようとして問題になった『邪宗門』のヨーロッパ公演(1971年)がその代表例。
fedibird.com/@mataji/111677875

劇団員でない者を当人の同意なしに舞台に立たせるというアイデアは、寺山が演劇活動を開始する前からのものだったという。
ラジオドラマを書きはじめたばかりのころ、寺山が番組制作者に述べたこと。
《街頭でパッと人間を拉致するんだ。全然不特定の人。それで目かくしして車に乗せて三十分か四十分か街を走りまわる。それからどこか劇場の舞台の真ん中におくんだ。ベルが鳴り、幕があがって、スポットライトが当たる。そして目かくしをはずすと、その人物は「助けてくれ〜!」と絶叫するだろう。
「こんないい芝居はないだろう?」》――田澤拓也『虚人 寺山修司伝』

[参照]

『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』後半の「じつは」。
場所は江戸、隅田川岸。

切見世(下級の女郎屋)の亭主・鬼七、じつは藤原純友の遺臣・伊賀寿太郎。
鬼七の女房・お綱、じつは純友の侍女・苫屋。
切見世の女郎・三日月お仙、じつは苫屋が生んだ純友の遺児。
魚屋の海老雑魚の十、じつは頼光四天王の一人・渡辺綱。
切見世の路地番・喜之助、じつは渡辺綱の家臣・三崎の藤内。
貸し物屋の金六、じつは渡辺綱の草履取り・三田平。
獣屋(獣肉店)の権助、じつは渡辺綱の奴。

最後は、病の癒えた源頼光が鎮守府将軍として東国に赴任する途中、足柄山で坂田公時(おとぎ話の金太郎)を見出す舞踊劇。
猟師・斧右衛門、じつは源氏方の老臣・三田仕。
猟師・鉄蔵、じつは市原野の盗賊・鬼同丸。
馬子の胴六、じつは皇位簒奪を目指す勢力の一員・夜叉太郎国秀。
賤女・紅梅、同じく白梅、じつは源氏方からひそかに遣わされた頼光警護の娘たち。

諸羽社の境内で二人の男――瀧夜叉と源家の家臣――が争っている。
源家が神前に納めておいた宝剣・蜘蛛切丸を瀧夜叉が盗み出し、それを家臣が奪い返そうとしていることが、二人の台詞でわかる。瀧夜叉は当て身をくらわして花道を逃げ、家臣も息を吹き返してあとを追う。

端役以外のほとんど全員が正体を偽っている『戻橋背御摂』の、これが幕開け。
この冒頭ですでに偽りが仕込まれていて、まず、この蜘蛛切丸は本物ではない。本物は神殿の奥深くに隠されていて無事。
また瀧夜叉は、盗賊・袴垂保輔の手下を自称するが、じつは源家側の一員。

この場における宝剣の争奪自体が、源家が仕組んだ疑似イベント。
ある事情で、源家は蜘蛛切丸を髭黒ノ左大将道包に差し出さなければならないが、本物は渡したくない。このイベントは偽物を本物に見せかけるための工作で、ほどなく別の源家の家臣が瀧夜叉を捕らえ、(偽の)宝剣とともに戻ってきて、これを本物であるかのように人びとの前で披露することになる。

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じつにじつはな『戻橋背御摂』の人物たち

上使A、じつは市原野の乞食頭・つづれの次郎で、これより先に煙草売りのふりをして館に入り込んでいた女乞食の仲間だが、それも仮の姿でじつは盗賊の首魁・袴垂保輔。
上使B、じつは平将門の遺児・将軍太郎良門。
頼光の北の方・園生の前、じつは用心のため頼光側が立てた代役で、武家のむすめ三崎。
頼光の弟・美女丸、じつは頼光家臣のむすめ小式部。
まとめて言えば、この頼光館の場で相愛関係を結んだ全員が偽物。

上手の部屋でできてしまった袴垂と三崎は、じつはいいなずけ同士であったことが判明して婚礼の式がはじまるが、そこにかつて袴垂と情をかわしたことのある田舎娘・お岩が乱入して、
「ほんにマア、なんの因果で都へのぼり、つらい憂き目に逢うぞいな。やっぱり在所で麦畑の霜ふみつけがましじゃもの。情けない身になったわいナア」
と嘆くが、このお岩がじつは平将門のむすめ七綾姫で、将軍太郎良門の異母姉。

二人の上使に先立って頼光館を訪れ、やはり難題を持ちかけていた尊国君が頼光の子を刺し殺すが、じつは殺されたのは七綾姫と袴垂の子。
その尊国君、皇位簒奪の一派に与すと見せかけて、じつは源氏の武士・秦の次郎正文。

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鶴屋南北の戯曲の一場面。

都の守護をになう源頼光の館に上使がやってくる。
頼光は病気で臥せっているため、かわりに奥方の園生の前が応対する。
上使は三田源太広綱と名乗り、頼光が所持する名剣「蜘蛛切り」と「鬼切り」の二刀を差し出すよう求める。刀は何者かに盗まれて館にはないのだが、園生の前は「後刻さしあげまする」とこたえて引き伸ばしをはかる。
あれこれあるうちに別の上使がやってきて、はじめの上使と同じ三田源太広綱を名乗り、同じ二振りの刀を求める。

二人の上使が同じ用件でやってくる。
同様の場面は、このところ見てきた『天竺徳兵衛韓噺』にもあり、そこでは二人のうち一人は徳兵衛の扮する偽物だったが、これから見る『戻橋背御摂』では、二人の三田源太広綱はどちらも偽物。

『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』の粗筋が立命館大学のサイトにある。このうち問題の場面は「一番目六建目 摂津介頼光館の場」。
arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/ind

天井桟敷の第1回公演が「青森県のせむし男」(1967年)。
大正家の息子が女中のマツをはらませる。
世間体を恐れた大正家はマツを入籍させるが、マツが子を産む前に息子は旅先の上海でコレラにかかって死ぬ。
マツが猫の子を産んだとして、子は殺されることになるが――

《本州の北の崕、暗く侘びしい青森県に棲む母と子というイメージを提出することによって、寺山修司はここですでに「寺山修司という物語」のための布石をしているのである。何のために? 運動に偽の中心を与えるために。(……)寺山修司という虚構を真正面に打ち出すこと、それが寺山修司の戦略だった。》――三浦雅士「寺山修司を記述する試み」

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「実の世界にいた人が虚の世界へ。そんなことが起こりうると思わせる話術は、どのようにしたら可能か」と前に書いた。
fedibird.com/@mataji/111683425

論のはじめに嘘を置くこと、というのが答。当の論文でいえば、ハンス夫婦という架空の存在を実在の人物に見せかけたこと。
fedibird.com/@mataji/111705816

この答は、もう一歩進めることができる。
ハンス夫婦の、少なくとも妻の存在には、ほかでもない寺山という証人がいる。彼はハンスの妻に会っている(嘘だけど)。寺山の虚言癖を知らなければ、これは信じてしまうだろう。これを書いてる もその一人。
議論が進むうちに、ハンスの実在に疑いが生じても差し支えない。すでに議論は虚と実の出会いといった土俵――問題設定――の上で動き出しているのだから。
実の寺山に虚の妻を出会わせた効果。会わせたのは寺山自身。聞いた話としてではなく、自身の体験として語ること。

[参照]

《彼は、寺山修司にあって何年かたって、その出会いがドラマチックになって他人に披露されるのを聞いて驚いたことがある。あとで/恥ずかしいから余りドラマチックに言わないでくださいよ/と言うと驚いて、彼のほうが記憶違いだといって決して間違いを認めようとはしなかった。以来、彼と寺山修司との出会いは、そういうことになってしまった。
寺山修司は、一生をかけて不可思議な引用を続け虚構を作り続けた。寺山修司のおもしろさは、虚構と現実のギャップの大きさにある。そして常に虚構の側に住んでいて、そこにレアリテを求めていた。寺山修司は引用した現実のほうに身を置こうとしていたのだ。》――同前

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《彼は寺山修司と思想誌の編集長が話しているのを聞いたことがある。
/寺山さんの引用したバタイユの文章、すごくよかったので僕も引用して使ったけれど出典は、何かな。捜したんだけど分からなかったよ。/分るはずがないよ。あれは僕が書いたんだから。/えー!/編集長は本当に驚いたようだった。
彼は、寺山修司に聞いてみる。/いつもあんなことするんですか?/よくやるよ。だいたい引用しているところは僕が書いているし、僕の地の文が引用のこともある。単行本にする時に入れ替えたりするけどね。》――今野裕一「ボルヘスと寺山修司そして彼という舞台監督」(『夜想』#16 特集「ボルヘス/レゾートル」)

寺山修司の作中人物による虚実の混同。

《ごらんの通り、私は写真屋。他人の顔をあずかるのを商売にしております。
蛇が衣を脱ぐように、人は誰でも顔を脱ぐ……いささか古くなった顔、得意の顔、世をしのぶ仮の顔、仮面。古道具屋でも扱わぬ顔の数々……それを、こうやって(と、シャッターを引くしぐさで)素早く外してやるのが近代写真術のはじまりというわけだ。》――寺山『青ひげ』5 写真屋は顔を盗むのが商売

《おまえ! 腕時計なんかして!(と、逃げようとする山太郎の手をおさえつけて)やっぱり、同じ時間だ。おまえ、家の時間を、ぬすみ出して外へもっていこうなんて悪い事を!(と、忌々しげに)何て悪い事を……時間はこうやって柱時計におさめて、家のまん中においとかなくちゃいけないんだよ。》――寺山『邪宗門』2 ほろほろ鳥

顔をあずかる、顔を盗むとは、物としての顔とそのイメージを混同したゆえの認識。一般化していえば、虚実の混同。
時計と時間の関係も同じ。ここでは、時計が実で時間が虚。時計は物として持ち運べるが、時間は手でさわったり持ち運んだりできない。

寺山は議論や論文でも虚実を混同させる。
その場合、混同は意図的。ただし、寺山の本性でもあるだろう。

黒子(劇団員)が評論家 RHW 夫妻の退出を妨げたこと。
RHW の妻が黒子を突き飛ばそうとし、逆に突き飛ばされたこと。
これらに類する暴力行為はヨーロッパでの『邪宗門』の公演中、いくつかの都市で起き、ユーゴのノビサド市では流血に及んだという。
寺山はこれらの事件について、ただの事故や過失ではなく、「起こるべくして起こったこと」とした。すなわち必然だった、と。実際、戯曲上でも『邪宗門』の舞台は次のように動き出す。

《ときどき、影のように黒子の群れが客席を駆け抜けてゆく。血なまぐさい匂いが、潮のようにおしよせる。咆哮している黒子の群れ。ふいに観客の一人を名指しておそいかかるや、日本刀、一閃される。ひきずられた観客のおどろきと悲鳴。
まだ何も見えない暗黒の中に、黒子たちが何かを作りつつある気配。引きずりあげられた観客はこの劇の衣裳を着せられて、「登場人物」に仕立て上げられてゆく。
黒子の群れが、「劇」を準備し、「虚構」を作りあげてゆくあいだ、燃えさかっているかがり火。十字架には緋襦袢の妊み女が、磔刑にされて、半裸の黒髪を乱している。照明の明りが少しずつ、月光に変ってゆき、劇をこわそうとする観客や開幕をはばむ観客と黒子のあいだに乱闘があちこちで起されている。》

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「三年前――私たちの劇の中で蒸発した一人の中年の郵便配達夫」と寺山の前ふりにあり。
以降の論の前提として事実のように書いているが、郵便配達夫ハンスの存在と彼の身に起きたことが、寺山の創作であるのは間違いない。客席にいた実在の人物が劇中という虚構の空間に消えてしまうことなどありえないのだから。

論文の冒頭に架空のサンプル――今の場合はハンス夫婦の存在と彼らの行為――を置くことの有効性。
自分の論に都合のいいサンプルを最初に出しておくから、その時点で見破られなければ、しばらく――または、いつまでも――論理の一貫性が保てる。
あとになって読者が疑念をもったとしても、すでに手遅れ。政治の世界なら、すでに政策は実行されたあと。

歴史の先取りとでもいうか。
最初の嘘で読者の認識をしばっておいて、自分だけ先へ。

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ハンスを返してください。
婦人はそう寺山に求めたが、寺山にはおぼえがない。劇団員にきいても、誰もハンスという中年のオランダ人を知らなかった。
何が起きたのか。ハンスはどこへ行ったのか。

夫は劇のなかにいる、と婦人は思っている。
その「劇」とは、劇団「天井桟敷」のことなのか、それとも『邪宗門』の世界のことなのか。
前者なら、夫ハンスは劇団員として在籍しているか、少なくともある期間在籍したはずである。後者なら、ハンスは『邪宗門』という虚構の世界に消えたことになる。

寺山は次のように書いている。
《そのどこまでが劇で、どこからが現実だったのかを論じることは、この場合には無意味であろう。
少なくとも「ハンスが劇のなかへ消えていったこと」と、「ハンスが劇のなかから消えていったこと」とは、ほとんど同じことのように思われるからである。》
虚実の弁別は無意味としながら、ハンスが虚の世界に消えたことを以後の論の前提にしようとしているかに見える。

実の世界にいた人が虚の世界へ。そんなことが起こりうると思わせる話術は、どのようにしたら可能か。

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