上海の街路を短い葬列がやってくる。
道ばたの老人が話しかける。

老人 いつ?
―― 一八八一年一月一日。午前九時十三分でした。
老人 なるほど。倒れてから五日間、とにかく生きてはいたというわけだな。
―― 一度も意識は戻りませんでした。お医者さまの見立てでは脳溢血と……
老人 七十五年の生涯のうち四十年間を、牢獄に幽閉されて過した。最後の五日間は、とうとう自分の身体の中にとじ込められてしまった。パリ、イタリー大通り二十五番地。古い建物の六階の小部屋。ベッドで横になっていると、どこからか隙間風が吹き込んで来る。
―― よくご存知で……
老人 墓碑銘は?
―― 「ルイ=オーギュスト・ブランキ。一八〇五年から一八八一年。主人もなく、奴隷もなく」
老人 よし、行こう。行って、私にも墓に花をそなえさせてもらおう。
―― 故人とは親しいおつき合いで?
老人 そう、終生の友……
―― 失礼ですが、お名前を。
老人 私か? 私の名は、ルイ=オーギュスト・ブランキ。たったいま、上海に着いたところだ。

同じタイトルの佐藤信『ブランキ殺し上海の春』からだが、先の「上海版」に対しこちらは別版「ブランキ版」の冒頭。

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ルイ=オーギュスト・ブランキ(1805-1881)、フランスの社会主義者、革命家。
ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・オーギュス

ブランキの著『天体による永遠』は、イギリス海峡に臨む岩礁の上に築かれたトーロー要塞の監獄で書かれた。
その中で彼が言うには、宇宙を作っている元素(原子)は100元素しかない。無限の宇宙を構成する材料が有限種しかないのだから、宇宙は無限に反復しなければならない。すべての天体も、天体上の生物も無生物も、すべての存在物はこの永続性を分かち持っている。
地球もそうした無限に反復する天体の一つであり、全人類も同様に反復する存在である。ブランキはそのように論を進め、現にトーロー要塞の土牢で『天体による永遠』を書きつづける自分に言及する。いま私が書いているのと同じことを、同じテーブルに向かい、同じペンを持ち、同じ服を着て、まったく同じ状況の中で、かつて私は書いたのであり、未来永劫書くであろう、と。

救いのない反復に見える。いつまでも冊子は書き上がらず、監獄からは出られず、革命は成らないのではないか。
何が言いたくて、彼はこんな書を遺したか。

救いはある、というのがブランキの考え。
なぜなら、反復には分岐が伴うから。

今この牢獄で『天体による永遠』を書いている私はといえば、王政、帝政、共和制、私が生きたすべての政治体制下で危険人物と見なされ、犯罪者として投獄され、敗北に次ぐ敗北を重ねながら、あいかわらず同じことを繰り返している。何もかもが俗悪きわまる再版、無益な繰り返しなのだ。 けれども嘆く必要はない。なぜならば、この永続と反復にはつねに枝分かれが伴い、この地上で我々がなりえたであろうすべてのことは、どこか他の場所でそうなっているのであり、すでに別の時空では別の私が革命を成功させているにちがいないのだから。

私は常に獄中に回帰してくるのではない。
反復は分岐を伴う。すなわち、獄外への分岐を。何人もの、いや、無数の私が、たえず獄外へ脱出しつづけている。回帰とは希望なのだ。

そのような無数の分岐の先には、もちろん上海も含まれる。
fedibird.com/@mataji/112056902

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