昭和11年(1936年)2月26日、2.26革命が勃発。
武装正規軍の蜂起に呼応して、陸軍少佐大友宮アマヒト親王(大正天皇第5皇子)は弘前の連隊を率いて革命軍の一翼を担い、事態を宮廷革命へと変貌させる。革命に成功するとアマヒトは天武2世を名乗って即位し、昭和の幕を11年で閉じて「飛鳥」に改元。
一方、中国大陸とアジアの情勢打開に苦慮するコミンテルンは、大陸における日本の軍事力と民族資本の蓄積に着目し、亡命地「満州国」で保護されたヒロヒト天皇を精神的支柱とする「大東亜人民共和国」の構想を1940年の大会で決定。この構想を中核として多くの抗日・独立運動が再編成され、徹底した皇民化教育受けた年少者たちによる「皇衛兵」組織が各地で発足する。
かくて飛鳥10年(1945年)8月15日、天武2世の大日本帝国敗戦の日、ここは大東亜人民共和国の未来の首都に擬せられる上海。――

佐藤信『ブランキ殺し上海の春(上海版)』の時代設定だが、昭和は遠くなりにけり、年号が「飛鳥」に変わった当時を、誰がリアリティを持って思い起こせるか。だが、覚えはあるだろう、微かだとしても。

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上海の街路を短い葬列がやってくる。
道ばたの老人が話しかける。

老人 いつ?
―― 一八八一年一月一日。午前九時十三分でした。
老人 なるほど。倒れてから五日間、とにかく生きてはいたというわけだな。
―― 一度も意識は戻りませんでした。お医者さまの見立てでは脳溢血と……
老人 七十五年の生涯のうち四十年間を、牢獄に幽閉されて過した。最後の五日間は、とうとう自分の身体の中にとじ込められてしまった。パリ、イタリー大通り二十五番地。古い建物の六階の小部屋。ベッドで横になっていると、どこからか隙間風が吹き込んで来る。
―― よくご存知で……
老人 墓碑銘は?
―― 「ルイ=オーギュスト・ブランキ。一八〇五年から一八八一年。主人もなく、奴隷もなく」
老人 よし、行こう。行って、私にも墓に花をそなえさせてもらおう。
―― 故人とは親しいおつき合いで?
老人 そう、終生の友……
―― 失礼ですが、お名前を。
老人 私か? 私の名は、ルイ=オーギュスト・ブランキ。たったいま、上海に着いたところだ。

同じタイトルの佐藤信『ブランキ殺し上海の春』からだが、先の「上海版」に対しこちらは別版「ブランキ版」の冒頭。

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