金谷治「芭蕉における荘子――江戸期の老荘受容と対比して――」
ajih.jp/backnumber/pdf/30_02_0

「荘子受容の歴史のうえに占める芭蕉の地位の重要さ」と論文末尾にあり。

他の関心もあってミシェル・レリスの『獣道』(後藤辰男訳)を取り寄せた。
原題は「Brisées」。巻頭にフランス語辞典の一節が掲げてあり、邦題の「獣道」とはかなり意味がずれている。

このずれについての訳者の弁は次のとおり。
《語義的忠実さからすれば、「折り枝(標識用の)」というのが穏当かもしれない。だがこれでは語義の一つの背後にある猟犬を使っての狩猟のもつ緊迫感、殺意、現実に起るであろう虐殺の印象は伝わりにくく思われ、Briser→Brisé→Brisées(折る→折られたところの→折り枝)という音が含む切迫感、不可逆的印象も何か間遠くなるように思われたのである。》

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《私が迷路に興味を持つようになった動機は、半人半牛の男が、螺旋状の中心でもの思いにふけっている一枚の画であった。
射手座生まれで、人馬宮に属する私にとって、この男(すなわちミノタウロス)の運命は、そのまま自分のことのように思われたのである。(……)何の科もなく半獣半人として生まれたばかりに殺されてしまうミノタウルスが気の毒でならなかったが、それは私自身の生まれ月(ホロスコープ)のせいと言うべきだろう。》――寺山修司『不思議図書館』

上半身が人間で下半身(性)が馬のケンタウロス。
上半身が牛で下半身(性)が人間のミノタウロス。
前後をあわせ読むと、寺山はケンタウロスとミノタウロスをいっしょくたにして、上半身が人間で下半身(性)が牛のミノタウロスをイメージしていたように見える。
記憶を創作する際の手抜かりといったところか。

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《ベルリン時間でいまは夜明けよ。ご存知? あそこではブロンドの少年たちが揃って臍から下を剥き出しにして朝の食卓に向かうのです。短い感謝のお祈りの間、少年たちの薄い陰毛は、金いろの朝日の祝福を受けて風にそよぎます。》

『キネマと怪人』の登場人物・浪子の台詞。
「臍から下を剥き出しに」とあることで、この浪子が、徳冨蘆花の『不如帰(ホトトギス)』から、のぞきカラクリの『不如帰』(下記歌詞)を経由してフィーチャーされてきたものとわかる。

タケオがボートに移るとき ナミさん赤い腰巻を
おへその上まで捲(まく)り上げ これに未練はないかいな
ナミコがボートに移るとき タケオは紺のズボンをば
膝の下まで摺(ず)り下ろし ……
tyumeji.blog.fc2.com/blog-entr

トリスタン・ツァラ著、小海永二・鈴村和成訳『ダダ宣言』(1970年、竹内書店新社)から。
原著は、Sept Manifestes Dada, Lampisteries(『七つのダダ宣言、ランプ製造工場』)。同じ内容は他の訳書でも読めるが、横組にひかれて購入。古書。
かなり売れたものらしく、自分が入手したのは1978年の第5刷。

杉浦日向子『吉良供養』から、斎藤宮内が命を助かり、小林平八郎が首をはねられたくだり。

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年間の霧発生日数を、太平洋戦争終結(1945年)の前後で比べると、戦前のほうが多い。夜霧に限定したデータではないが、夜霧についても同様の傾向だったろう。
夜霧の歌がさかんに作られた戦後より、戦前のほうが霧は多く発生していた。かつての日本の夜霧は、忍び逢う恋を隠してくれたり、哀愁の街に降ったりするものではなく、たいした感興をもたらすことはなかったのだろう。とすれば、夜霧をロマンチックに思う感性は、上海の夜霧に対して培われたものが、戦後の日本で再生したと見ることができるのではないか。

霧日数の経年変化、東京と横浜
asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kis

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『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』は四世鶴屋南北の出世作と言われるもの。遅咲きの南北は当時50歳。
ja.wikipedia.org/wiki/天竺徳兵衛#ci

播州高砂の船頭・徳兵衛は風に吹き流されたあげく唐・天竺まで経巡って5年ぶりに帰国するが、故郷を前にした九州で事情聴取のため佐々木家の家老・吉岡宗観の屋敷に留め置かれる。
宗観の顔を見た徳兵衛が、「死相がある、今日中にあなたは剣難で死ぬ」と指摘する。
その日のうちの死を覚悟していた宗観は、予言の内容には驚かないが、徳兵衛がその予言をしたことに驚く。というのは、宗観には3歳のおりに手放した子があり、その子が成人して困らないよう、観相術を学ぶ機会を講じておいたからである。
やがて父子であることを確認した徳兵衛に対し、宗観はさらに驚くべきことを打ち明ける。
じつは自分は日本人ではない。もと朝鮮国王の臣であり、国の仇に復讐するするため日本に渡ってきた。お前も我が志をついで日本を滅ぼせ。そのように言って、宗観は徳兵衛にガマの妖術を授ける。

『天竺徳兵衛韓噺』には多くの異版があり、人名、地名、ストーリーに出入りがあるが、原稿台本で軸となるのは上のような人間関係。

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屋体崩し、または屋台崩し。

歌舞伎用語。劇の山場で、建物を崩壊させるスペクタクル。
崩れ落ちた屋根の上に主要人物が現れ、見えを決める。
たとえば舞踊劇「将門――忍夜恋曲者」の場合、主要人物は平将門の遺児・滝夜叉姫と将門の残党狩りに都から下ってきた大宅太郎光圀。クライマックスで将門の古御所が崩壊する。

参考:
www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modul

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《フランドル地方のことわざ(ブリューゲルは、他の作品でフランドルのことわざを表現した絵を描いている。)に、「それでも農夫は耕し続けた」という言葉があり、苦しんでいる者への人々の無関心を表していると解釈できる。(……)この絵は、イカロスの死には見向きもされず、日々の暮らしが営々として続いている場面を描くことにより、他人の苦難への人間の無関心を描こうとしているのかもしれない。》――イカロスの墜落のある風景 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/イカロスの墜落の

画面右下、海面に足だけ見えているのがイカロス。

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ダイダロスは脱出に成功する。
ただし、迷路をたどって出口をみつけたのではなく、翼を自作して迷宮の窓から飛び出したのであり、いわば迷路ゲームのルールに違反しての脱出。
おまけに息子は死なせてしまったし。
johf.com/memo/014.html#2021.8.

シーン44

ヴァンセンヌの森。翌朝。
ヴァレリーが女友達の一人と馬に乗っている。彼女は笑いながら、おしゃべりをしている。一人の若い騎手がギャロップで近づいてきて、急に立ち止まり、彼の馬が荒い息をしているあいだ、ヴァレリーを見つめている。(彼が遠ざかって行く前に、われわれはその人物がマチューに似ていることを認めた)ヴァレリーの友人は笑い出す。――同前

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フラジオレットを吹く盗賊の絵が残されている。吹き手はクロード・デュヴァルの子分。
出典はこちら
lookatpaintings.co.uk/work/cla

図の全体は、ロンドン郊外でデュヴァルの一団がある老貴族の馬車を襲ったところ。その場から貴族を追い払ったデュヴァルは、馬車から降り立った若い夫人にダンスを申し入れる。
二人はかつてヴェルサイユの宮殿で一度だけ顔をあわせたことがある。デュヴァルは宮廷の小姓として、夫人はさる公爵夫人の腰元として。そのさい気まぐれに交わしたダンスの約束を今ここで果たそうというのである。やがて子分のかなでるフラジオレットに乗って二人は踊りはじめる――というピカレスク・ノベルの一場を絵にしたもの。

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「三角帆の船」と訳したが、原文は「dhow」。

《ダウ船(ダウせん、英語:dhow)は、アラビア海・インド洋で活躍した伝統的な帆船。主に中東アジア、インド、東アフリカ等の沿岸で使用された。外板を固定するための釘を一切使わず紐やタールで組み立てることが特徴。》――ダウ船 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ダウ船

画像は Google 検索
google.com/search?q=dhow

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2018年9月7日19:16:42 经济学家马光远在微头条转发了一张图片。图片中一头猪从猪圈的墙边探出头来看---- 看到的景象是一群人正在宰杀处理另一头猪。马光远对此图片没有做任何解释。但是此图片却引来众多网友围观,并发表了各种各样不同观感。在这里转发部分网友评论
sohu.com/a/252706439_126758

《私は旧世界の人間であり、風に乗って移植された種であり、キノコのものにすぎないアメリカのオアシスでは開花しそこなった種である。私はかつての巨樹の系統に属している。私の恭順は、肉体的にも精神的にも、その昔、フランク人、ガリア人、バイキング、フン族、タタール族などであったヨーロッパの者たちにある。私の肉体と魂にとっての風土は、素早さと腐敗のあるここにある。私はこの世紀に属していないことを誇りに思う。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』

アメリカ大陸を左端に置き、日本を含む極東を右端に置いた地図上で考えると、上の言はよりイメージをともなって理解できる。
私の郷土はここアメリカではない。郷土はヨーロッパである。さらにその由来をたどれば、ユーラシア大陸のかなた、匈奴や韃靼の極東がわが郷里である。私は東方からやってきた。