金谷治「芭蕉における荘子――江戸期の老荘受容と対比して――」
https://ajih.jp/backnumber/pdf/30_02_03.pdf
「荘子受容の歴史のうえに占める芭蕉の地位の重要さ」と論文末尾にあり。
サルトルがヴォルスの頭陀袋から取り出した格言に対応する『荘子』原文と訳例。いずれも金谷治訳注『荘子』第一巻(岩波文庫)から。
原文については諸版で相違はなさそうだが、訳文については、「一応分かりやすい解釈にしておいた」と金谷。
[原文]
以指喩指之非指、不若以非指喩指之非指也、以馬喩馬之非馬、不若以非馬喩馬之非馬也、天地一指也、萬物一馬也
[訳例]
現実の指によって、その指が真の指(概念としての指――指一般)ではないことを説明するのは、現実の指ではない〔それを超えた一般〕者によってそのことを説明するのに及ばない。現実の馬によって、その馬が真の馬(概念としての馬――馬一般)ではないことを説明するのは、現実の馬ではない〔それを超えた一般〕者によってそのことを説明するのに及ばない。天地も一本の指である。万物も一頭の馬である。
ヴォルスの頭陀袋から格言を取り出しつつ、サルトルは論を進める。
紹介される格言の最後は、『荘子』から。
《もう一度あの頭陀袋をあけて、ここにもうひとつ引用文を挿入しておこう。
「指が指でないという事実を示すために指を用いるのは、指が指でないという事実を示すために指ならざるものを用いるほど有効ではない。馬が馬でないという事実を示すために白馬を用いるのは、馬が馬でないという事実を示すために馬ならざるものを用いるほど有効ではない」。
「宇宙は一本の指である。すべてのものは一頭の馬である」。
これらの言葉をその作者荘子に従って理解しようと思う人びとにとって、それらはつねにかなり難解なものだ。だが、ヴォルスの作品と関連させて考えれば、その意味も明らかになるし、彼の作品を新たな光で照らし出すのだ。》――「指と指ならざるもの」
ヴォルス論のタイトル「指と指ならざるもの」が、『荘子』に由来することがここでわかる。
そして、いきなり難解です。
「指が指でないという事実」「馬が馬でないという事実」とはどういうことなのか。
指は指であり、馬は馬である。それが事実ではないのか。
役者は黒子に操られている。
劇の最終盤、役者が反撃して黒子を叩きのめす。
黒子の衣装をはぎ取ると、それもじつは天井桟敷の俳優。では、その俳優を操っているのは何者か。
それは言葉よ、と新高恵子。
では、その言葉を操っていたのは誰なのか。
その答を新高が続ける。
《それは、作者よ。そして、作者を操っていたのは、夕暮の憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服のたばこの煙よ。そして、その夕暮の憂鬱だの、遠い国の戦争だの、一服のたばこの煙だのを操っていたのは、時の流れ。時の流れを操っていたのは、糸まき、歴史。いいえ、操っていたものの一番後にあるものを見る事なんか誰にも出来ない。》――寺山修司『邪宗門』
『荘子』齊物論篇にある影と薄影の対話を思わせる。
https://fedibird.com/@mataji/111467887820567754
影が自分の意志で動いているわけではないように、人も自分の意志にしたがって動いているわけではない。
そのことを『荘子』は嘆かない。悲劇とも喜劇とも見なさない。人はそういうものなのである。
人は気ままに生きているわけではない。
何かに動かされているだけの受け身な存在、それが人間。
気まま、自ままな生き方なんて、そんなものはない。
そんなことは人にはできない。
人は自分の判断で動いているのではない。
人は影にすぎない。
で、何の影なのか、何に頼って生きているのか。
『荘子』の影がいうには、
「それがよくわからんのだよ。おれが頼ってる何かも、やっぱり何かの影ではあるまいか。あるいは、ヘビの皮かセミの抜けがらみたいなやつ」
薄影が影にたずねた。
薄影とは影のまわりのぼんやりした影のこと。
その薄影が影に問うには、
「お前さんはさっきは歩いていたのに今は止まり、さっきは座っていたのに今は立っている。なんと節操のないことか」
すると、影がこたえて、
「おれは何かに頼ってこうしているらしい」
その何かとは人間の身体。人が歩けばその影も歩き、人が止まればその影も止まる。
つまり影は人に依存している。
続けて影はいう。
「おれが頼ってる何かも、また別の何かを頼ってそうしてるらしい。ということは、おれはヘビの皮やセミの抜けがらに頼ってるのか。どうしてそうなるのかも、そうならないのかも知らないが」
罔兩問景曰:「曩子行,今子止﹔曩子坐,今子起。何其无特操與?」
景曰:「吾有待而然者邪?吾所待又有待而然者邪?吾待蛇蚹蜩翼邪?惡識所以然!惡識所以不然!」
https://ja.wikisource.org/wiki/荘子/齊物論
紫大納言の場合
これも坂口安吾の短編「紫大納言」に描かれた「ぜい肉がたまたま人の姿をかりたように」太った色好みの大納言も、自分をほどいてしまった人物か。
青空文庫の「紫大納言」
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42764_33439.html
「風博士」も「紫大納言」も、人の消滅を描いて笑話的に終わる。
とはいえ、博士や大納言をおとしめて終わるのではない。かといって、嘆くわけでもない。あはは、そんなわけで消えてしまいました。人物たちもそのように終わり、小説自体もそのように終わる。
死を悲劇的なものとは見ない。『荘子』や『列子』の死の認識に通じる。ミラーの死生観とも。
ギボー(魏牟)が言ったソーシ(荘子)の人物像「さらりと自分をほどいて万物の内に溶け込み、すべてを無差別に肯定する境地に達している」は、中国人になったヘンリー・ミラー(『暗い春』)や壁に擬態したシュブラック(アポリネール「オノレ・シュブラックの失踪」)を思わせる。
https://fedibird.com/@mataji/111162010262826065
https://fedibird.com/@mataji/111014920547628374
彼らは現実に(物理的に)中国人や壁になったわけではない。
自分をほどいてしまった。ほどけたから他の何かに融合できた。そういうことのはずである。
いかにして自分をほどくか。
一年ほど前のメモから、『荘子』秋水篇にある話。
論理学派のコーソンリョーが道家のギボーに言った。
「自分は議論の達人のつもりでいたが、このごろソーシの議論に驚かされて、口もきけぬほどだ。自分にはかなわないのだろうか」
するとギボーが言うに、
「あのソーシという人物は、さらりと自分をほどいて万物の内に溶け込み、すべてを無差別に肯定する境地に達している。ソーシと議論するくらいなら、さっさと家に帰ったほうがいい」
https://johf.com/memo/024.html#2022.7.13
原文はずっと長いが、コアな部分を抜き出せばこんなところだろう。
コーソンリョーは公孫龍、ギボーは魏牟。
人名がカタカナなのは、たぶん漢字に変換するのが面倒だったから。
『聊斎志異』のフランス語訳が19世紀末(1880)に始まっていたことは前に書いた。
https://fedibird.com/@mataji/111101177053562015
英訳も19世紀末(1880)に始まっている。
最初の訳者として挙げられているのは、イギリスの外交官・中国研究者の Herbert Giles。
https://en.wikipedia.org/wiki/Strange_Tales_from_a_Chinese_Studio
『列子』のフランス語訳については、Wikipedia に記事あり。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Lie_Zi
最初期の訳業(1911- 1913)はイエズス会の宣教師 Léon Wieger による。河北省献県で印刷されたものか。
『列子』の英訳(1912)として、イギリスの中国研究者・文筆家 Lionel Giles の訳が挙げられている。『聊斎志異』を訳した Herbert Giles の息子。
https://en.wikipedia.org/wiki/Liezi
『荘子』の最初期の英訳(1889)は Herbert Giles による。
https://en.wikipedia.org/wiki/Zhuangzi_(book)
『荘子』のフランス語訳については、『列子』を訳した Léon Wieger の訳(1913)が挙げられている。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Zhuangzi_(livre)
文侯が子夏に問う。
「その人物は何者なのか」
子夏は孔子の高弟。招かれて文侯の師になっている。
彼が答えて言う。
「孔子先生が言うには、それは和する者である。和者は物とまったく同化してしまうから、物は和者を害することができない。和者は金石を通り抜けることも、水火の中を行くことも可能なのだ、と」
文侯「どうしてあなたはそれをしないのか」
子夏「私はまだ知恵を捨てることも私心を除くこともできません。ただ、せめてそれについて語ることだけはしたい」
文侯「孔子先生はしないのか」
子夏「もちろん先生はできます。でも、それをしないのです」
このようにして『列子』は孔子の地位を引き上げる。
じつは孔子先生は、人前でそれをしないだけで、金石を通り抜け、水火をくぐることはできるのです。「和して同ぜず」という自身の言葉を越えて、対象と同化してしまうのが、ここで描かれた孔子。『列子』はそのように地位――言うまでもなく道家的な価値観による地位だが――を上げることで、孔子を道家の陣営に引き入れる。すでに見た『荘子』の手口と同じ。
さらに孔子はつづける。
「人はそれぞれが自分を自分として立てているが、どんな根拠で自分を自分としてるのか。
たとえばお前も、夢に鳥となって空を飛び、魚となって淵に潜るだろう。そしてそのことを言うとき、覚めて言ってるのか、夢の中で言ってるのか、わかりはしない。
分別を言うのは笑いに及ばず、笑いは推移に任せるに及ばず、推移に身をゆだねて変化を忘れてしまえば、静謐な天の一部になることができる」
すっかり道家である。
いいのか、儒家の総帥である孔子がそんなことを言って。
もちろん、まったくかまわない。道に目覚める以前、あるいは以後、そんな位置づけ、道との関連づけで『荘子』の孔子像は描かれている。目覚める以前の未熟な孔子、あるいは、じつは道に通じたわかっている孔子。
別の弟子・顔回が孔子にたずねる。
「孟孫才は母親を亡くしたとき、泣き真似をしただけで、衷心から悼むこともなく、喪中も悲しみませんでした。それなのに彼が立派に喪に服したと評判になったのはなぜでしょう。実がないのに名だけは高いということがあるのですね」
孔子が答えていう。
「孟孫才はきちんとやったよ。儀礼を省こうとしたが完全には省けず、形だけ残したのだ。
彼は人の生まれるわけも死ぬわけも知らず、生が先か死が先かも知らず、ただ変化の理にしたがって生まれ、変化のわけを知らずに変化するのみ。生と死、化と不化の別にこだわる私やお前などは、夢を見つづけているようなものだろう。
生死は形を損なうが、精神を損なうことはない。そのことを知る孟孫才こそ、ただ一人目覚めており、だから彼は人が泣けば自分も泣いてみせた。母親の死に際しての彼のふるまいがこれである」
子貢がこのことを孔子に伝える。
「彼らは何者でしょう。ふるまいは出鱈目で、礼儀をわきまえず、遺骸の前で歌を歌って恥じることもない。まったく言いようがありません」
孔子が答えていう。
「彼らは世俗の外で遊ぶ者、我々は世俗の内で遊ぶ者だ。内と外は相容れないものなのに、お前を弔問に行かせるとは考えが足りなかった。俗塵の外で気ままにふるまい、無為自然を楽しむ彼らが、どうして儀礼や形式を整えて、世人の耳目に応えることなどするだろうか」
これにつづく子貢との会話のなかで、孔子は儒家らしくないことを言い出す。
子貢「それでは先生の拠りどころはいかなるものでしょう」
孔子「私は俗世で生きるよう天から罰された者である。けれども私は彼らについていきたいと思う、お前といっしょにね」
彼らとは、子桑戶の遺骸を前に歌を歌っていた孟子反や子琴張のこと。礼儀をわきまえないと子貢が評した者たちのことなのだが。
先の引用箇所の後半に、「たとえ、最も親しい友人が死んでも、その葬式に行こうとはしないだろう」とあり、妻を亡くした荘子が盆を叩いて歌ったという話を思わせる。
私も妻に死なれた当座は悲しみに耐えられなかった。だが、人は混沌の中から生じて、混沌に帰る。妻がその混沌の世界で眠りにつこうとしているのに、ここで泣きわめいたら天命に通じぬ者となってしまう。だから私は泣くのをやめた。――というのが荘子の弁で、荘子の思想・言行を集めた『荘子』中でもよく知られた一話。
これと同様の話がほかにも『荘子』にある。
子桑戶、孟子反、子琴張は、たがいに世俗にとらわれない生き方をする者として理解しあい、友人となった。
しばらくして子桑戶が死んだ。
それを聞いた孔子が、弟子の子貢に言いつけて葬式の手伝いに行かせた。
すると孟子反と子琴張は、手仕事をしたり楽器を鳴らしたりしながら歌っている。
ああ桑戶よ
ああ桑戶よ
君はすでに君の真実に帰った
我々はまだ人間のままだ
子貢は思わず走り寄って、「なきがらを前に歌うのは礼にかなうことですか」とたずねる。
すると二人は顔を見合わせて、「こいつには礼はわからんな」と笑った。