《ダダがつかんだものは、あれかこれかというありふれた思考の図式では、解釈も説明もされえない。わたしたちに自然な、イエスかノーかの思考を、ダダはまさに爆破しようとした。二元論的思考を仮借なく投げすてるところに、この運動の性質が示される。思考は拡大され、感情をもつ思考、思考をともなった感情、その両者が詩や絵や音のうちに統合されなければならなかった。「悟性は感情の一部であり、感情は悟性の一部だ」(アルプ)新しい、拡大しつつある思考の、このような前提がうけいれられさえすれば、ダダの矛盾はおのずから消えて、ひとつの世界像が生れる。そこでは因果的経験のほかに、これまでみえず、きこえなかったもうひとつの経験が明らかにされ、無法則なものをふくむ合法則性が明らかにされる。》――同じく『ダダ』

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《この葛藤は、ダダの真正で意義深い目じるしである。その葛藤は一方が他方を止揚する矛盾としてではなく、一種の相補関係としてはたらいた。対立する理念や人間の協力からこそ、ダダは本来の統一をみいだした。バルが「わたしは正確に自己検討した。わたしはけっして混乱歓迎などとはいわないだろう」と説明し、それにたいしてツァラが混乱を無頓着にかかえこんだとき、二人は信仰と不信仰のようにたがいにおぎないあい、善と悪、芸術と反-芸術のように、ひとつの全体を形づくったのである。》――同じく『ダダ』

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《因果関係をはなれた、新しい無法則性というテーゼをたてて、反-芸術を宣言するのは、たしかに非常にいいことではあったが、それは全的人間、さらに秩序づける意識が創造過程の内部に入りこみ、あらゆる反-芸術論争にもかかわらず、芸術作品が生れることをさまたげなかった。偶然とならんで、いずれにしろ避けがたく、まさに秩序づける、意識的な人間が存在していた。それはツァラの新聞の切れはしの詩や、アルプのちぎられ、ばらまかれた紙切れに劣らず、何といってもわたしたちがはたらきかけた真の状況であった。ひとつの葛藤にみちた状況!》――ハンス・リヒター『ダダ――芸術と反芸術』(針生一郎訳)

著者は偶然と反-偶然の相反する手法を、排他的関係にあるとは見ず、止揚すべき対立とも見ない。
両者はそのままで、ひとつの全体すなわちダダの部分を形作っていた、と。

Lens で英訳したものを、DeepL で日本語訳

だからあきらめないんだ。
ある人は言う。 ダダは悪くないから良いのだ
ダダは宗教であり、ダダは詩であり、ダダは精神性である。 ダダは魔法だ。 私はダダを知っている。
良くも悪くも宗教だ。
アジリティだろうが懐疑主義だろうが、どう定義しようが、だから君たちは死んだんだ。
私はあなたたちが死んだと誓う。
最大の謎は秘密だ。 だが
である。 決して

オリジナルの「みなくたばるのだ」が、「だからあきらめない」に変わってしまった。
伝言ゲームではよくあること。

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Lens で英訳したものを、さらに DeepL で中国語訳

这就是为什么你不放弃。
有人说。达达很好,因为它并不坏
达达是宗教,达达是诗歌,达达是精神。达是魔法。我认识达达
我的同事们,宗教,无论好坏。
敏捷或怀疑论,无论你如何定义,这就是你们都死了的原因。
我发誓你已经死了
最大的奥秘就是秘密。但
是。他们从不

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Google Lens による英訳

That's why you don't give up.
Someone said. Dada was good because it wasn't bad
Dada is religion, Dada is poetry, Dada is esprit. Da is magic. i know dada
My colleagues, for better or for worse, religion.
Spry or skeptic, no matter how you define it, that's why you're all dead.
And I swear you're dead
The great mystery is the secret. but
be. they never

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トリスタン・ツァラ著、小海永二・鈴村和成訳『ダダ宣言』(1970年、竹内書店新社)から。
原著は、Sept Manifestes Dada, Lampisteries(『七つのダダ宣言、ランプ製造工場』)。同じ内容は他の訳書でも読めるが、横組にひかれて購入。古書。
かなり売れたものらしく、自分が入手したのは1978年の第5刷。

《エッゲリングはわたしに素描をみせた。それはまるで誰かがわたしに、魔法の書をひらいてみせたかのようだった。わたしは即座に、なぜそうなったのかを〈了解〉した。(……)
わたしたちの目標と道程が、おどろくほど一致しているのに感動した二人は、たちまち友人となり、いつまでも友人でありつづけた。かれにとっては、これまでまったく無視されてきたかれの仕事をみて、わたしが興奮して保証したことが、わたしにとって探し求めていた芸術的可能性を、突然認識したことと同様に、衝撃的であった。》――ハンス・リヒター『ダダ』(針生一郎訳)

ヴィキング・エッゲリング「絵画の基調低音のための材料」1918
fr.wikipedia.org/wiki/Viking_E

《一九一五年、第一次世界大戦のはじめに、飢えにやつれた、うすいあばたづらの、ひどくやせて背の高い作家兼演出家が、スイスにやってきた。それはフーゴー・バルで、唄をうたい、詩を朗読することのできる女友だち、エミィ・ヘニングスをつれていた。》――ハンス・リヒター『ダダ――芸術と反芸術』(針生一郎訳)

ダダ運動の最初の拠点であるキャバレー・ヴォルテールが、演出家であるフーゴー・バルとパフォーマーである女友だち(後に結婚)によって設けられたこと。
ダダの演芸的体質。ダダについては本や雑誌で知ったことばかりだから、つい文芸をベースとする思潮あるいは運動と思いがちだが、むしろ演芸的側面を見るべきではないか。

Dada and Cabaret Voltaire - YouTube
youtube.com/watch?v=fkl92oV1kM

「自我を穴だらけのマント同様に脱ぎ捨てること」と、ダダ運動発祥の場とされるキャバレー・ヴォルテールの主人フーゴー・バルが書き残している。
johf.com/memo/046.html#2024.5.

自我を捨てる。壁抜けの有力な解ではないか。

コートを脱ぎ捨てて壁に入り込んだオノレ・シュブラックのケースをどう考えるか。着ているものを脱ぎ捨てて、姿を壁に溶け込ませたものの、壁に撃ち込まれた銃弾で殺されてしまったらしいのだが。

バルの言におけるマントとは自我の喩えであって、自我そのものではないこと。

不注意による誤記や論理の破綻はあるとしても、ミラーの攻撃性が言語システムに対して発揮されたことはなさそう。
小説であろうとする限り、統辞法には従わなければならない。
そこを踏み外すと、詩になってしまう。ダダにはその指向あり。

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これもミラー『暗い春』から。

《髪を逆立て、走らず、息もせず歩く男、風見鶏を持ったそいつは街の角々をすばやく曲がって逃げ出す。手段も目的も考えず、ただ、伸びたひげを刈り込んで、すべての星を左舷に見ながら暗い夜の下を歩くことだけ考えている。泥濘のなかで売りつけて、左から右へと同調させた落とし穴で原告の夜を目覚めさせ、冬の海は正午で、船上も空中もどちらを見ても右舷に向かって正午。またも風見鶏が、長い櫂とともに舷窓を通り抜けて、すべての物音が消されてしまう。四つんばいの夜はハリケーンのように音がない。キャラメルとニッケルダイスを詰め込んだ無音。モニカ姉さんはギターを弾いている、シャツの胸ははだけ、腰紐はずり落ち、両耳に広い縁をつけて。モニカ姉さんは石灰と歯磨きで縞々、目はカビが生え、叩かれ、叩かれて、銃眼状。》

もちろん既訳書は参考にしてるし、Google や DeepL 翻訳のサービスも試してるが、どうにもならない。
ダダですね。
時空が交錯し、事物が現実世界ではありえない仕方でつながっている。ヘンリー・ミラーがダダイズムやシュルレアリスムを名乗ったことはないらしいが、ダダはアメリカで完成したとする見方の根拠になりうる例。『暗い春』のかなりの部分がこんな調子で書かれている。

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