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ここでの花山天皇は、不在であることに価値といった存在だが――
fedibird.com/@mataji/112001247

じつはファンの多い天皇らしい。
以下、いずれも Twitter の『光る君へ』関連投稿から。

《テレビをもってないので大河ドラマを見ていないのだが、おれが大好きだった花山天皇が大河ドラマのせいでメジャーになっているらしく、ひじょうに悔しい。おれだけの花山だったのに。》―― twitter.com/zinofrancescatt/st

《花山院、お父上の冷泉院と共に、一部の人に大人気ですな。あの親子は濃い……。》―― twitter.com/spy_in_the_cab/sta

《それにしても花山天皇、輝きがすごい。白が似合うどころか、本郷奏多、発光してるやん。》―― twitter.com/kanaty1115/status/

《花山天皇の出家、「古典B」に入れてない会社がないってけっこうすごくない? 大修館・三省堂・筑摩・明治書院・東京書籍・教育出版・数研出版・文英堂・桐原、全部入ってた。》―― twitter.com/sempreviola/status [参照]

「実」の世界から「虚」の世界への招待という形で、寺山修司は出口を用意した。
観客を無理やり舞台に上げようとして問題になった『邪宗門』のヨーロッパ公演(1971年)がその代表例。
fedibird.com/@mataji/111677875

劇団員でない者を当人の同意なしに舞台に立たせるというアイデアは、寺山が演劇活動を開始する前からのものだったという。
ラジオドラマを書きはじめたばかりのころ、寺山が番組制作者に述べたこと。
《街頭でパッと人間を拉致するんだ。全然不特定の人。それで目かくしして車に乗せて三十分か四十分か街を走りまわる。それからどこか劇場の舞台の真ん中におくんだ。ベルが鳴り、幕があがって、スポットライトが当たる。そして目かくしをはずすと、その人物は「助けてくれ〜!」と絶叫するだろう。
「こんないい芝居はないだろう?」》――田澤拓也『虚人 寺山修司伝』

[参照]

『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』後半の「じつは」。
場所は江戸、隅田川岸。

切見世(下級の女郎屋)の亭主・鬼七、じつは藤原純友の遺臣・伊賀寿太郎。
鬼七の女房・お綱、じつは純友の侍女・苫屋。
切見世の女郎・三日月お仙、じつは苫屋が生んだ純友の遺児。
魚屋の海老雑魚の十、じつは頼光四天王の一人・渡辺綱。
切見世の路地番・喜之助、じつは渡辺綱の家臣・三崎の藤内。
貸し物屋の金六、じつは渡辺綱の草履取り・三田平。
獣屋(獣肉店)の権助、じつは渡辺綱の奴。

最後は、病の癒えた源頼光が鎮守府将軍として東国に赴任する途中、足柄山で坂田公時(おとぎ話の金太郎)を見出す舞踊劇。
猟師・斧右衛門、じつは源氏方の老臣・三田仕。
猟師・鉄蔵、じつは市原野の盗賊・鬼同丸。
馬子の胴六、じつは皇位簒奪を目指す勢力の一員・夜叉太郎国秀。
賤女・紅梅、同じく白梅、じつは源氏方からひそかに遣わされた頼光警護の娘たち。

中国地方の神楽団による神楽「葛城山(土蜘蛛)」
youtube.com/watch?v=dM1y6IwjQ6

はじめに源頼光が出て踊る。謡曲「土蜘蛛」の設定に従って、頼光は病んでいる。
頼光が引っ込むと、頼光四天王の碓井貞光、卜部季武が出て踊る。この顔ぶれは、渡辺綱、坂田公時に代わることもある。
貞光、季武が引っ込むと、女形の土蜘蛛が登場。これが女形になっているのは、頼光のための薬をもらいに出かけた侍女を、土蜘蛛が食い殺して入れ替わったから。
薬と称するものを土蜘蛛が頼光に与えると、いっそう病状が悪くなるが、頼光は刀を抜いて戦い土蜘蛛を追い払う。碓井貞光、卜部季武がふたたび登場。頼光は自分の振るった刀を「蜘蛛切丸」と名付け、貞光に授ける。
頼光、貞光、末武が退場すると、代わって土蜘蛛が登場。場が頼光邸から葛城山に移ったというこころ。
長い戦いののち、貞光、末武が土蜘蛛を倒して、完。

44分の長尺ビデオだが楽しい。演者も演技も衣裳もいい。

謡曲「土蜘蛛」の続き。

千筋の糸を投げつけてくる妖怪を、頼光が枕元の刀でなぎ払うと妖怪の姿は消え、残るは血の跡ばかり。このとき使われた刀は膝丸といったが、頼光はこれを期に蜘蛛切丸と変えることにする。歌舞伎の『戻橋背御摂』で各派が奪い合う蜘蛛切丸がこれ。

「土蜘蛛」の後半は、頼光の家臣たちによる葛城山の土蜘蛛退治。
土蜘蛛は討たれて終わるが、『戻橋背御摂』の設定ではこの土蜘蛛を女郎蜘蛛とし、その妖術を将門の娘・七綾姫が引き継いだとする。

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謡曲「土蜘蛛」の前半。
病に伏している源頼光を見知らぬ僧形の者が訪れる。じつは蜘蛛の妖怪である。

僧 「いかに頼光、御心地は何と御座候ぞ
頼光「不思議やな、誰とも知らぬ僧形の深更に及んで我を訪ふ。その名はいかにおぼつかな
僧 「おろかの仰せ候や。悩み給ふもわがせこが来べき宵なりささがにの
頼光「蜘蛛の振る舞いかねてより、知らぬといふになほ近づく。姿は蜘蛛の如くなるが
僧 「かくるや千筋の糸筋に

僧の出現を怪しむ頼光に、僧が「愚かなことをいうものだ。そなたが病に苦しんでいるのは蜘蛛のせい――」と言いかけると、頼光は「そんなものは知らぬ」と返すのだが、僧は正体をあらわしてさらに近づき、蜘蛛の糸を投げかけて頼光を絞め殺そうとする。

ここにある「わがせこが来べき宵なり」以下のフレーズは、『古今集』にある衣通姫(そとおりひめ)の恋歌「わがせこが来べきよひなりさゝがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも」の転用。今夜はきっとあの人が来てくれる、蜘蛛のようすでそれがわかるの――というほどの意。

権威の不在ということは、頼光四天王の主人である源頼光についても言える。

武家の棟梁であり、朝廷の守護である頼光が病で伏せている。
そこでこの『戻橋背御摂』では、弟の頼信が兄のポジションを代行し、皇位の簒奪をはかる黒髭公に取り入るため、家の宝剣(じつは偽物)を贈ろうとしたり、恋人の鶴の前をめぐって髭黒と争ったりする。

頼光が病んでいるのは南北の独創ではなく、病の因を葛城山の土蜘蛛とする謡曲「土蜘蛛」の設定を利用したもの。
同じ設定は歌舞伎や読み物で広く使われたようで、頼光の枕元に僧形で現れた蜘蛛の妖怪がかける台詞「わが背子が来べき宵なり、ささがにの――」が、『戻橋背御摂』では田舎娘お岩(じつは平将門の娘七綾姫)の台詞に取り入れられている。
南北の師・初世桜田治助の舞踊劇「蜘蛛の拍子舞」も謡曲「土蜘蛛」に拠っており、「わが背子が――」のフレーズで歌がはじまる。

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「今夜、花山の古御所で会合して計略をめぐらしたい」
との密書が袴垂保輔から平貞盛に送られてくる。これが序幕の「諸羽社の場」でのことで、『戻橋背御摂』のストーリーの一筋が「花山の古御所」に向かうだろうことが当初から示唆されている。
計略をめぐらす場所を古御所としたのは作者の恣意。ストーリー展開のうえでの必然といったものはない。何の計略をめぐらすかも不明。

南北にとって、花山の古御所とは何か。
権威の不在を象徴するイメージ、それがこの古御所だろう。帝が御所を捨てて行方知れず。残されて荒れ果てた御所。そのアナーキーが南北好みなのではないか。
事実としての歴史をたどれば皇位の空白は埋められるが、南北はそれをしない。アナーキーなまま放置して、その上に『戻橋背御摂』を組み立てている。
代わって空位を襲うのが、髭黒の左大将道包という悪役。『戻橋背御摂』前半の時と所はあちこちしているかのようだが、よく見れば髭黒公の皇位僭称に至る一日二日のこと。

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その後、宝剣・蜘蛛切丸は転々とする。

本物の蜘蛛切丸が盗み出され、源家の武士・加藤忠正が取り返す。やがて忠正は宝剣を所持したまま袴垂保輔を追って、「花山の古御所」に走り込む。
花山の古御所とは、愛妃を失くした花山天皇が悲嘆のあまり出家してしまい、主をなくした御所跡。いまは荒れ果て妖怪の棲家となっている。ここに、経櫃に潜んだ袴垂が手下の手で運び込まれている。
忠正は手下を切り倒すが、ふいに出現した蜘蛛の妖力により、自分の腹に自分の刀を突っ込んでしまう。蜘蛛は忠正の刀を奪って、忠正の首を撃ち落とす。
経櫃が四方に割れて袴垂が出てくる。
ついで将軍太郎良門が床下から現れる。
蜘蛛の精は灰色の十二単に姿を変えている。じつは将門の娘・七綾姫である。
七綾と良門は母の異なる姉弟だが、この時点ではたがいの面識はない。

暗闇のなか、三人による手探りの立ち回り。
床に落ちている袋入りの蜘蛛切丸を良門が拾い上げ、袴垂との奪い合いになって、鞘は袴垂の手に。
白刃の現れた蜘蛛切丸に恐れをなして、蜘蛛の精(七綾)は姿を消す。

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諸羽社の境内で二人の男――瀧夜叉と源家の家臣――が争っている。
源家が神前に納めておいた宝剣・蜘蛛切丸を瀧夜叉が盗み出し、それを家臣が奪い返そうとしていることが、二人の台詞でわかる。瀧夜叉は当て身をくらわして花道を逃げ、家臣も息を吹き返してあとを追う。

端役以外のほとんど全員が正体を偽っている『戻橋背御摂』の、これが幕開け。
この冒頭ですでに偽りが仕込まれていて、まず、この蜘蛛切丸は本物ではない。本物は神殿の奥深くに隠されていて無事。
また瀧夜叉は、盗賊・袴垂保輔の手下を自称するが、じつは源家側の一員。

この場における宝剣の争奪自体が、源家が仕組んだ疑似イベント。
ある事情で、源家は蜘蛛切丸を髭黒ノ左大将道包に差し出さなければならないが、本物は渡したくない。このイベントは偽物を本物に見せかけるための工作で、ほどなく別の源家の家臣が瀧夜叉を捕らえ、(偽の)宝剣とともに戻ってきて、これを本物であるかのように人びとの前で披露することになる。

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鶴屋南北の『戻橋背御摂』は、文化10年(1813)に初演された顔見世狂言。
ジャンルは通俗史書の『前太平記』から材料をとった前太平記物。
このジャンルの基本型は平将門残党と源頼光ひきいる源氏方の戦いだが、この芝居の前半では、これに加えて帝位を僭称する髭黒左大将の一派、さらに盗賊として資金を稼いで天下を握ろうとする袴垂一味の四勢力が入り乱れて争う。
arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/ind

この戯曲の「じつは」な人物設定を、前半の実質的大詰め「一番目六建目 摂津介頼光館の場」で見てきたが、同様の設定はじつはこの戯曲全体を通じてのもの。いちおうの台詞と見せ場を与えられているような人物は、ほぼ全員が身分・身元を偽っている。

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訂正
[誤] 原稿台本
[正] 現行台本

現在おもに利用されている台本は、「音菊天竺徳兵衛(おとにきくてんじくとくべえ)」の外題でも上演される『名作歌舞伎全集』第九巻所収版という。上の人間関係もこれに拠った。

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じつにじつはな『戻橋背御摂』の人物たち

上使A、じつは市原野の乞食頭・つづれの次郎で、これより先に煙草売りのふりをして館に入り込んでいた女乞食の仲間だが、それも仮の姿でじつは盗賊の首魁・袴垂保輔。
上使B、じつは平将門の遺児・将軍太郎良門。
頼光の北の方・園生の前、じつは用心のため頼光側が立てた代役で、武家のむすめ三崎。
頼光の弟・美女丸、じつは頼光家臣のむすめ小式部。
まとめて言えば、この頼光館の場で相愛関係を結んだ全員が偽物。

上手の部屋でできてしまった袴垂と三崎は、じつはいいなずけ同士であったことが判明して婚礼の式がはじまるが、そこにかつて袴垂と情をかわしたことのある田舎娘・お岩が乱入して、
「ほんにマア、なんの因果で都へのぼり、つらい憂き目に逢うぞいな。やっぱり在所で麦畑の霜ふみつけがましじゃもの。情けない身になったわいナア」
と嘆くが、このお岩がじつは平将門のむすめ七綾姫で、将軍太郎良門の異母姉。

二人の上使に先立って頼光館を訪れ、やはり難題を持ちかけていた尊国君が頼光の子を刺し殺すが、じつは殺されたのは七綾姫と袴垂の子。
その尊国君、皇位簒奪の一派に与すと見せかけて、じつは源氏の武士・秦の次郎正文。

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二人の上使の真偽がつかないまま場面が変わって、接待の場になる。上使たちはそれぞれの好みでくつろいでいる。
上手の部屋では最初の上使Aが、長裃のまま鉢巻をしてあぐらをかき、茶碗酒を飲みながら、火鉢にかけた小鍋で料理をしている。

下手の部屋ではあとから来た上使Bが、やはり長裃のまま花盆に山茶花を生けている。上使Bの部屋に腰元たちが世話をしにやってくると、Bは「女は嫌いだ、近寄るな」といって追い払う。
かわりに頼光の弟美女丸があらわれると、上使Bはごきげんになって美女丸に寄り添う。Bが美女丸のふところに手を入れると乳房が触れて、じつは美女丸は女とわかる。「女でもいいか」とBの気持がかわって、二人はその場でできてしまう。

上使Aの部屋では園生の前がみずから相手をする。酒を飲むうちに、園生の前は窮屈だといって緋の袴を脱ぎ、上使Aも裃を脱ぎ捨てて、この部屋でも二人はできてしまう。

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鶴屋南北の戯曲の一場面。

都の守護をになう源頼光の館に上使がやってくる。
頼光は病気で臥せっているため、かわりに奥方の園生の前が応対する。
上使は三田源太広綱と名乗り、頼光が所持する名剣「蜘蛛切り」と「鬼切り」の二刀を差し出すよう求める。刀は何者かに盗まれて館にはないのだが、園生の前は「後刻さしあげまする」とこたえて引き伸ばしをはかる。
あれこれあるうちに別の上使がやってきて、はじめの上使と同じ三田源太広綱を名乗り、同じ二振りの刀を求める。

二人の上使が同じ用件でやってくる。
同様の場面は、このところ見てきた『天竺徳兵衛韓噺』にもあり、そこでは二人のうち一人は徳兵衛の扮する偽物だったが、これから見る『戻橋背御摂』では、二人の三田源太広綱はどちらも偽物。

『戻橋背御摂(もどりばしせなにごひいき)』の粗筋が立命館大学のサイトにある。このうち問題の場面は「一番目六建目 摂津介頼光館の場」。
arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/ind

天竺徳兵衛が父親から受け継いだ日本への敵意は、当時の国際情勢に対する南北の認識にもとづくとするより、芸能その他の表現活動を抑圧する政府・警察への南北自身の叛心に裏打ちされたものと見たい。

《歌舞伎の歴史をながめるとき、私はいつも奇異の感にうたれます。
 出雲の阿国が京都の四条河原で歌舞伎躍(かぶきおどり)の興行に成功したのは、慶長八年(一六〇三)のことで、これが歌舞伎のはじまりとされていますが、その同じ年の二月に、徳川家康は征夷大将軍になり、江戸幕府の基を開いているのです。
 歌舞伎と徳川幕府、言い換えれば民族演劇と封建政治権力との、二つの相いれない宿敵同士が、同じ年にその出発点を持ったということは、歌舞伎の運命を象徴する出来事であるかのように私には思えてくるのです。》――武智鉄二「〈かぶき〉はどんな演劇か」

この「相いれない宿敵同士」の抗争を南北は引き継いだ。四条河原の歌舞伎躍から200年。

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七草四郎から、天竺徳兵衛、自来也へ

《蝦蟇仙人を日本の文芸に取り込んだもっとも早い例は、享保4年(1719年)に初演された近松門左衛門作の浄瑠璃『傾城島原蛙合戦』である。この作品は島原の乱を題材にした「天草軍記もの」に連なる作品で、天草四郎を下敷きにした「七草四郎」というキャラクターが初めて登場した。七草四郎は蝦蟇の妖術を用いて反乱を試みる。歌舞伎における「天竺徳兵衛」の、「蝦蟇の妖術」「異国」「謀反人」の要素の組み合わせは、七草四郎から受け継がれたものである。
(……)『天竺徳兵衛韓噺』で「天竺徳兵衛」の物語が一つの確立を見たあと、「蝦蟇の妖術使い」の物語は「自来也(児雷也)もの」に継承されていくことになる。「自来也」の初出は文化3年(1806年)刊行の感和亭鬼武の『自来也説話』で、この作品の自来也は義賊であった。》――「天竺徳兵衛 - Wikipedia」
ja.wikipedia.org/wiki/天竺徳兵衛#ci

最近の『天竺徳兵衛韓噺』の上演は、昨年10月、歌舞伎座で。
以下はその劇評から引用。この説には同意できないが、いろいろ考えさせられて興味深い。

《この芝居は朝鮮、キリスト教国と日本の国際的な政治闘争と、その中での国際結婚が問題なのである。この芝居の初演の時には、あまり早替わりやけれんの仕掛けが鮮やかなためにキリシタンバテレンの魔法が使われているという評判が立って町奉行所が手入れをしたという。今まで私は、これが南北や劇場側の宣伝だったとする通説を信じて来た。しかし今日この芝居を見ていて私は、南北は案外本気で朝鮮やキリスト教国の脅威を感じていたのではないだろうかと思った。少なくとも国際間の国民感情の齟齬を指摘したかったのではないか。》――「2023年10月歌舞伎座 - 渡辺保の歌舞伎劇評」
watanabetamotsu.com/2023年10月歌舞

父親の宗観が徳兵衛に伝えた巨大ガマを出現させる呪文

  南無さったるまグンダリギャ
  守護聖天、守護聖天
  はらいそ、はらいそ

キリシタンのオラショ(祈祷文)めかして適当に作ったものだろう。
このような劇中でのキリシタン臭に加え、南北は宣伝でも同様の空気を匂わせ、早替りの場面でキリシタンの妖術が使われているとの風聞を流したとのこと。そのため奉行所の役人が検分に来るなどして、さらに評判が拡大したと伝えられている。

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