『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』は四世鶴屋南北の出世作と言われるもの。遅咲きの南北は当時50歳。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天竺徳兵衛#cite_ref-buknka_youkoso_063_84-3
播州高砂の船頭・徳兵衛は風に吹き流されたあげく唐・天竺まで経巡って5年ぶりに帰国するが、故郷を前にした九州で事情聴取のため佐々木家の家老・吉岡宗観の屋敷に留め置かれる。
宗観の顔を見た徳兵衛が、「死相がある、今日中にあなたは剣難で死ぬ」と指摘する。
その日のうちの死を覚悟していた宗観は、予言の内容には驚かないが、徳兵衛がその予言をしたことに驚く。というのは、宗観には3歳のおりに手放した子があり、その子が成人して困らないよう、観相術を学ぶ機会を講じておいたからである。
やがて父子であることを確認した徳兵衛に対し、宗観はさらに驚くべきことを打ち明ける。
じつは自分は日本人ではない。もと朝鮮国王の臣であり、国の仇に復讐するするため日本に渡ってきた。お前も我が志をついで日本を滅ぼせ。そのように言って、宗観は徳兵衛にガマの妖術を授ける。
『天竺徳兵衛韓噺』には多くの異版があり、人名、地名、ストーリーに出入りがあるが、原稿台本で軸となるのは上のような人間関係。
自来也という名は中国の我来也(がらいや)に由来する、と岡本綺堂のエッセイ「自来也の話」にある。いったんは本人として捉えられた我来也が、名奉行とされた人物を策略にかけ、こそ泥として杖罪で解き放たれる話。
「自来也の話」は青空文庫で読める。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/56510_52778.html
《日本の物語作品に自来也が初めて登場するのは、感和亭鬼武(かんわてい おにたけ)による読本『自来也説話』(文化3年<1806年>刊)である。自来也は義賊で、その正体は三好家の浪士・尾形周馬寛行(おがた しゅうま ひろゆき)。蝦蟇の妖術を使って活躍する。
「自来也」は、宋代の中国に実在し、盗みに入った家の壁に「我、来たるなり」と書き記したという盗賊「我来也」(沈俶『諧史』所載)を元にしたとされる。自来也の物語は歌舞伎や浄瑠璃に翻案された。》
https://ja.wikipedia.org/wiki/自来也
『忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)』で古御所の屋根に現れた滝夜叉姫はガマを従えている。ガマは火を吐く。
『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』の徳兵衛も崩壊した建物の屋根に現れて、こちらはガマに乗っている。ガマが火を吐くのは同じ。
https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/youkoso/youkoso_063.html
どちらの演目も屋体崩しにガマが伴う。特別なわけでもあるのか。
自来也とのかかわりは?
《世界に先駆けて発明された廻り舞台をはじめ、『楼門五三桐』の山門の迫り上げや『青砥稿花紅彩画』の大屋根の‹ガンドウ返し›、『忍夜恋曲者』の屋体崩しなどのように、巨大な大道具が俳優の演技と一体となって動き出す面白さは、大道具の大きな魅力である。もちろん、現代の歌舞伎は、近代化の苦闘を通じて作品のテーマや全体の統一性の大切さを知っている。それでもなお大道具大仕掛けや華麗な衣裳の誇示、宙乗りなどを温存してきたのは、これが歌舞伎の本質的魅力であり、かつ作品のテーマやモチーフにふさわしい使い方を選んでいるからである。『楼門五三桐』で五右衛門が迫り上がるのは天下を覆さんとする叛逆のヒーローの巨大な図像化であり、『忍夜恋曲者』の屋体崩しは叛逆の夢が挫折する表徴である、というように。》――日本俳優協会『歌舞伎の舞台技術と技術者たち』
屋体崩し、または屋台崩し。
歌舞伎用語。劇の山場で、建物を崩壊させるスペクタクル。
崩れ落ちた屋根の上に主要人物が現れ、見えを決める。
たとえば舞踊劇「将門――忍夜恋曲者」の場合、主要人物は平将門の遺児・滝夜叉姫と将門の残党狩りに都から下ってきた大宅太郎光圀。クライマックスで将門の古御所が崩壊する。
参考:
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1152
深みにはまらないうちに、どう寺山を切り上げるか。
少なくとも『壁抜け男――レミング』を自分なりに理解してからと思っていたが――
《ラストシーンで、すべての硝子は割れ、書店中の書物は散乱し、スピノザの世界は崩壊している。一枚の鏡の破片にうつる、顔はスピノザだが、そのうしろ姿は別人のように見える。がっしりと肩幅のひろい中年男は、もはや、スピノザではない。
群衆の中へ、逃げこんでゆく、「顔がスピノザで、体が他人」の父親を、カメラは追いかける。
スピノザは、人ごみの中に、見え、かくれ、そしてとうとういなくなる。》――寺山修司「唯一の書物」(『夜想』16)
シナリオを手がかりに読み解いた映画『レゾートル――はみだした男』の評だが、『壁抜け男――レミング』の最後を思わせるものがある。寺山版『壁抜け男』の全体は消化できなくても、その末尾から抜け出せばいいのでは。
天井桟敷の第1回公演が「青森県のせむし男」(1967年)。
大正家の息子が女中のマツをはらませる。
世間体を恐れた大正家はマツを入籍させるが、マツが子を産む前に息子は旅先の上海でコレラにかかって死ぬ。
マツが猫の子を産んだとして、子は殺されることになるが――
《本州の北の崕、暗く侘びしい青森県に棲む母と子というイメージを提出することによって、寺山修司はここですでに「寺山修司という物語」のための布石をしているのである。何のために? 運動に偽の中心を与えるために。(……)寺山修司という虚構を真正面に打ち出すこと、それが寺山修司の戦略だった。》――三浦雅士「寺山修司を記述する試み」
仙術の修行は年月を要すること。
列子は老商氏を師とし、伯高子を友として、この二人の道をきわめ、風に乗って帰ってきた。それを聞いた尹生という者が列子に弟子入りし、風に乗る術を教えてくれるよう数カ月のあいだに十遍も頼んだが、教えてもらえない。――という話が『列子』黄帝篇にある。
列子を恨んで家に帰った尹生だったが、再び弟子入りして教えを請うた。
すると列子は次のように言った。
自分は老商氏と伯高子に学んで3年後、心に是非を思わず、口に利害を言わなくなって、はじめて師がちらっとこちらを向いてくれた。そして5年後にはかくかくのことがあって、ようやく師はにっこりされ、さらに7年後、こうこうのわけで師の部屋で同席することを許された。
9年たって、考えたいように考え、言いたいように言っても、その是・非、損・得は気にならず、師が師であるとか、友が友であるとかも気にならず、内・外、自・他を区別する意識もなくなった。
かくてはじめて、木の葉が風に舞うように東西することができるようになった。今や、自分が風に乗っているのか、風が自分に乗っているのかも知らない、と。
以後、尹生は二度とそのことを口にしなくなった。
《フランドル地方のことわざ(ブリューゲルは、他の作品でフランドルのことわざを表現した絵を描いている。)に、「それでも農夫は耕し続けた」という言葉があり、苦しんでいる者への人々の無関心を表していると解釈できる。(……)この絵は、イカロスの死には見向きもされず、日々の暮らしが営々として続いている場面を描くことにより、他人の苦難への人間の無関心を描こうとしているのかもしれない。》――イカロスの墜落のある風景 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/イカロスの墜落のある風景
画面右下、海面に足だけ見えているのがイカロス。
ダイダロスは脱出に成功する。
ただし、迷路をたどって出口をみつけたのではなく、翼を自作して迷宮の窓から飛び出したのであり、いわば迷路ゲームのルールに違反しての脱出。
おまけに息子は死なせてしまったし。
https://johf.com/memo/014.html#2021.8.11
《ミーリア叔母さんがすっかり頭が変になっていて、通りの角まできたとき馴鹿(トナカイ)のように飛びあがって、月をひと口食いちぎるなどとは誰も思っていなかった。(……)「月、月」とミーリア叔母さんは叫んで、それと同時に、魂がからだから飛びだし、一分間に八千六百万マイルの速力で月に向かって突進していって、だれもそれを留めるのに必要な速さで考えることができなかった。星がひと瞬きするうちに、そういうことが起こってしまったのだった。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』(吉田健一訳)
これも「仕立屋」の章から。
続くくだりは、叔母さんを精神病院に届けるよう言いつけられたわたしの目で長々と語られて、次のように終わる。
《わたしは行かなければならない。駆けて行かなければならない。しかしわたしはまだ一分間もそこに立って、ミーリアのほうを見ている。その眼は驚くほど大きくなって、夜のように黒く、なぜこんなことになったのかどうにもわからないようすでわたしの方を見つめている。狂人や白痴はあんなふうに人を見はしない。天使か、聖者でなければあんな眼つきはできない。》
《温度は零度までさがっていて、馬に片腕を噛み取られてしまった狂人のジョージが、死人の古着を来ている。零度で、ミーリア叔母さんが帽子のなかに入っていたはずの小鳥を捜しまわっている。零度で、曳き船が港であえぎ、浮氷がかち合い、煙の細長い筋が曳き船の前後に巻きあがり、風が一時間七十マイルの速力で吹き、何トンも何トンもの雪が小さな雪片に砕かれて、そのどの一ひらにも短刀が隠されている。窓の外にはつららが栓抜きのようにさがり、風が唸り、窓ががたがたいう。ヘンリー叔父さんは、「中学五年万歳」を歌っている。胸がはだけ、ズボン吊りははずされ、額に青筋がたっている。「中学五年万歳」》――ヘンリー・ミラー『暗い春』(吉田健一訳)
「仕立屋(The Tailor Shop)」の章から。
「中学五年万歳」の原文は Hurrah for the German Fifth。それと思われる歌詞が「アメリカの古い歌」と題してネット上にある。
https://www.traditionalmusic.co.uk/songster/pdf/02-the-german-fifth-song-lyrics.pdf