1924年夏、宜昌の港には、アメリカ2、イギリス3、中国1、日本1、計4カ国7件の商館があり、また6カ国の砲艦が停泊して自国民の保護にあたっていた。――とアリス・ホバートの長編小説『揚子江』の一節にあり。同書は揚子江での汽船就航に賭けたアメリカ人一家のファミリーヒストリー。航路の開拓には成功するが、最後は日本軍によって追い払われる。
『揚子江』というタイトルにひかれて、もしやと流し読み。ミラー『暗い春』の、ダウ船で揚子江を遡るとか、アメリカの砲艦が捨てた残飯とかのイメージのソースかもと思ったのだが、はずれ。ともかくこの時期、小説や映画もまじえて大量の中国情報がアメリカにも流れこんでいた。パール・バック『大地』なども。
揚子江 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1244269/1/24
Hobart, Alice (Nourse) Tisdale | Encyclopedia.com
https://www.encyclopedia.com/arts/news-wires-white-papers-and-books/hobart-alice-nourse-tisdale
宜昌市 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/宜昌市
これもミラー『暗い春』から。
《髪を逆立て、走らず、息もせず歩く男、風見鶏を持ったそいつは街の角々をすばやく曲がって逃げ出す。手段も目的も考えず、ただ、伸びたひげを刈り込んで、すべての星を左舷に見ながら暗い夜の下を歩くことだけ考えている。泥濘のなかで売りつけて、左から右へと同調させた落とし穴で原告の夜を目覚めさせ、冬の海は正午で、船上も空中もどちらを見ても右舷に向かって正午。またも風見鶏が、長い櫂とともに舷窓を通り抜けて、すべての物音が消されてしまう。四つんばいの夜はハリケーンのように音がない。キャラメルとニッケルダイスを詰め込んだ無音。モニカ姉さんはギターを弾いている、シャツの胸ははだけ、腰紐はずり落ち、両耳に広い縁をつけて。モニカ姉さんは石灰と歯磨きで縞々、目はカビが生え、叩かれ、叩かれて、銃眼状。》
もちろん既訳書は参考にしてるし、Google や DeepL 翻訳のサービスも試してるが、どうにもならない。
ダダですね。
時空が交錯し、事物が現実世界ではありえない仕方でつながっている。ヘンリー・ミラーがダダイズムやシュルレアリスムを名乗ったことはないらしいが、ダダはアメリカで完成したとする見方の根拠になりうる例。『暗い春』のかなりの部分がこんな調子で書かれている。
列子が用いた「種」と「機」は同じことの二つの側面で、「種」が物としての側面、「機」がメカニズムの側面。
ここでの列子の言は「万物皆出於機、皆入於機」と締めくくられ、すべての物は「機」によって生じ「機」に帰るの意だが、「種」に置き換えても同じ。すべては「種」から生まれて「種」に帰る。
この締めくくりを敷衍したような表現がミラーの『暗い春』にある。
こちらでは、用語「芽」が「種」と「機」を兼ねている。
《肉体の耐久力には限界があると人は思うかもしれないが、じつは限界などない。我々の身体はどんな苦痛をも超越した高みにあり、何もかもが死滅したあとも、足の指の爪とか、ひとつかみの髪の毛ぐらいは必ず残って、それが芽を出し、永遠に残っていくのはそうした不滅の芽なのである。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』「中国彷徨」
マッハが引用した列子の言葉は『列子』天瑞篇にある。
列子が越の国に行ったときのこと、途中、道端で食事をしながらふと見ると、死んで百年は経たと思われるドクロがころがっている。そこで列子はヨモギを抜いてドクロを指し、弟子に向かって曰く、「この私とドクロだけがわかっているのだ、何物もいまだかつて生起したことはなく、いまだかつて死滅したこともない、と。はたしてこのドクロは、死を悲しんでいるのか、よろこんでいるのか。およそ種子には機というものがあり……」
種子の「機」とは、変化の働き、メカニズムといった意味らしい。『列子』はこれにつづいて、水気のあるところでは種子は水垢になり、あるいは水草となり、土の上で育つと草になり、その根は虫となり、葉は蝶となり、…と変化の例をつらねて、万物は種子から出て種子にかえるとする。
人の生死もそのメカニズムの過程にすぎず、よろこんだり悲しんだりするものではない。言外だが、これが結論。
マッハが『列子』を読んでいたこと。
《私共は、未来における科学のすがたを確然と描き出すことはできません。しかし、人間と世界を隔ててきた壁が次第に消えるであろうということ、人間が己れ自身に対してだけでなく、すべての生あるものに対して、いや、いわゆる無生物に対してすら我利我利な態度をすてて温かい気持で接するようになるであろうこと、こういうことは予感するに難くありません。二千年も前に支那の哲学者列子はこういう予感を抱いていたのかもしれません。彼は古びた舎利を指さしながら、表意文字で記される簡勁な文体で、弟子達に向かって次のように説いたのであります。「彼と我のみぞ知る。我等生けるにも非ず、死せるにも非ず。生死の境なし」と。》――エルンスト・マッハ「科学の基本的性格――思惟経済の体系」(廣松渉編訳『認識の分析』)
マッハは、エルンスト・ファーベルによるドイツ語訳(1877年)で『列子』を読んでいる。
ファーベルは長く中国に滞在した宣教師、中国学者
https://de.wikipedia.org/wiki/Ernst_Faber
《私は子供のころ絵に陰影をつけるのは不当で事実を枉げる行為だと思った。輪郭画のほうがずっとましだと思った。どの民族も、例えば支那人のように、進んだ絵画技術をもっているにも拘わらず、全然影をつけなかったり、ほんの一寸しか影をつけないという事実は、これまた周知の通りである。》――エルンスト・マッハ『感覚の分析』(須藤吾之助・廣松渉訳)
石膏デッサンの不思議。
なぜ美術教師はあんなにも線を嫌ったか。
「面を区切る線などはない、よくご覧、あるのは影の濃淡だけだろう」
という彼らの言い分は、物の輪郭という脳内事実を無視している。
面を区切る線は存在する。脳内事実として存在する。これがなければ、漫画、子供の描く絵、ラフスケッチ、設計図、総じて線画は成り立たない。教師の指導下で行なわれる石膏デッサンの場合でさえ、普通は輪郭線を描いてから濃淡をつけていく。まず影の濃淡からはじめて、結果として輪郭に至るなどという手順を踏む者は皆無だろう。
マッハ(1838-1916)はオーストリアの物理学者・生理学者。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エルンスト・マッハ
上の引用に「例えば支那人のように」とあり。
背景に、19世紀後半からの、中国文化のヨーロッパへの紹介の急増。
『感覚の分析』は1885年初版。
「三角帆の船」と訳したが、原文は「dhow」。
《ダウ船(ダウせん、英語:dhow)は、アラビア海・インド洋で活躍した伝統的な帆船。主に中東アジア、インド、東アフリカ等の沿岸で使用された。外板を固定するための釘を一切使わず紐やタールで組み立てることが特徴。》――ダウ船 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダウ船
画像は Google 検索
https://www.google.com/search?q=dhow
コメント欄から
鲁迅先生从此以后,决定放弃学医。
魯迅はその後、医学の勉強をあきらめることにした。――DeepL 翻訳
它只能看,还能怎样?! 记得鲁迅先生《狂人日记》里的“我”么?
ただ見ることしかできない。魯迅の『狂人日記』に出てくる「私」を覚えているだろうか?――DeepL 翻訳
虽然时代不同了,鲁迅已久远,但民众的参与始终是国家治理永恒的必须的选项。面对不公,不合理,每个人都要大胆喊出来,而不是做沉默的看客!
時代は変わり、魯迅がいなくなって久しいが、国民の参加は常に国家統治にとって永遠かつ必要な選択肢であった。 不正や理不尽に対しては、誰もが黙って傍観するのではなく、大胆に声を上げなければなりません。――Google 翻訳
2018年9月7日19:16:42 经济学家马光远在微头条转发了一张图片。图片中一头猪从猪圈的墙边探出头来看---- 看到的景象是一群人正在宰杀处理另一头猪。马光远对此图片没有做任何解释。但是此图片却引来众多网友围观,并发表了各种各样不同观感。在这里转发部分网友评论
https://www.sohu.com/a/252706439_126758
解奴辜(?—?),中國東漢方士。籍貫不詳。
解奴辜和張貂,不知是何郡國人。史稱壓能隱形,不從門出入。解奴辜能變易物體形狀,用幻術騙人。
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/解奴辜
「かいどこ」とでも読めばいいのか。解奴辜という方士がいたと台語版 Wikipedia にあり。
出典は『後漢書』とのことで、ネット上の他の版とあわせ読むと、解奴辜は後漢末の幻術師。呼び名、出身地、生没年、いずれも不詳。姿を隠すことができ、門戸を通らずに出入りした。物体の形状を変えることができ、もって人を幻惑した――といったところになる。
門戸を通らずに出入りというのだから、これも壁抜け術と見ていいだろう。
Mastodon難しいです。
検索やフォローなどの基本的なことさえまだわからない。
ある日、皆でクリーニングの仕上がりを取りに店を訪れた私たちは、その中国人にひどく驚かさせることになった。彼は私たちに仕上がり品を渡すと、帳場の下からレイシの実をたくさんつかんで、笑いながらドアから出てきた。
そして笑ったまま、いきなり一人の耳を引っ張った。さらにつぎつぎに私たちをつかまえては、にやにやしながら耳を引っ張ったかと思うと、急に残忍な表情を浮かべ、帳場に飛び込むや長い不格好なナイフを取り出してきて、切っ先を私たちにむけて振り回した。
私たちはわれさきに店を飛び出した。街角まできて振り返ると、彼はアイロンを手に何事もなかったような顔で入り口に立っていた。
ミラーが同じ『南回帰線』の中で、「中国人のような異常な人生」とか、「不自然に活発で、不自然に健康で、不自然に冷淡」などと中国人の属性を述べるとき、そこには賛嘆の気持がこめられているのだが、このクリーニング店員の振る舞いとどうかかわっているのだろう。
私はある偽名を使って詐欺をはじめた。
香港では書籍販売人として身分登録し、教養をつけたがっている中国人宅を一軒残らず訪れた。財布の中はメキシコ・ドルでいっぱい、ホテルではハイボールでも注文するみたいに女を注文したが、中国人を騙すのはやさしすぎて面白くなくなり、マニラに移って同じ商売をつづけた。――
などと、ミラーの『南回帰線』にある。ただし、フィクションのはず。
中国や中国人に人の生き方の理想を見るようなことを述べる一方、20世紀前半の現実世界で出会う中国人や、出会う可能性のある中国人については、ミラーは賛美していない。
同じ『南回帰線』に、少年時代のニューヨークでのこととして、次のようなスケッチがある。
女の子のような年上の男の子がいた。私たちはその子を地面に引き倒して服をはぎ取ったりした。ゲイボーイがどんなものか私たちは知らないまま、なんとなく反感を持っていた。
私たちは中国人にも反感を持った。
街はずれの洗濯屋に中国人が一人いた。
教科書にのっている苦力(クーリー)の写真にそっくりの顔で、弁髪をうしろに垂らし、両腕を服の中に入れたまま、妙に気取った女性的な歩き方をした。彼は悪口にも無関心で、侮辱に気づかないほど無知のようにも見えた。ところが――
《私は旧世界の人間であり、風に乗って移植された種であり、キノコのものにすぎないアメリカのオアシスでは開花しそこなった種である。私はかつての巨樹の系統に属している。私の恭順は、肉体的にも精神的にも、その昔、フランク人、ガリア人、バイキング、フン族、タタール族などであったヨーロッパの者たちにある。私の肉体と魂にとっての風土は、素早さと腐敗のあるここにある。私はこの世紀に属していないことを誇りに思う。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』
アメリカ大陸を左端に置き、日本を含む極東を右端に置いた地図上で考えると、上の言はよりイメージをともなって理解できる。
私の郷土はここアメリカではない。郷土はヨーロッパである。さらにその由来をたどれば、ユーラシア大陸のかなた、匈奴や韃靼の極東がわが郷里である。私は東方からやってきた。
紫大納言の場合
これも坂口安吾の短編「紫大納言」に描かれた「ぜい肉がたまたま人の姿をかりたように」太った色好みの大納言も、自分をほどいてしまった人物か。
青空文庫の「紫大納言」
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42764_33439.html
「風博士」も「紫大納言」も、人の消滅を描いて笑話的に終わる。
とはいえ、博士や大納言をおとしめて終わるのではない。かといって、嘆くわけでもない。あはは、そんなわけで消えてしまいました。人物たちもそのように終わり、小説自体もそのように終わる。
死を悲劇的なものとは見ない。『荘子』や『列子』の死の認識に通じる。ミラーの死生観とも。
風博士の場合
坂口安吾の短編「風博士」の主人公も、自分をほどいてしまった人物に見える。
なにしろ、風になってしまったのだから。
その結果をどう評価するか。
風博士は憎むべき蛸博士に復讐を遂げたと言えるのか。思いは果たしたと作者は見ているようだが。
青空文庫の「風博士」
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42616_21000.html