《私は旧世界の人間であり、風に乗って移植された種であり、キノコのものにすぎないアメリカのオアシスでは開花しそこなった種である。私はかつての巨樹の系統に属している。私の恭順は、肉体的にも精神的にも、その昔、フランク人、ガリア人、バイキング、フン族、タタール族などであったヨーロッパの者たちにある。私の肉体と魂にとっての風土は、素早さと腐敗のあるここにある。私はこの世紀に属していないことを誇りに思う。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』
アメリカ大陸を左端に置き、日本を含む極東を右端に置いた地図上で考えると、上の言はよりイメージをともなって理解できる。
私の郷土はここアメリカではない。郷土はヨーロッパである。さらにその由来をたどれば、ユーラシア大陸のかなた、匈奴や韃靼の極東がわが郷里である。私は東方からやってきた。
これもミラー『暗い春』から。
《髪を逆立て、走らず、息もせず歩く男、風見鶏を持ったそいつは街の角々をすばやく曲がって逃げ出す。手段も目的も考えず、ただ、伸びたひげを刈り込んで、すべての星を左舷に見ながら暗い夜の下を歩くことだけ考えている。泥濘のなかで売りつけて、左から右へと同調させた落とし穴で原告の夜を目覚めさせ、冬の海は正午で、船上も空中もどちらを見ても右舷に向かって正午。またも風見鶏が、長い櫂とともに舷窓を通り抜けて、すべての物音が消されてしまう。四つんばいの夜はハリケーンのように音がない。キャラメルとニッケルダイスを詰め込んだ無音。モニカ姉さんはギターを弾いている、シャツの胸ははだけ、腰紐はずり落ち、両耳に広い縁をつけて。モニカ姉さんは石灰と歯磨きで縞々、目はカビが生え、叩かれ、叩かれて、銃眼状。》
もちろん既訳書は参考にしてるし、Google や DeepL 翻訳のサービスも試してるが、どうにもならない。
ダダですね。
時空が交錯し、事物が現実世界ではありえない仕方でつながっている。ヘンリー・ミラーがダダイズムやシュルレアリスムを名乗ったことはないらしいが、ダダはアメリカで完成したとする見方の根拠になりうる例。『暗い春』のかなりの部分がこんな調子で書かれている。
《東はモンゴルから西はレッドウッドまで、脈は行きつ戻りつしている。玉ねぎが行進し、卵がおしゃべりをし、動物群がコマのように回転している。浜には何マイルもの高さでイクラが層をなし、波が砕けて長いムチを振るう。潮は緑の氷河の下で吠える。地球はますます速く回転する。》――『暗い春』
これもダダ風だが、今はおいて、冒頭の「東はモンゴルから云々」について。
原文は、East toward the Mongols, west toward the redwoods, the pulse swings back and forth.
redwood は一般にはスギやヒノキなどの植物を指すが、ここではカリフォルニア州にあるレッドウッド国立公園の一帯を指す固有名詞と見るのがいい。
レッドウッド国立公園 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/レッドウッド国立公園
そのうえで、東西の中央に日本を置いた世界地図ではなく、左端にアメリカ大陸を置き右端に日本(東アジア)を置いた世界地図をイメージしてこの一節を読むと、ミラーの世界観が味わえる。世界がその西端から東端にわたるスケールでスイングしてるのである。
同様のことは前にこちらでも書いた。
https://fedibird.com/@mataji/111344209726963846 [参照]
不注意による誤記や論理の破綻はあるとしても、ミラーの攻撃性が言語システムに対して発揮されたことはなさそう。
小説であろうとする限り、統辞法には従わなければならない。
そこを踏み外すと、詩になってしまう。ダダにはその指向あり。
#ヘンリーミラー #ダダ