「壁を通り抜けること。たぶん中国人ならできる。」――とジル・ドゥルーズが言っている。
ドゥルーズは20世紀後半から現在に至る哲学の世界で最も広く知られ、読まれ、論じられた人物。それほどの著名人が「中国人なら壁を通り抜けられる」と言う。「ヨーロッパの壁抜け譚は中国渡来」とする仮説にとって、強力な後押しではないか。

なぜ中国人か。なぜ中国人なら壁を通り抜けられるのか。

なぜ中国人か。
フェリックス・ガタリとの共著『千のプラトー』の該当箇所(河出文庫版、中巻)から理路を抜き出すと、まずフランス小説の限界をドゥルーズは指摘する。

《どのようにしてブラック・ホールから抜け出るか、どのように壁を突きぬけるか、どのように顔を解体するか、フランス小説の資質がどんなにすぐれているとしても、フランス小説の関心はここにはない。それは壁を測量し、建設しさえすること、ブラック・ホールを探り、顔を構成することに専念し過ぎているのだ。》

ここにある「ブラック・ホール」や「顔」は、ドゥルーズが独自の意味・役割を与えたドゥルーズ用語。他の論者なら「壁」の喩えで済ますところだろうから、ここではこだわらない。フランス小説が壁をつくることに専念しているとの指摘は、エイメの「壁抜け男」を考えればうなずける。結局のところ壁は障害物だったのであり、主人公は壁を通り抜けることができずに終わった。同様のことがロシア産の「スポーツ」についても言える。

ついでドゥルーズは、「英米小説はまったく違う」として、次のようにつづける。

《トマス・ハーディからロレンス、メルヴィルからミラーにいたるまでいつもひしめいている問い、横断すること、脱出すること、逃れ去ること、点ではなく線を作ること。分離の線を発見すること、裏切りになるほどにその線を追うこと、その線を作り出すこと。そのため彼らは、旅と、旅の仕方と、東洋、南アフリカといった他の文明と、さらには麻薬や、動かずにその場で行なわれる旅の数々とも、フランス人の場合とはまったく異なる関係をもっている。》

ここでまた、「線」がドゥルーズ用語。「逃走線」として使われることもある。たんなる静的な線ではなく、方向性を持ち、さらにアクションまで併せ持った動的な線。目下の課題に即して言い直せば、「壁抜けの意志と行動」といったところか。フランス小説に欠けるそのような指向が、英米小説にはあるとドゥルーズは見ている。

ついでドゥルーズは、ふたたび「ブラック・ホール」を持ち出し、この語の頻出するヘンリー・ミラー『南回帰線』からの長めの引用を経て、「中国人なら」に至る。

《壁を通り抜けること。たぶん中国人ならできる。しかしどんなふうに。動物になること、花または岩になること、さらにまた、不思議な知覚しえぬものになること、愛することと一体の硬質になることによって。》

なぜ、「壁を通り抜けること、たぶん中国人ならできる」のか。
その答えが、上の「動物になること」以下。
では、なぜ、「動物になること」以下が答えだと言えるのか。
その答えは、ミラーがそのように書いたからであり、ミラー自身が中国人として壁抜けを果たしたかのようだから。

つづきは、ミラーに添って考えたい。

ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』の中国人のイメージはヘンリー・ミラー由来であること。

《長いあいだ奈落のふちで体のバランスをとりつづけていると、ついにはそれに熟練してくる。どっちへ押されても、しゃんと立っていられるようになる。こうして、恒常的な均衡状態のなかにいると、おそろしく陽気になる。いわば不自然な明朗快活さを身につけるようになるのだ。現在の世界には、以上の論旨をよく理解してくいる人種が、二つある――ユダヤ人と中国人である。もし諸君が、たまたまそのどちらかの人種に属していたとしたら、諸君は、たぶん奇妙な窮地におちいることがあるにちがいない。諸君は、いつもおかしくないときに笑うくせがある。そのために、諸君は、実際は忍耐強く神経が太いだけにすぎないのだが、非常に残酷な薄情な人間であるかのように思われてしまうのである。》――大久保康雄訳『南回帰線』

やや意味を取りにくいが、「諸君(you)」が何を指すかを考えたい。この語は「人は」とか「誰でも」とも訳せるが、この文脈での具体像を絞れば、英語圏ないし欧米言語圏の人物ということになろう。そう考えた場合、この段落の意味は「欧米で暮らすユダヤ人や中国人は、人格を誤解されざるを得ない」となる。

急いで付け加えておかなければならない。
じつは上の段落には、意味が逆になってしまう重大な誤訳がある。「もし諸君が、たまたまそのどちらかの人種に属していたとしたら」とあるのがそれで、原文は次の通り。

If it happens that you are neither of these...

正しく訳すなら、「もし諸君が、そのどちらでもないとしたら」である。後発の訳書3点を調べたが、いずれもこの意味に訳している。上の大久保訳が誤訳であることは間違いないだろう。
このことをどう考えるか。

誰が社会から誤解されているか。浮いているか。
欧米社会で浮いているのはユダヤ人や中国人である。一般化していえばよそ者、中国人を自認するミラーもその一人。
ところが、"If it happens that you are neither of these" をそのまま(正しく)訳した場合、「諸君」にはユダヤ人や中国人は含まれず、もっぱら欧米人が「いつもおかしくないときに笑う」ことになって、本来はよそ者のふるまいである場違いな笑いが、欧米人に帰せられてしまう。これはミラーの認識ではない。「おそろしく陽気」で「不自然な明朗快活さ」を身につけているのは、ユダヤ人や中国人でなければならない。
東洋(中国)の異常をもって西洋の正常を撃つ。それがここでのミラーの姿勢だろう。そのことは、以下で見る後続の段落でも一貫している。その流れに従うなら、上の段落の意味は、「もし諸君が中国人だとしたら、精神が強靭で忍耐強いだけなのに、ここ西洋では残酷で薄情な人物と思われている」であるべきで、大久保訳はそのようになっている。
無意識のうちに行なわれた直感的誤訳か、それとも意図的誤訳かは別として、以下ではこの誤訳を含む大久保訳に拠って話を進めたい。むしろそうすることで、以後の『南回帰線』の文脈と矛盾なくつながる。

『南回帰線』つづき。
世の中の正常にあわせようとすること。

《かといって、もし他人の笑うときに笑い、他人の泣くときに泣いていたら、結局は、他人の死ぬように死に、他人の生きるように生きなければならなくなるだろう。ということは、自分を正常な人間にしようとして、それに負けることである。生きているあいだ死んでいること、死んだときしか生きられないことを意味する。そのような人間社会のなかでは、世の中はいつも、たとえ最も異常な状態にあっても、正常な様相を帯びる。ものごとはすべて、それ自体正しいわけでも正しくないわけでもなく、ただ考えかたによってそうなるだけの話である。もはや現実を信じないで、人の分別だけを頼ることになる。そして、その袋小路から押し出されるときには、思想もいっしょについて行くが、しかし、そのときには、もはや思想は、なんの役にも立たなくなっている。 》

世の中は正常であるかのような見せかけで動いている。その正常にあわせることの無意味。
袋小路から押し出されるとは、死ぬこと。

ここで話はキリストの死に転じる。その復活ということの意味。

《ある意味では、ある深い意味でいえば、キリストは、その袋小路から全然押し出されなかった。彼が、よろめきながらふらふらと外へ出ようとした瞬間、その否定の逆流は、まるで大きな反動で巻き返されでもしたように彼の死に待ったをかけたのである。人間の否定的な全衝動が、人間の完全体を創り出すために凝結して、奇怪な不活発なかたまりになり、まとまった一人の人間の姿を生んだものらしい。復活ということも、人間はつねに自分の運命を否定しようとしている事実を認めなければ、説明のつかないことである。地球は回転し、星は回転するが、人類は――世界を構成する人間の総体は――一人の、ただ一人のイメージに集約されているのである。》

ミラーはキリストの復活を良きこととは見ていない。それどころか、キリストは死ななかった、彼の死は「待った」をかけられた、それがいわゆるキリストの復活であるとする。
キリストの延命という出来事は、人々の願望に応えて起こった。その認識を示したのが訳文後半の「復活ということも…」ではじまるセンテンスである。原文は次エントリーで。

「復活」の実相

《There was a resurrection which is inexplicable unless we accept the fact that men have always been willing and ready to deny their own destiny. 》

原文に "a resurrection" とあり、文脈から見て明らかにキリストの復活を指すが、ならば普通は "the Resurrection" とするところを、なぜ不定冠詞・小文字にしたか。
答えは、それが特別な復活だったから。その特別さを "the" の代わりに "a" で示す曲芸がここで行なわれている。
ある復活があった。それは、ある事実を受け入れないと説明のつかない復活である。その事実とは、人々はつねに自らの(死すべき)運命を否定すべく望みつづけ待ちつづけてきたという事実である。その願望の実現としてキリストは延命した。それが「復活」と呼ばれる出来事の実相。

キリストの復活によって人々は生命の永遠という安心を得たが、ミラーは逆に失われたものにこだわる。それがミラーの「中国」ないし「中国人」なるもの。

『南回帰線』つづき。

《もし、ある人が、キリストのように十字架にかけられずに生命を保ち、絶望と無能感を超越して生きながらえたならば、まことに奇妙なことが起るにちがいない。つまり、その人間は実際に死んで、しかもまた生きかえったことになるのだ。中国人のように、異常な人生を送ることになるのである。いわば、不自然に活発で、不自然に健康で、不自然に冷淡にならざるをえないだろう。悲劇感は消え、花や岩や木のように生き、自然と戦いながら、しかも同時に、自然とともに生きるようになるのである。たとえ、最も親しい友人が死んでも、その葬式に行こうとはしないだろうし、目の前でだれかが電車にひかれても、知らぬ顔で行きすぎるだろう。戦争が起きれば、友人たちを戦線へ送り出すことはしても、自分自身は、そんな殺生なことには、なんら興味を持とうとしないだろう。すべてが、そういうぐあいになるのである。》

・十字架にかけられて生命を保ったキリスト
・十字架にかけられずに生命を保つことになる人
両者の対比がわかりにくいが、いまは措く。
ともかく、ある人が絶望と無能感を超越して生きながらえると、その人は中国人のような異常な人生を送ることになるのだという。その人生とは――

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中国人のような異常な人生とは――
不自然に活発で、不自然に健康で、不自然に冷淡で、花や岩や木のように生き、自然と戦いながら同時に自然とともに生きる、そんな生き方。
中国人を不審がったり、けなしたりしているのではない。逆である。ミラーは人としての生き方の理想を中国に見ており、ドゥルーズらの『千のプラトー』もそれを引き継いだ。中国人なら壁抜けができるとの『千のプラトー』の論が『南回帰線』のこのあたりに拠っていることは、著者らが認めている。再掲すると、

《壁を通り抜けること、たぶん中国人ならできる。しかしどんなふうに。動物になること、花または岩になること、さらにまた、不思議な知覚しえぬものになること、愛することと一体の硬質になることによって。 》

先の引用箇所の後半に、「たとえ、最も親しい友人が死んでも、その葬式に行こうとはしないだろう」とあり、妻を亡くした荘子が盆を叩いて歌ったという話を思わせる。
私も妻に死なれた当座は悲しみに耐えられなかった。だが、人は混沌の中から生じて、混沌に帰る。妻がその混沌の世界で眠りにつこうとしているのに、ここで泣きわめいたら天命に通じぬ者となってしまう。だから私は泣くのをやめた。――というのが荘子の弁で、荘子の思想・言行を集めた『荘子』中でもよく知られた一話。

これと同様の話がほかにも『荘子』にある。
子桑戶、孟子反、子琴張は、たがいに世俗にとらわれない生き方をする者として理解しあい、友人となった。
しばらくして子桑戶が死んだ。
それを聞いた孔子が、弟子の子貢に言いつけて葬式の手伝いに行かせた。
すると孟子反と子琴張は、手仕事をしたり楽器を鳴らしたりしながら歌っている。
  ああ桑戶よ
  ああ桑戶よ
  君はすでに君の真実に帰った
  我々はまだ人間のままだ
子貢は思わず走り寄って、「なきがらを前に歌うのは礼にかなうことですか」とたずねる。
すると二人は顔を見合わせて、「こいつには礼はわからんな」と笑った。

子貢がこのことを孔子に伝える。
「彼らは何者でしょう。ふるまいは出鱈目で、礼儀をわきまえず、遺骸の前で歌を歌って恥じることもない。まったく言いようがありません」
孔子が答えていう。
「彼らは世俗の外で遊ぶ者、我々は世俗の内で遊ぶ者だ。内と外は相容れないものなのに、お前を弔問に行かせるとは考えが足りなかった。俗塵の外で気ままにふるまい、無為自然を楽しむ彼らが、どうして儀礼や形式を整えて、世人の耳目に応えることなどするだろうか」

これにつづく子貢との会話のなかで、孔子は儒家らしくないことを言い出す。
子貢「それでは先生の拠りどころはいかなるものでしょう」
孔子「私は俗世で生きるよう天から罰された者である。けれども私は彼らについていきたいと思う、お前といっしょにね」
彼らとは、子桑戶の遺骸を前に歌を歌っていた孟子反や子琴張のこと。礼儀をわきまえないと子貢が評した者たちのことなのだが。

子貢「具体的にはどうするのでしょう」
孔子「魚は水があれば生きられるし、人は道があれば生きられる。だから、ただ自然に従っていればいい。魚は江湖に相忘れ、人は道に相忘れというのが、それさ」
子貢「では、奇人について教えてください」
孔子「奇人とは、この俗世においては変わり者だが、天の自然にかなう者。言うだろう、天の小人は人の君主、人の君主は天の小人、と」
ここでの奇人は孟子反や子琴張を指す。孔子は、彼らこそ天の君子であるとして自分も習いたいという。しかも弟子の子貢までつれて。もう儒家はやめて道家になりたい。たんてきにはそういうことになる。

別の弟子・顔回が孔子にたずねる。
「孟孫才は母親を亡くしたとき、泣き真似をしただけで、衷心から悼むこともなく、喪中も悲しみませんでした。それなのに彼が立派に喪に服したと評判になったのはなぜでしょう。実がないのに名だけは高いということがあるのですね」
孔子が答えていう。
「孟孫才はきちんとやったよ。儀礼を省こうとしたが完全には省けず、形だけ残したのだ。
彼は人の生まれるわけも死ぬわけも知らず、生が先か死が先かも知らず、ただ変化の理にしたがって生まれ、変化のわけを知らずに変化するのみ。生と死、化と不化の別にこだわる私やお前などは、夢を見つづけているようなものだろう。
生死は形を損なうが、精神を損なうことはない。そのことを知る孟孫才こそ、ただ一人目覚めており、だから彼は人が泣けば自分も泣いてみせた。母親の死に際しての彼のふるまいがこれである」

さらに孔子はつづける。
「人はそれぞれが自分を自分として立てているが、どんな根拠で自分を自分としてるのか。
たとえばお前も、夢に鳥となって空を飛び、魚となって淵に潜るだろう。そしてそのことを言うとき、覚めて言ってるのか、夢の中で言ってるのか、わかりはしない。
分別を言うのは笑いに及ばず、笑いは推移に任せるに及ばず、推移に身をゆだねて変化を忘れてしまえば、静謐な天の一部になることができる」

すっかり道家である。
いいのか、儒家の総帥である孔子がそんなことを言って。
もちろん、まったくかまわない。道に目覚める以前、あるいは以後、そんな位置づけ、道との関連づけで『荘子』の孔子像は描かれている。目覚める以前の未熟な孔子、あるいは、じつは道に通じたわかっている孔子。

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