新しいものを表示

李香蘭(山口淑子)が殺されずに帰されたこと。

《李香蘭は中国人と思われていたため、日本の敗戦後、中華民国国民政府から漢奸(売国奴・祖国反逆者)の廉で軍事裁判にかけられた。そして、李香蘭は来週上海競馬場で銃殺刑に処せられるだろう、などという予測記事が新聞に書かれ、あわや死刑かとも思われた。しかし奉天時代の親友リューバの働きにより、北京の両親の元から日本の戸籍謄本が届けられ、日本国籍であるということが証明された。》
ja.wikipedia.org/wiki/山口淑子

法理としては、「日本人であるから、漢奸(売国中国人)としては無罪」ということらしいが、有罪にするつもりなら、法理や司法手続きなどどうにでもできたろう。
港を離れる引揚船のデッキから山口が上海の摩天楼を眺めていると、船内のラジオから自分の歌う「夜来香」が聞えてきたという。「夜来香」もあわせて無罪という光景。

年間の霧発生日数を、太平洋戦争終結(1945年)の前後で比べると、戦前のほうが多い。夜霧に限定したデータではないが、夜霧についても同様の傾向だったろう。
夜霧の歌がさかんに作られた戦後より、戦前のほうが霧は多く発生していた。かつての日本の夜霧は、忍び逢う恋を隠してくれたり、哀愁の街に降ったりするものではなく、たいした感興をもたらすことはなかったのだろう。とすれば、夜霧をロマンチックに思う感性は、上海の夜霧に対して培われたものが、戦後の日本で再生したと見ることができるのではないか。

霧日数の経年変化、東京と横浜
asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kis

スレッドを表示

夜霧を歌った戦前の流行歌(歌詞かタイトルに「夜霧」を含むもの)
 1939 さらば上海  李香蘭
 1939 港シャンソン 岡晴夫
 1941 夜霧の馬車  李香蘭
1939年の2本は、いずれも上海を舞台としている。41年の「夜霧の馬車」には具体的な地名がないが、歌詞に「波の上浮かぶジャンク」「月に胡弓の流れる町を」などとあって、中国が舞台。
探してみたが、夜霧を歌った戦前の歌謡で日本を舞台としたものは今のところ見当たらない。戦前の日本では、上海の夜霧をロマンチックに感じても、国内の、たとえば東京の夜霧にはそんな思いを抱かなかったのかも。異郷感の有無?

スレッドを表示

〽青い夜霧に灯影が紅い… 上海の夜霧を歌ってヒットしたディック・ミネの「夜霧のブルース」は、水島道太郎主演の映画『地獄の顔』(1947年)の主題歌。
ja.wikipedia.org/wiki/夜霧のブルース_
youtube.com/watch?v=VFLTDphHeA

同じ「夜霧のブルース」を主題歌とする映画『夜霧のブルース』(1963年)は石原裕次郎主演、主題歌も石原。ストーリーは『地獄の顔』とは別。
石原にはヒット曲「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)あり。第2次大戦後の1940年代後半から70年代にかけて夜霧を歌う歌が大量につくられたが、「夜霧よ――」はその代表曲。

《霧に包まれた上海の街、十米も先はわからない様なモヤ、灰色の雲の中をフハリフハリと行く人、その時、街の心臓にパツト灯がつく、白いロココ風の馬車が二馬路の角を通る、白い馬車白い二頭の俊足を持つた馬、白いビロードの服をつけた馭者、乗つて居る人は老人と華かな飾りをつけた若い弱々しい、紫色の娘、彼氏はその時刻に二馬路から三馬路にかけて歩道を散歩して居れば必ずその白い馬車を必ず定つて見かけた。そうしてその白い馬車が彼氏の心の中で生活し生長した。でどうかしてその白い馬車を見かけない日、彼氏は一種の憂鬱と不安におそはれた。》
三岸好太郎「上海の絵本」
aozora.gr.jp/cards/001997/file

スレッドを表示

《その早暁、まだ明けやらぬ上海の市街は、豆スープのように黄色く濁った濃霧の中に沈澱していた。窓という窓の厚ぼったい板戸をしっかり下した上に、隙間隙間にはガーゼを詰めては置いたのだが、霧はどこからともなく流れこんできて廊下の曲り角の灯が、夢のようにボンヤリ潤み、部屋のうちまで、上海の濃霧に特有な生臭い匂いが侵入していたのであった。》
海野十三「人造人間殺害事件」
aozora.gr.jp/cards/000160/file

《上海四馬路の夜霧は濃い。
黄いろい街灯の下をゴソゴソ匍うように歩いている二人連の人影があった。
「――うむ、首領この家ですぜ。丁度七つ目の地下窓にあたりまさあ」
と、斜めに深い頬傷のあるガッチリした男が、首領の袖をひっぱった。
「よし。じゃ入れ、ぬかるなよワーニャ」》
海野十三「見えざる敵」
aozora.gr.jp/cards/000160/file

動詞 shanghai(上海)の由来

《19世紀は帆を動力とする商船の全盛期であり、不誠実な船長に新鮮な乗組員(多くは不本意な乗組員)を供給する海のポン引き(クリンプ)の全盛期でもあった。別の言い方をすると、船員はシャンハイされた。(クリンプという言葉は、もともとは「エージェント」を意味するイギリスのスラングで、おそらくイギリス人船員とともにアメリカにやってきたのだろう。「シャンハイ」という言葉は、クリンプされた船員の多くが、帆船時代の主要港であった中国の上海にたどり着いたことから生まれたと思われる)》
Of Crimes and Shanghaied Sailors
historynet.com/of-crimes-and-s

《「シャンハイされる(getting shanghaied)」という語は、歴史上、とくに19世紀において、誘拐や強制によって人を船員として働かせた行為を指す。(……)シャンハイの犠牲者は、麻薬を盛られたり騙されたりして、海の上で目覚め、船上で強制的に働かされることになった。》
What does the term ‘getting shanghaied’ mean? - Quora
quora.com/What-does-the-term-g

スレッドを表示

鉄板をひっかくような音が聞こえてきた。
SOS、助けを求める信号だった。為吉はナイフを取り出して水管を叩いた。

《「Shanghai――」と返信があった。
 上海? ナニコトカと彼は又水管を掻いた。
「Shanghaiされた」
 上海された! 通行人を暴力で船へ攫って来て出帆後、陸上との交通が完全に絶たれるのを待って、出帆後過激な労役に酷使することを「上海する」と言って、世界の不定期船に共通の公然の秘密だった。罪悪の暴露を恐れて上海した人間に再び陸を踏ませることは決してなかった。絶対に日光を見ない船底の生活、昼夜を分たない石炭庫の労働、食物其他の虐待から半年と命の続く者は稀だった。》――牧逸馬「上海された男」
aozora.gr.jp/cards/000304/file

《shanghai vt. ⦅海俗⦆麻薬をかけて[酔いつぶして]船にむりやり連れ込む⦅水夫にするため⦆, 誘拐[拉致]する; ⦅俗⦆だまして[むりやり]いやなことをさせる.》――『リーダーズ英和辞典』

《寺山修司にあっては、句も歌も、およそ自身の感懐を吐露するというようなものではありえなかった。彼は、句や歌を作ることによって、自身の感懐なるものを作りあげたのであり、場合によっては自身の物語、自身の出生の秘密さえつくりあげたのである。
 たとえば塚本邦雄はその寺山修司論「アルカディアの魔王」において、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」ほかの歌を引いた後に次のように述べている。

「反生活と人間のなからひに、引きさかれつつ現れた、父、家、青年、祖国、その属性を、もはや私に即して読む愚を繰返す読者はあるまい。これらのヴォカブラリーを以て彼の思想的深化を説くのも、作者にとっては有難迷惑にすぎないだらう」

 塚本邦雄のこの指摘は何度繰り返されても過ぎることはないだろう。いまなお「私に即して読む愚を繰返す読者」が少なくないからであり、しかもそれが驚くまいことか歌人に少なくないからである。(……)寺山修司は嘆声を発したのではなく、嘆声を作ったのである。あたかも劇のなかの一青年の嘆声を台詞として作るように作ったのである。》――三浦雅士「二重性の連鎖――寺山修司の言葉」(思潮社『続・寺山修司詩集』解説)

スレッドを表示

《私は一九三五年十二月十日に青森県の北海岸の小駅で生まれた。しかし戸籍上では翌三六年一月十日に生まれたことになっている。この三十日間のアリバイについて聞き糺すと、私の母は「おまえは走っている汽車のなかで生まれたから、出生地があいまいなのだ」と冗談めかして言うのだった。》――寺山修司『誰か故郷を思はざる』

《この自伝には寺山修司が得意とするフィクションが横溢している。彼は「青森県の北海岸の小駅」で生まれたのではなく、実際には弘前市紺屋町にあった父親の転勤先の家で生まれている。彼の母親が「おまえは走っている汽車のなかで生まれた」というような冗談を言う人かどうかもあやしい。ここには彼が「走っている汽車」というイメージに同化しようとする、彼自身の「外に向かって育ちすぎた」フィクションがあるのだ。》――佐々木幹郎「「死ぬのは他人ばかり」か?」(思潮社『続・寺山修司詩集』解説)

以下で、「天文学」や「科学」を、「歴史」や「革命」で置き換えると、「彼ら」は「私」=ブランキその人となる。

《とにかく、彼らは、星空の最も美しい夜々にしばしば抜きんでて輝く、無害で、優美な被造物なのだ。もしも彼らがやって来て、罠にかかった筬鳥(おさどり)のように生け捕りにされるとしても、天文学もまた彼らと共に生け捕りにされるのであり、彼ら以上に脱出は困難なのだ。彼らこそまさに、科学上の悪夢である。他の天体に比べて何と対照的であることか! 対立する二つの極、あらゆるものを押しつぶす巨塊と重量のない存在、大きいものの極限と空無なるものの極限。》

「対立する二つの極」とは、彗星と恒星(または星雲)のこと。『天体による永遠』の中で彗星は恒星との対比で語られ、天文学の知見を無効にしてしまう「悪夢」「謎」としての存在とされる。

スレッドを表示

ブランキは彗星を惑星の虜囚に例える。

《もしも彼らが土星の魔手を逃れたとしても、まもなく彼らは、太陽系の警察である木星の手に落ちる運命にあるのだ。木星は闇の中で歩哨に立ち、太陽の光が彼らを照らし出す前にいち早くそのにおいをかぎつけて、彼らを狂乱状態のまま危険な谷に向かって狩り立てる。谷底で熱せられ、恐ろしく膨張させられた彗星は、隊列を乱し、引き伸ばされ、分解し、随所に落伍者を見捨てながら、四分五裂して恐怖の海峡を渡り、低温の保護の下、生命からがら、未知の孤独にたどり着くのである。》

惑星の引力圏で罠に落ちなかったものだけが生き延びる。
この描写は、君主制、共和制、帝政、19世紀のすべての体制を通じて犯罪者であり囚人であったブランキ自身の生涯を思わせる。彼は彗星に自身の像を重ねている。
『天体による永遠』の説く永劫回帰では、全人類、全天体が回帰を繰り返す。その回帰は分岐を伴うもので、いつの時か、どこかの地球上で、どれかのブランキが、かつてやりそこなった革命をやり遂げるだろう。それが、ブランキが永劫回帰の論に託した願い。全体の論旨からいえば、彗星への言及は本筋を外れているが、それでもブランキは彗星を語りたかったのだろう。彗星=ブランキこそ回帰すべきものとして。

スレッドを表示

ブランキの彗星論

《今日では誰もが彗星をひどくばかにしている。彗星は優越的な惑星たちの哀れな玩具なのだ。惑星たちは彗星を突き飛ばし、勝手気ままに引きずりまわし、太陽熱で膨張させ、あげくの果てはズタズタにして外に放り出す。完膚なきまでの権威の失墜! かつて彗星を死の使者としてあがめていた頃の、何というへり下った敬意! それが無害と分かってからの、何という嘲りの口笛! それが人間というものなのだ。》――オーギュスト・ブランキ『天体による永遠』

人々は彗星の非力を言う一方で、地球が彗星の衛星にされかねない可能性や、地球に衝突した場合の破壊力といった不安も述べ立てた。ブランキは、それらたがいに矛盾する、あるいは内部的に矛盾をかかえた諸説を批判して論を進め、彗星とは「謎の役割を果たすだけ」の「定義不可能な物質」と結論する。

『天体による永遠』の論点は、天文を論じるための予備的な議論を除くと、「彗星」「天体の誕生」「宇宙の無限」くらいに分けられるが、主題の「永劫回帰」を導くには彗星を論じる必要はない。むしろ「彗星こそ回帰の主体」といった誤解を与えかねないが、なぜ彼は彗星に少なからぬページを割いたか。

引用は浜本正文訳(岩波文庫)から。以後も同様。

用語「ロック」と「ロックンロール」の違い。両者の指すものを懐旧感の有無あるいは強弱で分けることができないか。
チャック・ベリー、プレスリーの懐旧感。
昔の歌だから懐かしいのではなく、彼らの音楽は発売時からすでにノスタルジックだったのではないか。

『ブランキ殺し』第2稿から第3稿への移行は、内なるノスタルジーからあからさまなノスタルジーへの移行? 第3稿が読めてないので、宿題とする。

スレッドを表示

戯曲『ブランキ殺し上海の春』第2稿のト書きにある「ロックンロール」は、具体的には何だったのか。
上演時に流された曲が何かは知らないが、チャック・ベリーの「ロックンロール・ミュージック(Rock and Roll Music)」かそれに類するものではなかったか。ある時期までロカビリーと呼ばれていたジャンル。

1957年、チャック・ベリーの「ロックンロール・ミュージック」が全米8位のヒット。
1964年、ビートルズがアルバムの1曲としてカバー。
1965年-66年、ザ・ピーナッツ、西郷輝彦、広田三枝子、尾藤イサオらがカバー。
1966年、ビートルズの日本武道館公演で1曲目に演じられる。
1976年6月、ビートルズの2枚組ベスト・アルバム「ロックン・ロール・ミュージック(Rock 'n' Roll Music)」に、2枚目の第1曲として収録。
以上、Wikipedia の「ロック・アンド・ロール・ミュージック」項による。
1976年12月、「ブランキ版」初演。

スレッドを表示

佐藤信の戯曲『ブランキ殺し上海の春』には3種の版があるという。
そのうち第2稿「ブランキ版」の初演は1976年(昭和51年)、最終稿「上海版」の初演は1979年(昭和54年)。
両版は『喜劇昭和の世界 3』に収められている。

両稿における音楽の使われ方。
第2稿「ブランキ版」のベースは社交ダンスのためのピアノ音楽。おおむねワルツ。時にタンゴ。
対して激しさを担うロックンロール。この音楽はある人物のヘッドフォンから突然に大音量で漏れだす。また、ヘッドフォンを付けた虎が空を駆ける場面でも流れる。ロックンロールが流れ出す場面には、いつも老人(じつはブランキ)が居合わせる。

最終稿「上海版」はタンゴにはじまり、タンゴで終わる。とくに「ラ・クンパルシータ」。
途中では、革命歌の「ラ・マルセイエーズ」、「インターナショナル」、初期のスイングジャズ、テンポの遅いブルース、メリーゴーランドの伴奏を思わせる素朴な旋律のレコードなど。全体に古めかしく。

両稿に通じる懐旧感。やりそこなった感も併せ持つ。

当ブログの最初の記事(2023.8.16)
fedibird.com/@mataji/110953911

ハッシュタグ「壁抜け男」を付けた記事
fedibird.com/tags/壁抜け男

ハッシュタグ「聊斎志異」を付けた記事
fedibird.com/tags/聊斎志異

参照関係とハッシュタグで記事を結びつけ、ブログに網目の構造を持たせる。タイムライン上に書き捨てていくのではなく、網目構造とすることで関連記事や過去記事をたどれるようにするのが、現在の当ブログの方針。開設当時は意識してなかったので、記事間のつながりは弱い。

当ブログの最初期の記事は上のリンクからたどれます。
タグの付け方は気まぐれで、関連記事に漏れなく付いているわけではない。

[参照]

『天体による永遠』の最末尾

《自己の偉大さに酔い痴れ、自己を宇宙だと信じ、自己の牢獄の中であたかも無限の空間にいるかのごとく振舞って生きている騒々しい人間たち。だがまもなく彼らも、深い侮蔑のうちに、虚栄に満ちたその重い荷物を背負ってきた地球と共に、滅んでしまうのだ。異郷の星でも同じ単調さ、同じ旧套墨守であることに変りはない。宇宙は限りなく繰り返され、その場その場で足踏みをしている。永遠は無限の中で、同じドラマを平然と演じ続けるのである。》――浜本正文訳

諦念で締めくくっている。
幾たび回帰して来ようと、地球も私も足踏みを繰り返すだけだろう。カミュならこのような繰り返しを「シーシュポスは幸福なのだ」と結ぶことろだが、ブランキは諦めて終える。仮に回帰があったところで、同じ牢獄、同じドラマの再演にすぎない、と。

肯定的に敷衍するなら、永劫回帰とは後世に託す希み。
自身が回帰してくるのではない。後の世の誰かに呼び返されて回帰する。

スレッドを表示
古いものを表示