〽青い夜霧に灯影が紅い… 上海の夜霧を歌ってヒットしたディック・ミネの「夜霧のブルース」は、水島道太郎主演の映画『地獄の顔』(1947年)の主題歌。
ja.wikipedia.org/wiki/夜霧のブルース_
youtube.com/watch?v=VFLTDphHeA

同じ「夜霧のブルース」を主題歌とする映画『夜霧のブルース』(1963年)は石原裕次郎主演、主題歌も石原。ストーリーは『地獄の顔』とは別。
石原にはヒット曲「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)あり。第2次大戦後の1940年代後半から70年代にかけて夜霧を歌う歌が大量につくられたが、「夜霧よ――」はその代表曲。

夜霧を歌った戦前の流行歌(歌詞かタイトルに「夜霧」を含むもの)
 1939 さらば上海  李香蘭
 1939 港シャンソン 岡晴夫
 1941 夜霧の馬車  李香蘭
1939年の2本は、いずれも上海を舞台としている。41年の「夜霧の馬車」には具体的な地名がないが、歌詞に「波の上浮かぶジャンク」「月に胡弓の流れる町を」などとあって、中国が舞台。
探してみたが、夜霧を歌った戦前の歌謡で日本を舞台としたものは今のところ見当たらない。戦前の日本では、上海の夜霧をロマンチックに感じても、国内の、たとえば東京の夜霧にはそんな思いを抱かなかったのかも。異郷感の有無?

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年間の霧発生日数を、太平洋戦争終結(1945年)の前後で比べると、戦前のほうが多い。夜霧に限定したデータではないが、夜霧についても同様の傾向だったろう。
夜霧の歌がさかんに作られた戦後より、戦前のほうが霧は多く発生していた。かつての日本の夜霧は、忍び逢う恋を隠してくれたり、哀愁の街に降ったりするものではなく、たいした感興をもたらすことはなかったのだろう。とすれば、夜霧をロマンチックに思う感性は、上海の夜霧に対して培われたものが、戦後の日本で再生したと見ることができるのではないか。

霧日数の経年変化、東京と横浜
asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kis

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