シェイクスピア史劇「嘆きの王冠」(上)
リチャード2世から、ヘンリー4,5,6世、エドワード6世リチャード3世まで、百年戦争末期から薔薇戦争までを舞台にしている。
ここでも、先日とりあげたハリウッドとはやはり次元は違うが、部分的に「女性」の戦士化の演出が見られる。
右中央の写真はランカスター派を指揮するヘンリー6世の王妃マーガレット・オブ・アンジュー(マルグリット・ダンジュー)。黒人俳優であることは現代的演出と言えるのでしょう。(かつてピーター・ブルックは「ハムレット」で黒人俳優を主役ハムレットに起用した)。
ただし、王妃マーガレットは史実上も、ランカスター派の軍事的指揮を執ったとされている。
とは言え、王妃マーガレットがみずから前線で剣を振るい、血まみれになるところなどは現代的演出と言えるでしょう。
しかし、このシリーズでは総じて暴力による権力闘争の空しさを強調する演出となっています。
シェイクスピア史劇の映像化としては、総じて成功していると思います。
私個人としては、マーガレット、それに最後の「リチャード3世」はとくに演技も含めてよかったと思います。
著者の森政稔先生からご恵投いただきました。
森先生は、17-18世紀、「リベラリズムー保守主義」中心の従来の政治思想史の枠を超えて、19世紀における「政治」と「社会」の分離、そこでの「社会」的なもの役割、について先駆的に研究してこられました。
またマルクスが「ドイツ・イデロギー」で一方で批判したM.シュティルナー、「哲学の貧困」でこれまた一方的に批判されたプルードンを、両者のテクストから再構成して論じています。
またメアリー・シェリーの父、メアリ・ウルンストンクラフトの夫W.ゴドウィンについて論じた貴重な論文が収録されています。
ゴドウィンは、フランス革命時のイングランド急進派の思想家、同時に近代アナーキズムの出発点ともされます。
私は、W.ブレイク、P.シェリーと並んで、この時期のイングランド急進主義の思想家としてゴドウィンに長年注目はしているのですが、日本では、主著『政治的正義』の訳もまだありません。
それにしても駒場の教官としては、群を抜いた「奇人」であった森先生、ゼミの途中で「心の友」の「猫」に餌をやりに行く、という習慣はまだ続いているのだろう。
森先生は「無駄な学会」にも関係せず、研究室と自宅と往復する毎日を続ける「学問の鬼」。「ヒト」にはあまり期待せず、友は「猫」数匹だった。
「アドルフに告ぐ」
手塚治虫晩年の「青年」向き(大人向き)の作品の中で、唯一完成したもの。
「ネオ・ファウスト」、「ルードヴィヒ・B」、「グリンゴ」など同時に進行させていた他の作品は未完、となった。
ルードヴィヒ・B(べートーヴェンのこと)におけるバッハの平均律クラヴィーアの視覚化の部分などは素晴らしかったと思うが「アドルフ」は手塚の個人史とも関わり、またテーマとの相性も良く、もっとも完成度が高い作品だと思う。
1936年のベルリンオリンピックの際、ゲシュタポに殺された弟のを行方を追ううちに、峠草平は戦時下の日本の反ファシズムグループにも関わり、特高に拷問を受ける。
神戸のパン屋の息子、アドルフ・カミル(ユダヤ人)と神戸生れでゲシュタポ入りするアドルフ・カフウマン。
少年時の親友が成長して、宿敵となるという設定も手塚がよく用いるものだが、これも全体の設定とうまく組み合わさっている。
それにしても、今回読み返して見て、自分も生れ育った神戸の細かい地名などに妙に反応して驚いた。
神戸の高校生だった頃はじめて読んだが、そこはまったく気にならなかった。
これって、やはり年をとったということなのかなー
しかし手塚治虫、S.ツヴァイクの言う「デモーニッシュ」なものに取り憑かれた天才だったと思う。
BT「サッコ・ヴァンセッティ」事件
イタリア系移民でアナーキストであったサッコ・ヴァンゼッティに対する「冤罪」事件。両名は死刑に処せられますが、行政側は後に冤罪であることを認めました。
この当時、ニューヨークにはイタリア系移民が多く、その中ではアナーキストの労働者たちもいた。
二人も「アナーキスト」であることから米国での徴兵を拒否している。
映画「死刑台のメロディ」、もちろんお勧めです。音楽のエンニオ・モリコーネ、当時のマカロニ・ウェスタンの多くの映画音楽を担当、この映画でも音楽はかなり生きています。
他方、ニューヨークのイタリア移民を背景にした「マフィア」ものが「ゴッド・ファーザー」です。
ただし、アナーキストを中心とした社会主義者はトリノ、ミラノなど北イタリア出身者が多く、マフィアはシチリア出身者が多かったのは事実です。
WWIIの連合軍のシチリア侵攻に協力したラッキー・ルチアーノはその典型。ルチアーノは「ゴッドファーザー」のヴィトー・コルレオーネのモデルとされています。
ハリウッドにおける「レッド・パージ」
これまでの投稿で何度かWWII直後のレッド・パージについて書いてきました。
国際冷戦レジームによる地球空間の再編とともに、「西側」地域では、ほぼ例外なく「赤狩り」が行われます。
レッド・パージ後の「世界」がいわゆる「戦後」第一期、となります。
この「赤狩り」について読み易い・手に入りやすい漫画として山本おさむのものがあります。
歴史的な叙述・視点には誤りや不十分な点もあるのですが、E.カザン、E.ドミトリク、そしてDトランボなど「追い詰められる」側の心理はよく描けていると思います。
また「新日本文学」の編集者、劇団「黒テント」の演出家、演劇評論家の津野海太郎の「ジェローム・ロビンズは死んだ」は、エッセイですが、ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」の演出家、J.ロビンズがゲイであることとも関係して「赤狩り」にどう対応したか、をハリウッドの動きと絡
めて読み易く書いています。
この際、このミュージカルの音楽を担当したR.バーンスタインもゲイであることをFBIに摑まれて「協力」を余儀なくされました。
カザン、ロビンズ、バーンスタイン、日本でも著名な三人の直面した問題。今や単なる「歴史」ではなくなっています。
「ジャカルタ・メソッド」
最近、「グローバル冷戦史 global cold war」に関する紹介で、「ジャカルタ・メソッド」を紹介しました。
今月の「世界」3月号で長文書評として紹介されています。
ご関心のある方は、「立ち読み」でもいいので、ご笑覧下さい。
ブラジル、インドネシア、チリなどの軍事クーデターの連鎖の構造にも触れられています。
日本でも比較的知られている、1973年チリ、軍事クーデターの際、ピノチェトは作戦コードネームを「ジャカルタ」とします。
作戦開始前首都サンチャゴの通りには虐殺を予告する「ジャカルタが来る」という落書きが突如として現れ、また「ジャカルタ」と書かれた脅迫状が左翼活動家の家に届けられました。
またブラジルでは「ジャカルタ」とは「虐殺」を意味します。
こうした「グローバル冷戦」の文脈の研究、世界的には「常識」になりつつありますが、日本への導入はほぼゼロ。
逆に三浦瑠麗が「国際政治学者」を名乗る有様です。
これには「政治学者」たちも責任なし、とはならないのでは?
「セデック・パレ」について
以下の文章2018年にとあるところに書いた。
「台湾の先住民の人々が「帝国日本」に対して蜂起した所謂「霧社事件」を題材にした映画です。
台湾上映時にはメガヒットしたと仄聞しています。
しばしば、「韓国と違って、台湾はインフラ整備などの点で日本植民地支配のプラスの面も評価してくれる親日国家」などという議論がありますが、植民地支配された側の感情がそのような生易しいものではない、ことを想起させてくれます。
あえて言えば、ホオ・シャオシェンが「非情城市」で描いたように、国民党軍の白色テロルが凄まじかったために、支配の「記憶」がより複雑なものとなっている、ということは言えるかもしれません。
が、日本の植民地支配を(本心で)肯定してくれる国・地域などある筈がないことはやはり日本人としては、忘れるべきではない、と思います。」
すると、ラカン派精神分析を名乗る人から、おおよそ次の反応。
「先住民は親中だったわけでもない。セデックバレが反日プロパガンダとして語られることからの解放を描いている」
「日本人も彼らの戦いをあっぱれという文脈もある。玉砕に近い、戦いだったから。」
これには倒れた。ま、日本のラカン=アルチュセール派はこの程度の歴史認識なのです。
QT: https://fedibird.com/@upasampada/109793562436928006 [参照]
「マスケット銃とサーベルを扱う戦う戦士」
「三銃士(trois mousquetaire)は、みなさんご存じの19世紀のA.デュマの有名な時代小説。
この銃士mousqetaireがマスケットとサーベルを携帯するスペイン・テルシオの戦士です。
三銃士の主人公たちがガスコーニュというスペインと隣接した地帯の出身であり、またカトリックの最高幹部枢機卿でありながら、「国家理性 Rasion d'Etat」の体現者となるリシュリューを宿敵、としている舞台設定をご想起下さい。
もちろん、デュマの三銃士はスペイン軍に所属はしていませんが、ガスコーニュ出身の「銃士」という点でテルシオの構成メンバーの多くと出自は同じです。
また、粗筋としては、ルイ13世の妃アンヌ・ドートリッシュ(つまりオーストリア・ハプスブルク家)の側にたって、リシュリューと戦う、というあり得る構図です。
この「銃士」は視覚化された形では「シラノ・ド・ベルジュラック」。
あるいは「ロード・オブ・ザ・リング」やカミュの「客人」の映画化で主演を演じたヴィゴ・モーテンセンの「アラトリステ」、日本で観れる貴重な映像です。
アーミッシュとメノー派、二つの「絶対平和主義」派
世界的に見ると、「絶対平和主義」には、宗教的背景があることが多い。
キリスト教の場合は「汝殺すなかれ」を文字通り実践する諸グループ。
有名な例ではクェーカー派。ペンシルヴァニア州は元来クェーカーの州だったので、独立戦争の際にも、補給物資担当に特化した歴史がある。
アーミッシュとメノーは、トラクターとガソリン以外の工業化を拒否した共同体として知られる。
両派は、16世紀ルターの同時代人の再洗礼派、メノー・シモンの流れを汲む。
再洗礼派と言えば、日本ではドイツ農民戦争とT.ミュンツァーで名前はある程度知られている。
アーミッシュは主にカナダと米国に散在しているが、メノーの共同体が政治的動乱で揺れるボリビアに存在している、ことは「le monde diplomatique」の記事を読むまで知らなかった。
共同体では牛乳が「通貨」として使われる。人々は朝、牛の乳を搾って、「買い物」に行く。
牛乳が通貨であれば、全く「蓄積」には不向き。すぐ腐ってしまうから。通貨は資本に転化できない。
社会装置として資本蓄積を不可能にする知恵と言える。
尚、子供は成人に際して共同体を去るか留まるか、選択できる。(再洗礼派ですから)
補足)通俗道徳論について
安丸良夫さんの「通俗道徳」論の私の解釈については、「現代思想 総特集 安丸良夫」(2016)を参照していただければ幸いです。
ここでは、「通俗道徳」を競争社会への「自己陶冶」の技法(フーコー)として解釈する線を強く押し出しました。
一般に、大坂を中心にした経済・金融ネットワーク、商品市場の活性化、マニファクチュアなど、経済的に見れば、江戸時代、とくに18世紀以降は「初期資本主義」的段階に入った面があります。
しかし、「私的所有権」の絶対不可侵、それと関連して「質流れ」以外の不動産売買の自由化、という点でまだ「資本主義経済」とまでは言えません。(例えばいわゆる大名貸しの「踏み倒し」)。
18世紀の英では、どんな爵位の貴族でも借金を返せない場合「債務者監獄」に原則的には収監されます。
これ、19世紀にも続いたので、「ホームズ」シリーズでは、没落した貴族の犯罪、というパターンがあります。
法学的な刑民事上の形式的平等(「自由主義」)と不動産売買の自由化・大土地所有の実現、格差の加速度的拡大は、やはり明治以降、ということになるでしょう。
従って江戸は「近世」、「近代」は明治から、という区分が適切である、と思われます。
「フェリシテ」(2017年・ベルリン映画祭銀熊賞)
コンゴの首都、キンシャサの場末のクラブで歌う女性フェリシテの精神の死と再生をマジック・リアリズム(魔術的リアリズム)的手法で描いた映画。
この映画は、マジック・リアリズム的方法を、まったく「ことさら」感なく、ストーリー、画面構成に生かしています。
また、キンシャサの場末の「路地」感をドキュメンタリー的方法で描いている部分も成功してます。
監督は父セネガル人、母フランス人のハーフ(ダブル)。フランスではアメリカとは違い、俳優の黒人さえ稀。まして監督となるとさらに少ない。
もちろん、アメリカでも監督となると、スパイク・リーなど少数の例外を除くとあまり例がない。
また、俳優、アンカーなどメディアで黒人がある程度登場するからと言って、社会では人種差別がなくなったわけではない、
米国では人口の1%前後が1990年代から刑務所に収監されており、その大半が黒人。
黒人男性の半数近くは収監経験があります。
一方、フランスではマグレヴ系の俳優はここ20年で映画に頻繁に出てくるようになりましたが、監督となると、やはり稀。
黒人となると、さらに稀となる。
いずれにせよ、ここしばらく低迷傾向にあったフランス映画で久しぶりの快挙だと思います。
鶴見俊輔-「論理-実証主義」の脱構築(上)
2000年に出版された鶴見俊輔をホストとした加藤周一との対談は、まさに戦後思想の「末弟」たちの21世紀への「遺言」とも言えます。
扱われているテーマは、「進歩主義」の瓦解、世界戦争、ファシズム、帝国主義と植民地主義、科学・技術、南北問題、現代芸術と科学、フェニミズム、など多岐にわたる。
加藤周一さんについてはまたいずれ詳しく書く予定ですが、今日は少し鶴見俊輔さんについて、若干私の見方を述べたい、と思います。
まず、私の「戦後思想家」の定義は、「ファシズム」に対して、態度決定を迫られる年齢に達していたこと、日本で言えば1937年の日中戦争の際に「青年」として批判的に判断できたこと、ということになります。
37年以降には「ファシズム」や「中国侵略」を批判する言説そのものが完全に日本社会から消えますので、それ以降の「世代」は、まったくの例外を除いて1945年の敗戦以降、はじめて「ファシズム」が「悪」であったこと、「南京大虐殺」という事件があったことなどを知らされることになります。
(ヨーロッパでも1939年までは「ファシズム」は「ネガティヴ」なものではありませんでした。中道右派より右にとっては少なくとも「共産主義」より「まし」)
著者からご恵投いただきました。
熊野さんの本の内容は、入門書としてはちょっと難易度が高いですが、『存在と無』はそもそも超難易度が高いので、それはやむを得ない思います。
『存在と無』と比較すると、ハイデガーの『存在と時間』、とても明快で、疑問点はほとんど残りません。(批判すべき箇所はいろいろありますけれども)。
ここ数十年日本では、「サルトルはハイデガーを誤読している」などといった「デマ」が流通していましたが、そもそも『存在と時間』はあのサルトルが「誤読」するレベルの本ではないのです。
サルトルは確かにハイデガーを参考にはしましたが、まったく別の哲学を構築しました。
次世代のフーコー、デリダなどは、サルトルを「迂回する」ためにあえてハイデガーを持ち上げる「振り」をしましたが、日本の「現代思想」は鶴見俊輔の言う「輸入代理店」の悪い癖で、すっかりそれに踊らされた、と言ってよい。
デリダは晩年、サルトルを「来るべき幽霊」、「回帰する亡霊 un revenant」と呼び、「われわれの前を走り、その後を追いかけて、われわれが息を切らす」と続けました。
ともあれ、熊野さんのこの本、「時代がようやくサルトルにおいつきつつある」ことを示してくれている良書だと思います。
左下ポントルモ「キリストの十字架降下」
右下「神々と巨人族の戦い」
1545年のトリエント公会議以降、この「ダイナミック」な技法を用いて「反宗教改革」のいわば視覚的デモンステレーションとなったのが、ルーベンスとその工房です。
カトリックはプロテスタントと違い、「聖書」を信徒が「勝手に読む」ことを禁止します。
しかし、ルター以降活版印刷の技術と識字率の向上によって、信者を「聖なるテクスト」を媒介に激増させたプロテスンタントに対し、態勢を立て直したカトリックは、ダイナミックの技法を用いた「視覚的物語」によって「民衆」の聖書への要望に応えようとします。
ネーデルランド北部の教会では壁の装飾が白く塗りつぶされたり、教会自体破壊されたりしましたが、ネーデルランド南部(つまりフランドル)では、ルーベンス派の絵が教会を占拠していきます。
「フランダースの犬」のネロが見るのを望んだアントワープの教会のルーベンスもその一つです。
ことほどさように、政治と美術は分かちがたく結びついているのです。
「大澤ー橋爪」対談本に「驚く」
21世紀に入ってから「現代思想」は社会学化の局面に入ります。
宮台真司と東浩紀、それに「思想地図」などは、その象徴。
『批評空間』くらいまではあった「海外思想情報」(多いに歪められてはいたが)は、ほぼ入らなくなり、「思想」言語の鎖国化に歯止めがかからなくなった。
東浩紀などは、浅田彰のような「左翼の振り」も拒否し、「日本に閉じこもって何が悪い」、「日本凄い」(サブカル)、という本音を全開する「旗手」。
宮台の「左翼フォビア」、「ミゾジニー」も日本のサブカル界隈のハビトゥスを増幅した言説。
そして橋爪さんと大澤さんは思想の「社会学化」を牽引した、ツートップ。
お二人とも、歴史・宗教・政治に関する予備知識全くなしで、やたらとこの手の対談本をお出しになる。
昔、立ち読みで「驚いた」のは、「ふしぎなキリスト教」という新書で、「キリスト教には教会法はない」という一節が目に入った時。
宗教改革までのキリスト教関係者は教皇・枢機卿も含め、聖書はろくに読んでいなかったが、教会法、その運用にはやたらと詳しかった。
聖書が重要文書となったのは宗教改革以後。
日本の言説の自閉化・J化に果たした社会学の果たした役割も考える必要がありそうです。
「アクト・オブ・キリング」と「ルック・オブ・サイレンス」 (続)
日本ではどうも「想像の共同体」を文脈抜きに使いまわす時期が長すぎたように思います。
訳者の白石隆などは、はっきり言ってアンダーソンの立場には何の共感もない人間です。翻訳もはっきり言って誤訳も多い。
アンダーソンは基本的に第三世界ナショナリズムに肯定的であり、1965年の事件についても、「共産党が合法性に拘り過ぎたのは政治的に失敗」という意外(?)な指摘をしています。
いずれにしてもこの1965年の大虐殺事件は「Global cold war 」に決定的な影響を与えました。
米国は共産主義のヴェトナムへの
「封じ込め」に成功します。
私見では、この時までむしろ「中国派」だった日本共産党が決定的に「武闘路線」を放棄し、「日本」共産党として議会主義に最終的に参加することを選んだのは、この事件の結果ではないか、と推測しています。
つまり「煽るだけ煽った」毛沢東の中国が、実のところ、PKIを助ける能力も意志もない、ということが明白になったからです。
これは事柄の性質上、文書資料によって「確定」するのはおそらくまだ数十年かかる、あるいは「確定」するのは無理かもしれませんが・・・状況証拠からして間違いない、と思われます。
「アクト・オブ・キリング」と「Look of silence」
東南アジアでの米国の「宗教戦争」の最中、1965年、インドネシアのスハルト派軍部とCIA、MI6(英軍事情報部)、オーストラリア情報機関の連携、そして右派民兵集団の動員により、数百万ともよばれるインドネシア共産党員及び関係者が虐殺されました。
これによってアジア最大とされたインドネシア共産党(PKI)は地上から消え去りました。
この二つのドキュメンタリーは、加害者(とくに民兵集団)にインタビューを進める過程を映像化しています。後者は被害者の関係者も登場します。
恐ろしいのは、この大虐殺は未だインドネシアでは公的に批判の対象になっておらず、関係者の処罰も行われていないこと。むしろ被害者側のサバイバーが、身を潜めて生きていかなければならない。
スハルト政権自体は倒れたとは言え、インドネシアのエスタブリッシュメントが、「虐殺」に加担した側との連続性が強いことが根本的な原因でしょう。
本来、インドネシアを研究フィールドにしていたB.アンダーソンはこの事件に関してスハルト政権を強く批判したため、長く入国を拒否され、結果として広く東南アジアを研究対象としたため、「比較の亡霊」という名著も生まれます。
「暗殺」と「密偵」
日帝支配下の朝鮮・満州・上海を移動する「独立」運動の闘士たちの映画、「暗殺」。
決して「シネフィル」的な映画ではないが、「密偵」と並んで、近年の「韓国」映画の湧き上がるパワーに溢れている。
日本映画・批評の低迷は、政治・社会と正面から向き合ったよい意味での「大河メロドラマ」をひたすら回避してきたことに一因があると思う。無理につくろうとすると、結局山本薩夫や山崎豊子のリメイクになってしまう。
ここでは詳しくは論じられませんが「この世界の片隅で」(映画)の決定的な弱点は脚本の弱さ、というか悪い意味でのナイーヴさにあると思います。
一点だけ、主人公の夫が海軍法務部に勤め、陸軍を戯画化するという戦後流布した「物語」になっていますが、現実にはそれほど単純なものではない。陸軍、海軍双方に大きな責任がありました。
また、主人公の肝心の台詞、ほぼ聞き取れないし、また「聞き取れた」としても原作のように「在日」の人々への眼差し、とは受け取れません。
従って、この映画に対して在日の方、韓国の方が違和感をもつのは当然でしょう。
映画は「総合芸術」なので、いくら視覚的に繊細な絵をつくれても、戦争を扱いながら脚本が決定的にダメであれば、少なくとも私は評価できない。
「機械人間 machines」(インド、ドキュメンタリー)
インド、グジャラート州の、ある繊維工場と労働者たちを、映像としての完成度を徹底して追求しながらフィルムに収める。
インドと言えば、バンガロールなどのIT産業のお話しがよく報道されていますが、労働者の圧倒的多数は、むしろこの映画で描かれるような、労働法・労働規制を排除した19世紀的な環境に置かれている。
組合をつくろうとする試みが稀にあっても、リーダーたちは暗殺される。
劣悪な労働環境の中、子どもたちも化学物質にまみれながら、働いています。
エンゲルスが描いた19世紀における「イングランド労働階級」とほぼ相似的です。
グジャラート洲と言えば、1990年代半ば(94年と記憶していますが)、時のBJP州政府、警察の暗黙の支持の下に行われた、ムスリムに対する「ポグロム」でも知られます。この際、少なくとも数千人規模の犠牲者が出ました。
この時の州政府首相が現在、インド共和国首相のBJP党首のモディでした。
マクロに見れば、新自由主義グローバリズムと極右原理主義との結合、というありふれたものでありながらも、危険きわまりないうねりが米国、ブラジル、インド、それに日本、いわば太平洋、インド洋を横断してせりあがっている。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年