拙著『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会、2019年)です。
ここの所、ファシズムと冷戦に関する投稿が多いですが、もしより詳細な、思想的文脈にご関心の或る方はご笑覧いただければ幸いです。
いわゆる「戦後思想」と呼ばれている言説が「戦中」の「ファシズム」との思想的対決から生れ出た視点を強調しています。
またWWII以後の「グローバル冷戦 cold war」による世界空間の再編の中で、ユーラシアの両端で「独立左派」を模索したフランスと日本の思想を比較する視座を導入しています。
さらに言えば、日本は敗戦によって全ての海外植民地を喪失しますが、仏は形式上「戦勝国」となったため、インドシナ・アルジェリアで1965年まで「戦争」を継続しました。
サルトルと『現代』は、その過程で一貫して「植民地独立」を支持する篝火であり続けます。
また植民地独立後はマグレヴ(旧仏植民地)からの安価な移民労働者の導入(政府も関与)が生み出した所謂「郊外 banlieue」の問題、「クセノフォビア」の問題にも取り組みます。
FNのジャン・マリー・ルペンはアルジェリア戦争でアルジェリア人を拷問する立場にありました。
「記憶の戦争」は仏でもまだ終わっていないのです。
先週、参院会館で行った、「スラップ訴訟、言論の自由、民主主義」が週刊金曜日の今週号で取り上げられています。ご関心のある方は是非お読みください。
大学の新設計画という公的問題を動画にて突如公開するする以上、当然それは(多少の誤解を含む)論評が出るのは当然です。
それを自分の都合の悪い投稿をした人間に「日本財団・ドワンゴ学園」準備委員会が「法的措置を取る可能性がある」と内容証明で送って来れば、普通人は「心理的威圧」を感じます。
その企画の中心に安倍首相周辺の政治権力の中心や大富豪がいるとなれば尚更です。
法的訴訟となれば、時間はかかりますし、常識的に「スラップ」であって棄却と予想しても、この手のことに「絶対」はありません。
しかし、だからといって、誰もが「スラップ」を恐れ、また「忖度」して言論を自主規制すれば、民主主義は成り立ちません。民主主義は、構成員がある程度重要情報を共有してこそ成り立つシステム。であるから、「言論の自由」、「表現の自由」は民主主義にとっての死活問題。
私としては法的手続きはそれとして粛々と進める予定ですが、法的プロセスは別に「民主主義」と「言論の自由」について、(マスコミ政治家のみなさんも含めて)問題意識を共有していただきたく、記者会見を開きました。
今日、参議院会館で、「スラップ訴訟と言論の自由、そして民主主義」と題する記者会見を開きました。
研究者、ジャーナリスト、それに望外なことに参議院議員である宮本岳志さんが参加してくれ、活発な討論の場になったと思います。
宮本議員はかつて金融ローン会社武富士が週刊金曜日に対して行った1億数千万以上の賠償請求事件に関して、国会質問にたった経験があり、そのことから今日の会見に興味をお持ちになった、ということでした。ちなみにこの際の武富士側の弁護士が、現在の大阪維新の吉村市長です(勿論、武富士の要求は棄却)。
いやはや、20年たっても構図はあまり変わっていないのか・・・
というよりもジャーナリストの方たちのお話を聞くと、この手法は現在さらに多用されており、組織ジャーナリズムは「訴訟」になりそうな記事を自主規制、フリーの人は訴訟のリスク・負担を恐れてこれまた「自粛」という流れもあるように感じました。
「言論の自由」、少なくともこれがなければ民主主義はなりたちません。治安維持法でなくても、大富豪と権力者の企画を批判すること「スラップ訴訟」の圧力で「自主規制」されるようでは、日本の民主主義体制は風前の灯と云えましょう。
尚、今日の動画は近々、公開できると思います。
「どわんご」に続いて、笹川財団から、内容証明つきの「脅迫状」の脅しが届いてから、2週間ほど過ぎた。
しかし私への法的恫喝は別にして、2025年4月Z大学開学に間に合わせるためには、いくら去年法改正はしてあるとは言え、今年10月、つまりあと1月余りで申請することが必要になる。
ところで、現在新学部を申請するだけでも膨大な書類が必要になる。一度それを見せてもらったことがあるが、広辞苑4冊分ぐらいの厚さだったように記憶している。
その際の責任者の人に拠れば、専属の事務職員が4人は必要、とのこと(学部の場合)。
ZEN大学の場合、まだ存在していないわけだから、専属の職員も教員もいない。誰がそれを担当するのか、と不思議がっていた。
確かに東浩紀などが、そのような膨大な書類仕事がやれる筈もない(私も無理だが)。たぶん、私への「脅迫状」の送り主、「笹川財団ドワンゴ学園準備委員会」が書類づくりを行うのだろう。
ところで、どうやら「どわんご」さん、私以外の方にも「法的恫喝」を加えているらしい。
さても不思議。自分たちが発表した計画に対して「論評」が出るのは当然である。
気に食わない「論評」を書いた人に「恫喝」を加えて回るとは?
これ、大学を創設しようとする団体がやることか?
#海渡雄一 弁護士。
あす、4月25日に、院内集会を兼ねた出版記念会を開き、経済秘密保護法の危険性を訴えます。経済安保の専門家、井原聡先生と坂本雅子先生、食糧安保の専門家、天笠啓祐先生と私が出席し、地平社の最新刊『経済安保が社会を壊す』の内容を縦横無尽に話合います。
地平社は、岩波書店の『世界』の編集長をされていた熊谷伸一郎さんたちが、あらたに設立した、やる気満々の出版社です。
場所は参議院会館の講堂です。定員300名です。ぜひ、満員にしたい。ぜひ、リアルのご参加を。本の発売は公式には30日からですが、当日にも販売予定です。明日の院内集会は、会場をいっぱいにしたいので、来れる方は参議院講堂まで、ぜひ来てください。来るのが難しい方は以下でご覧ください。https://www.youtube.com/live/MXm7wd5FmzY?feature=share
東大法学部名誉教授木庭顕さんの「ポスト戦後日本の知的状況」を読む。
木庭さんはローマ法専攻、「稀代の碩学」と言われる、東大法学部伝説の「奥の院」的な人である。私は直接お会いしたことも講義を聞いたこともないけれども。
元来、「象牙の塔」的なスタイルだが、いよいよ現在の日本の政治社会状況及び知的退廃への危機感を押さえきれなくなったようだ。
私は専門も世代も違うし(木庭さんは1951年生)、立場も違うので、疑問点や同意できない部分もあるが、全体としては問題意識はよくわかる。研究者の人にはぜひ一読をお勧めしたい。
それにしても、この書における木庭さんは、怒りを爆発させた「荒野のリア王」さながらの猛々しさである。
序文からして「東大法学部は一般的には、必要な文学的歴史学的哲学的素養を欠き、したがってクリティックなど一顧だにしてこなかった」と一刀両断。
大学に関しても、大学院化以降「教授の仕事は申請書類を書くことに変わった」、「ロースクールによって法律学は初等法律教育に堕落」、政治学者は「政治学をやめて政治に走った」という調子である。
中沢新一に至っては「いい加減なことを言って読者をたぶらかそうとする暗い情念」。
ま、中沢は単に本人が「いい加減な人」なだけでは?という気もするが。
イスラエル軍がAI「ラベンダー」で標的選定か ガザ民間人犠牲3万4000人超【news23】|TBS NEWS DIG
https://www.youtube.com/watch?v=8mPtCInr5cM
#youtube_tbsnewsdig #ニュース #NEWS #TBS #NEWSDIG #TBSNEWSDIG #最新ニュース
BT
このあいだの「イランからイスラエルへの攻撃」から「イスラエルを守るため、アメリカ海軍の艦艇が迎撃ミサイル「SM-3」を実戦で初めて使用した」という記事。
記事を読んで、全体的に兵器の性能をアピールすることが目的っぽい書かれ方だと思いました。
やはりこうやって、武力衝突があると「実地で使われて、効果がありました」という、兵器をつくっている会社にとっては絶好の宣伝の機会になるのだなぁと実感します。
この記事に出てくる「RIM-161スタンダード・ミサイル3」。
開発は日米で行われ、三菱重工業も参加しています。
日本の海上自衛隊の護衛艦にも装備されているもので、一発20億円。(これは何年か前の値段で、現在は円の価値がないから、もっと高いと思います)。
・「イランのミサイル迎撃に初めて実戦使用されたSM-3、日本の防空能力も証明」(JBpress)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/80577
↑こういう記事の書かれ方から見ても、今回の「実戦初使用」は「優れた兵器」であることをアピールして、さらなる軍拡を日本でも推し進めるために利用されるものと考えられます。
ちなみに、ミサイル防衛に日本が参加を決めたのは小泉政権時。旗振り役は守屋武昌氏(兵器産業からワイロを貰って逮捕服役した元次官)。 [参照]
アメリカ海軍が初めて実戦で使用したミサイル「SM-3」とは…大気圏外での迎撃能力も
https://www.businessinsider.jp/post-285547
14才で731部隊に参加した二人の方の証言。
戦争犯罪の末端にこんな子どもを荷担させていたなんて。
1945年8月14日、上官から「もし、捕まることがあれば自害しろ」と青酸カリを渡されたそうです。
実際に細菌兵器が使われた浙江省で、家族が犠牲になった中国の方のお話も。
https://www.youtube.com/watch?v=CJhcPWp6Ilo&list=PLhoNlZaJqDLbA7XMiMv0dWsxl1rtoarUy&index=3
「標本室は目の開けられないくらい・・・」731部隊の実態、元少年兵の目に焼きついた光景【報道特集】 | TBS NEWS DIG
BT
清瀬市の「駅前図書館」。よさそう。
図書館でかりられるDVDやVHSって、あんまり配信やレンタルで見られないやつがあったりして、意外に充実してたりするんですよね。紀伊國屋書店が出している映像ソフトとか。
清瀬市ですが、
たしか、図書館の数を現行の6から2にする条例案(つまり4館の廃止)を、市議会で過半数占めている自民公明が突然出してきて、可決してしまったところですよね。
https://www.jcp-tokyo.net/2024/0330/91173
図書館、運営しているひとたちはこうやって利用者の利便をはかったりしていろいろ工夫しているのに、与党の政治家はそれらすべてを「コスト」としか思っていないのかとやりきれない気持ちになります。
清瀬市立の「駅前図書館(これが正式名称)」は、渋谷区立の「笹塚図書館」と同様、駅前の店舗ビルの上階にあるのだが、なんと図書館の入口の向かいが新刊書店になっている(あまり例がない立地では)。あとここは、貸出可能な映像ソフトの所蔵が比較的多い(DVDのみならず、VHSも多数)。下の階は西友なので、買い物ついでにカジュアルに立ち寄れそう。図書の企画展示も多い。
デリダは、あからさまに哲学者であると同時に作家でもあるサルトルをモデルとしており、哲学としては比較しやすい。ただ、デリダの本領は、自ら「他者」と呼ぶフランス語との「言葉遊び」にあり、無理に形式化しても、それはサルトルの範囲内に収まる。
さて、日本の文学部哲学科ないし仏文科の難点は、フーコーの『狂気の歴史』、『監獄の誕生』、『性の歴史』及びコレージュ・ド・フランス講義を読むための、精神医学と刑事権力、主権と統治性、オルド自由主義などの経済学、より根本的には近世・近現代の欧州史などの知識を全く欠いていること。
であるから、「フーコーと眼差し」などといった全く「ズレた」問題設定になる。ちなみに「眼差し」を哲学的主題にするなら、間違いなく「サルトルと眼差し」でなければならない。
これは部分的には日仏の哲学教育の違いにも由来する。この当時の仏では基本カント哲学をベースにして、アリストテレス論理学・近世科学と哲学の関係をリセで叩きこまれる。
また仏では哲学者は同時に左派知識人でもある。この点が日本の文学部哲学科及び仏文科に全く欠けているハビトゥス。
であるから、フーコー、ドゥルーズ、デリダの日本への導入は、英米と同じく、基本的には失敗した、と総括できるだろう。
どうも一部の界隈で「現代思想」と「哲学」の関係が話題になっているようだ。
私もフーコーと『言葉と物』について、「相当の近世・近代哲学と言語学の知識がないと分かる筈がない」と啖呵を切ってしまったので、なにやら補足をする必要を感じる。
まず原則論から言うと、仏では「現代思想」という概念はない。またフーコー、ドゥルーズ、デリダは全員哲学のアグレガシオン(教授試験、当時最難関)に十ている哲学者である。デリダなどは受験は苦手で1度落ち、2度目もパッとしない順位で通った。アルチュセールは、ENSにおけるこのアグレガシオンの受験指導担当であり、ここで多くの弟子を養成した。ENS出身のアルチュセリアンが多いのはそのため。
しかし、フーコーは所謂制度的な哲学とはかなり異なる道を歩もうとする。そもそも彼はリセで教えず、大学にも少し籍を置いてだけでコレージュ・ド・フランスに上り詰めた。たしかにフーコーは「世渡り上手」ではあったが、これはENS出身者でなければ無理なアクロバットな道である。
対照的なのはドゥルーズでENS出身者ではなく、地道にリセで教えながら哲学の論文を書き続け、「差異と反復」で博士号を取得。とは言え、日本で有名なガタリとの共著は、日本の文学部哲学科の訓練では「読む」ことはできない。
最近田中優子さんと上野千鶴子さんをよくみかける。
内容は今の自公政権批判であったり、現在開催中の「大吉原展」に関する解説であったりする。
私は自公政権批判については、田中さんや上野さんの側であって、「後ろから弓を引く」意図は毛頭ない、ことを断っておきたい。
さて、それを前提とすると、田中さんも上野さんも80年代の主張と今現在の主張が全く異なることに驚く。
二人とも「人権」という言葉を頻りに口にするが、「人権」とはまずもって法的概念であって、まさに「近代」のもの。お二人とも「人権」を含めた「近代」を超える、という主張だった筈である。
であるからこそ、「近代」の視点からネガティヴに捉えられる江戸の消費文化を再評価しよう、という話だった。勿論田中優子さんは広末保の弟子であって、その「悪場所の思想」をより感覚的に展開にしたに過ぎない。左か右かと問われれば迷わず「左」の人。ここは今やサントリー芸人になった佐伯順子さんとは明確に異なる。
上野さんに至っては、この世代特有の「流行り好き」そのままに論じる対象の評価を次々と変えてきた。「一波フェミニズム」の矮小化や福祉国家批判だった筈が近年は擁護に回っていることなどはその典型。
いずれにしてもこの分野も世代交代が切に望まれる所ではある。
中国の学歴社会は近世宋代に科挙というシステムで完成され、基本的には清代末期まで継続した、とされます。
このシステムによって、中国では皇帝(と皇族)以外の世襲の身分は消えました。勿論、高級官僚の子供は教育投資によって科挙に受かりやすいとされますが、落ちれば「ただの人」となる。
この中国の科挙システムと能力主義と非身分制社会という点で評価したのが18世紀急進啓蒙のレナル。
他方、皇帝専制主義として激しく攻撃したのがモンテスキューです。
J.イスラエルの分類では「穏健啓蒙」に入れられるヴォルテールは儒学の「現世的な」(反パスカル)的な部分を評価。
また中国の特徴はこの時代にすでに均分相続だったこと。従って、一代で財を成したものも子供、孫の代になると、小型化し、市場を独占するアクターが生まれにくかった。
さらに言えば、近世中国では日本でいう「村」はほとんど機能せず、地縁による紐帯はないに等しい。また住民の移動が激しいので、一世代ですっかり入れ替わることも。
朝鮮では、この移動率は中国と日本の間とされる。
甲午農民戦争のも指導者、チョンボンジュンもそのような移動する民でした。
従って、中国では宗族・結社の同調圧力は強いが、村の同調圧力はほぼない。ここは地縁優位の日本と大きく異なる。
来週投票の衆院東京15区、酒井氏リードは「わずか」で、維新・教育の金沢、保守(百田)党の「あの」飯山陽氏が「激しく追う」展開と報道されている。
飯山氏は「敵の背中が見えてきました!」と意気盛んだという。やれやれ。
乙武氏(国民民主・都民ファ)は圏外のようだ。
しかし、極右がある意味三つにわれても、「リード」が「わずか」しかない、とすればこれはたいへんなことである。
維新はすでに横浜までは東進しており、いずれ近いうちに多摩川で迎え撃つこになるだろう、と思ってたが、江東区がこの状態では、後詰が必要だなー。
しかし、それとは別に日本の政党システム、いよいよ激変の日は近い予感はする。
それは必ずしもいい方向になるとは限らないけれども。
野党指導者の中にフォルトゥーナを摑めそうな人もいないしなー
みなさま、ご存じの通り私は米中の直接軍事対決は「ない」という見立てです。
今日は、逆に日本・韓国と共通する中国資本主義の「危機」について。
現在、中国の最大の問題は日本と同じく少子高齢化と福祉の危機。
少子高齢化のスピードは、日本は実は東アジアで最も緩慢。
中国は革命後2世代ほど「一人っ子」政策を採用していたため、劇的に少子高齢化が進みました。
元来、中国は国家と社会の分離がはっきりしており、伝統的に福祉は宗族と言われる拡大大家族の担当。しかし、都市化と核家族化の進行とともに単純に言うと、2人で4人を支えることになる。
この10年の中国の政府予算の内、福祉予算の割合が急拡大している理由があります(軍事費は横ばい)。
また中国は宋代に原型ができた超学歴社会でもある。現在でも親が無理をしてでも子供を大学に進学させる。
しかし、日本・韓国と同じく大卒の就職率ないし雇用の中味は平均すると急激に低下している。また、結婚圧力が強い中で、若い男性の独身率が高まっている(元来男の数が多い)。
これは日・韓とも共通する資本主義的近代化と学歴を通じた階層上昇システムの危機、と言える。
とは言え、今中国の資本主義が倒れれば、日本も崩壊する。
その意味でまさにグローバルな危機、と言えるでしょう。
私はまだスマホをもっていない。しかし、緑色部分がもう薄くなってきたスイカはさすがに使っている(切符を買う手間が省けるから)。
しかし、昨日はーよくあることだがー駅に着いたところで、スイカを入れた財布を家に忘れてきたことに気がついた。
「しょうがないなー」と思いつつ、自動券売機の方に向かうと何やら行列ができている。何事かと思えば、自動券売機が2台しか動いていない。
快速が止まる駅なので、住民はそれなりに多く、2台しかなければ行列になる。多くは高齢者の方だった。
待っている間に駅構内を見渡すと、何やら緑の窓口がなくなって、そこにやたらとJRのコンビニが入っている。しかし、コンビニは駅周辺にすでに4つもあるので、もう十分だ。
結局、列に並んでいる間に予定の列車は出発してしまい、結果的に目的地には随分と遅れて到着することとなった。
最近はスマホで電子決済する人が多いようだが、私のような「忘れん坊」にはリスクがある。現金の入った財布とスイカの入った財布、それに前ポケットに小銭を入れておけば、どれかを忘れてもなんとかなることが多い。少なくとも家に取りに帰らなくても済む。
なんでもリスクは分散しておいた方がよいのである。しかしJRは何も一斉に緑の窓口を閉鎖する必要はないのではないか?
尚、ネットでは下の版元ドットコムの予約ページで買えるようです。
去年の『現代思想』4月号で、現代日本の「教育と社会」討議のお相手をして下さった大内裕和さんが、早速拙著の読後の感想をXにUPしてくれています。ありがとうございます。
https://twitter.com/ouchi_h/status/1782026043492290947
本屋に並ぶのは月末、と聞いていたけれども、東京堂さんは地平社の立ち上げに協力してくれた、ということだろうか?
尚、前述の去年の『現代思想』の討議も戦後日本社会の推移と言説、それに学歴を通じた階層移動システムの機能不全の問題など幅広く扱っています。もし、ご関心のある方はご一瞥下さい。
「ル・モンド」などでは10年程前から時折記事になっているが、日本の受刑者の中で高齢者の割合が増加し続けている。特に女性の場合が顕著である。
22年は、男性受刑者の23.1%、女性のなんと33.2%が高齢者(70歳以上)である。
検挙数に至っては、22年度の82,5%が女性高齢者である。ここまでは今日の東京新聞に出ている。
しかし、その背景の分析がない。
勿論受刑者、特に女性の受刑者・検挙者のここ10年(20年)の急増は少子高齢化社会の「反映」などではない。
単身・低学歴の女性の貧困が最大の背景である。つまり、これらの人々にとっては刑務所が老人ホームの「代わり」となっているのだ。
つまり、刑務所は家賃もいらないし、診療施設もある。また「孤独ではない」=「仲間」がいる、ことも重要だ。
元来、万引き・窃盗などの軽微な犯罪なので、刑期は短い。従って釈放された後、途方に暮れて「自発的に」再犯して、また戻って来る人も多いという。
この状況程日本の「福祉の貧困」を象徴するものはない。
従って、軍事倍増で福祉予算を削減している場合ではないのだ。
メディアなどではやはり高学歴の若者ないし子供が「絵になりやすい」。
しかし単身高齢女性の貧困にももっと目を向けるべきだろう。
「 あの」竹田恒泰氏が社長をつとめる令和書籍の歴史教科書が検定を合格したと云ふ。
しかも、日本史研究者でもない竹田氏が自ら執筆した、というのだ。
中学・高校の歴史教科書は、普通各時代、各地域の専門家たちが、数年かけて作り上げるもの。
竹田氏は、日本の中学の歴史教科書が「反日的」として自ら「国史」の執筆に乗り出した、と伝えられる。
ところで、「国史」という表現、とっくの昔にアカデミアでは使われないようになっている。通常、「日本史・日本語文学」である。
ま、東大法学部の紀要のようにまだ「国家学会雑誌」という名前に所もあるけれども。
今回提出した竹田版教科書では「現存する世界最古の国家は、わが国」という明らかなデマもあったらしい。
しかし「後白河天皇の院政」と書くようでは、著者自身が中学歴史教科書を「学び直し」した方がよいのではないか?
日本の建国の成り立ちを「子供たちが知らない」とも主張しているようだが、本人も「知らない」ようなので、まずは網野善彦「日本とは何か」を読むのがよいだろう。
しかし、この手の出版事業、WILLでもHANADAでも同じだが、一体どこから資金を調達しているのか、それがなんとも謎である。
4/25(木)経済安保についての院内集会があるようです。
地平社の新刊『経済安保が社会を壊す』も買えるみたい。
https://kojiskojis.hatenablog.com/entry/2024/04/17/215613
以下転載
【緊急集会】
<参議院で実質審議を!>
経済安保が社会を壊す
民間企業の従業員にも身元や思想にかかわる調査を義務づける「セキュリティ・クリアランス」を含む、経済版の秘密保護法というべき法律が、衆議院で、十分な議論もされないまま、通過してしまいました。
多くの野党も、「反対の声が広がっていない」などとして賛成してしまっています。この法案の問題点を共有するため、専門家の分析を聞き、議論します。
4月25日(木)
午後5時開会(午後4時30分開場)
※午後4時30分よりロビーにて通行証を配布します。
参議院議員会館・講堂(永田町駅)
参加費無料
<報告>
井原 聰(東北大学名誉教授)
海渡雄一(弁護士)
天笠啓祐(ジャーナリスト)
坂田雅子(名古屋経済大学名誉教授)
主催:経済安保法に異議ありキャンペーン
協賛:地平社
=============
<当日、会場にて販売します>
【緊急出版】
『経済安保が社会を壊す』
(島薗 進、井原 聰、海渡雄一、坂本雅子、天笠啓祐/地平社)
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年