「大澤ー橋爪」対談本に「驚く」
21世紀に入ってから「現代思想」は社会学化の局面に入ります。
宮台真司と東浩紀、それに「思想地図」などは、その象徴。
『批評空間』くらいまではあった「海外思想情報」(多いに歪められてはいたが)は、ほぼ入らなくなり、「思想」言語の鎖国化に歯止めがかからなくなった。
東浩紀などは、浅田彰のような「左翼の振り」も拒否し、「日本に閉じこもって何が悪い」、「日本凄い」(サブカル)、という本音を全開する「旗手」。
宮台の「左翼フォビア」、「ミゾジニー」も日本のサブカル界隈のハビトゥスを増幅した言説。
そして橋爪さんと大澤さんは思想の「社会学化」を牽引した、ツートップ。
お二人とも、歴史・宗教・政治に関する予備知識全くなしで、やたらとこの手の対談本をお出しになる。
昔、立ち読みで「驚いた」のは、「ふしぎなキリスト教」という新書で、「キリスト教には教会法はない」という一節が目に入った時。
宗教改革までのキリスト教関係者は教皇・枢機卿も含め、聖書はろくに読んでいなかったが、教会法、その運用にはやたらと詳しかった。
聖書が重要文書となったのは宗教改革以後。
日本の言説の自閉化・J化に果たした社会学の果たした役割も考える必要がありそうです。