F.ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』。1934年、フランクフルト社会研究所から出版された(序文M.ホルクハイマー)。
丸山眞男『日本政治思想史研究』に収められた第一論文(1940)及び第二論文「近世日本思想における自然と作為」(1941)は、このボルケナウのシェーマを下敷きに、ヘーゲル的叙述によって組み立てられたもの。
丸山自身は1929年に出版されたK.マンハイムの『イデオロギーとユートピア』の決定的な影響を強調する。確かに、未だに、イデオロギー論としてはマンハイムのこの著作を超えるものは出ていない、と言ってもいい。
しかし、ボルケナウの著作も現在再読すると、単なる「封建」ではなく「近世」思想への着眼的の独創性には驚嘆する。マキャヴェリ、ボダン、アルトジウス、グロティウスを扱った第三章「自然法と社会契約」、またリプシウスとモンテーニュ、リベルタン、ジェズイット、ジャンセニズムを分析した第四章など。とりわけリプシウスと新ストア主義の関係の重要性を指摘した箇所などは「先駆的」以上。
この時点ではディルタイが言及している程度で、WWII後G.エストライヒによって新ストア主義の重要性は再定位された。
晩年までストア主義に拘るフーコーは、エストライヒを読んでいたのか?
来年夏の参院選で、野田立憲と吉村維新が「共闘」することを決定したと云ふ。これはいろいろな意味で「破滅的な」決定である。
まず維新は今度の兵庫県知事選でも改めて確認されたように「21世紀のファシズム」運動。「ファシズム」は、元来政治の選択肢に入れるべきではない。
であるから、もし「法の支配」と「民主主義」を原則とするなら、維新との「共闘」などは、アプリオリに排除されるべきである。
また今の、野田執行部の立憲は、軍事費倍増、消費増税、原発全面DX、そして日米軍事同盟+沖縄基地負担押し付け、の全ての点で、自公政権と路線を同じくする。
要するに、今度の維新との「共闘」は野田立憲が「法の支配」にも民主主義にも何の関心もなく、ただ永田町の権力ゲームに打ち興じているだけであることを裏付けただけ。
そもそも、この維新との共闘、先の衆院選前にも一時永田町レベルでは取り決められたが、一般市民や地方の立憲系からの反発が予想以上だっため、一時「うやむや」にされた。
もし、このまま参院選に突入すれば、投票率の低下orパワーエリートに演出されたポピュリズム(石丸現象)、あるいはその双方、だろう。
いよいよWWII後の既成の政治枠組みは崩壊し、新しい「地平」を切り開く時が来た、ということだろう。
『地平』1月号で、緊急特集「アメリカー選挙と民主主義」、特集「大阪デモクラシー 維新政治の次へ」が組まれています。
後者では大阪公立大学の前川真行くさんが「大阪維新 2008-2024 東京から大阪へ、そして東京へ」を寄稿してくれています。
前川さんは、維新による大阪女子大学時代から、女子大学と大阪府立大学の統合、さらに大阪府立大学と大阪市立大学の統合(大阪公立大学へ)へ、という15年に渡る大学への維新の介入に、当事者として抵抗して来た方でもあります。
この論考では、維新政治を中曽根から始まる新自由主義と大阪土建政治との「結託」という長期のタイムスパンで分析、また所謂「ポピュリズム」も決して関西特有のものではなく、昨今の石丸現象に見られるように、東京のメディア政治とも連動していることが解き明かされています。
また兵庫県知事選で稲村陣営の共同世話人を務めた、元兵庫県弁護士会長の津久井進さんが、「兵庫県民の選択 ウェブポリュリズムの抬頭」を寄稿。
津久井さんは私の中学・高校の同級生でもあります。
今度の原稿は投票日の17日の結果が出てから徹夜で書き上げ、18日早朝に入稿したとか。お疲れ様でした。
ご関心のある方は、ご笑覧・ご購読いただければ幸いです。
1944年11月、フランスがWWIIの際動員したセネガル兵を復員後、兵舎に収容、捕虜のドイツ兵より劣悪な環境に抗議したセネガル兵たちを虐殺した「ティアロエ」事件。
80年を経て、仏マクロン大統領がこの「虐殺事件」を公に認めました。
フランスはWWIの際もセネガル人を主に「狙撃兵」として動員。WWIIの際はノルマンディー上陸に合わせた南仏上陸作戦では、セネガル兵、アルジェリア兵を大量に動員、多くが戦死しました。
しかし終戦後、一転してフランスはアルジェリア、セネガル、マダカスカルなどの植民地独立を軍事力で抑圧。アルジェリアのセティフでは数万人、マダガスカルでも数万人をそれぞれ虐殺。
アルジェリアではその後、戦争へと突入、数百万人のアルジェリア人が犠牲となる。
仏第四共和政はWWII後、インドシナ、チュニジアと植民地独立問題への対応に苦慮し続けたが、ついに1958年ド・ゴールによるクーデターによって崩壊。
1944年の虐殺に戻ると、セネガル出身の作家・映画監督ウスマン・サンベーヌ(1923生、ファノンと同世代)は「ティアロフ兵営」を1987年に撮影。これは私は在仏中に観たが日本では未上映。
ただし、小説「黒人沖仲士」、「セネガルの息子」などは日本語訳がある。
この「砂時計」という1995年のドラマ、1980年の光州事件をはじめてテレビドラマで扱ったものとして、韓国では視聴率45%、放映時間になると、多くの人が帰宅するため「帰宅時計」とも呼ばれたと云ふ。
光州事件で政権を掌握した韓国の軍政は、1987年の学生・労働者の反乱によって、大統領直接選挙及び金大中らの反体制活動家の釈放を骨子とした「民主化」宣言を余儀なくされる。
この時の民衆運動を主導した学生運動家達は386世代と呼ばれ、その後韓国社会の中心に影響を及ぼしていく。私の仏留学時代の知り合いや、日本への留学生の友人達も全て「368世代」で非常に政治的関心が強かった。
ただし、1987年から約30年経ち、韓国社会も新自由主義グローバリズムの影響で格差と貧困が急拡大している。
2023年の連続ドラマ「旋風」は、この時代の変化を象徴する。
ここでは民主化を担った仲間達が財閥への態度を巡って決裂。「ペパーミントキャンディ」のソル・ギョング演じる大統領(検事出身)と民主化時学生運動家だった女性副首相とのパワーゲームはー部分的にやや展開に無理があるがーまさにこれぞ「権力闘争」。
それにしても「砂時計」でも主役は検事。韓国政治において検察が如何に大きな役割を果たしているか、如実に表れている。 [参照]
みなさんもご存じの通り、火器自体は日本でも16世紀には、大量に火縄銃として普及していました。ただし、有名な長篠の戦いにおける3千丁の連射は「史実」ではない。
1千ずつわけて、一糸乱れず連射を繰り返すには、それこそ「マウリッツ」型訓練が必要なのです。当時の史料「信長公記」にも連射のことは書かれていない。
このエピソードが人口に膾炙したのは、明治時代の教科書に記載されたため。これこそ、国民徴兵・訓練によりマウリッツ型=近代軍隊の創設を課題にした明治政府によって「つくられた歴史」と言える。
またオスマン帝国セリム1世が1514年にチャルディラーンにて当時常勝無敗だったサファーヴィー朝の騎兵集団キジルバシュをマスケット銃で粉砕、次いでマムルーク騎兵も破ってエジプトを征服したことは、ユーラシアにおける2千年続いた騎兵集団の優位を終焉させる。
さらに1526年にバーブルが劣勢と見れらたパーニーパットの戦いでセリムの戦術を模倣、逆転勝利してインドにムガール帝国を気づく。バーブルはモンゴルのチャガタイの末裔ではある(故にムガール(モンゴル帝国と呼ぶ)が、伝統的な軽騎兵戦術を放棄することで「火薬の帝国」の創設者となる。
ただし、両帝国ともマウリッツ革命以後の欧州諸国の前に後退を余儀なくされるのです。
「荒野のリア王」木庭顕さんが、ついに「荒野」からお戻りになり、今週の「朝日」デジタルに16頁に及ぶ批評を寄稿している。
ここで木庭さんは「2013年体制」と呼ぶ「極右=ウルトラ・ネオリベラル」体制の起点を1980年代の土光臨調と国鉄解体に見る。この視点は私たちが1990年代に行った「80年代研究会」とその成果、例えば2000年の『現代思想』「ポストモダンとは何だっのか?」、あるいは2023年4月の『現代思想』三宅・大内対談「新自由主義下と教育とイデオロギー」とほぼ同じ。
また木庭さんは新自由主義的再編までの戦後日本体制を「利益集団多元主義」と呼ぶが、これは大企業及び、農協、日本医師会、特定郵便局長、各種業界団体などと自民党の利益調整政治を指す。
新自由主義的再編はこの「利益集団多元主義」さえも立ち行かなくする。例えば小泉による郵政解体などはその典型。
この再編以降の特徴として、木庭さんは、金融、軍事、デジタルの前景化を強調。勿論、統一教会と「反社」による「闇」の浸透も忘れていない。
最後に「希望」として語るのは「個人」をベースにした「連帯」、「新しい市民社会」である。
これは私が「世界史の中の戦後思想」で提唱した「21世紀の社会主義」と同じではないが、かなり重なる概念である。
フィレンツェの政治的人文主義者マキャヴェリ(1469-1527)は、日本では「権謀術数」のイメージで語られることが多いが、研究の世界ではポーコックの『マキャヴェリアン・モーメント』以来、ローマ的「徳」を重視する「共和政論者」としてまず位置づけられる。
「ディスコルシ(ローマ史論」、「フィレンツェ史」では共和主義が前景化する。有名な『君主論』は失脚した後、フィレンツェの「僭主」となったロレンツォ・ディ・メディチ2世に献じられたもので、そこでは教皇アレクサンドル6世の息、元枢機卿・教皇軍司令官のチェーザレ・ボルジアが「獅子の力と狐の狡知」を兼備した理想の君主として語られる。
ただ、いずれにせよ、マキャヴェッリはローマ共和政の市民軍を理想とし、「運命の女神」に対する「男性的能動性」を強調したことには違いはない。
しかし、宗教改革・トリエントの反宗教改革によって、ヨーロッパ、とりわけドイツ、ネーデルランド、フランスが宗教内乱(聖バルテルミーの虐殺)に陥っていくと、軍事的「能動性」を抑制する必要性が感じられるようになる。
この要請に応えたのが、ネーデルランド後期人文主義のリプシウスの新ストア主義的な国家哲学。リプシウスの新ストア主義は、オランダのみならず仏のアンリ4世にも受け入れられていく。 [参照]
日本社会には極秘で行われた原爆調査団には当時東大医学部副手であった加藤周一さん(血液学博士)も参加している。
ちなみに広島・長崎の原爆被害の情報は米占領中は報道禁止だった。占領終結後、1952年の新藤兼人監督、乙羽信子主演の『原爆の子』ではじめて全国に知られたと言われる。
草野さんは理論物理学者の川崎昭一郎さん(1932生)等とともに、戦後の原水爆禁止運動の中心となる。川崎さんは、ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸保存運動の責任者だった。
川崎さんは千葉大理学部物理学科教授でもあり、つい最近まで千葉大の理学部がリベラル左派多数だったのも、それと無縁ではない。
今年のノーベル平和賞は被団協が受賞したが、2017年は市民団体核兵器廃絶国際キャンペーンが受賞。この市民団体の日本事務局長が川崎昭一郎さんの息子、川崎哲さん(ピースボート共同代表、1968生)である。
川崎さんは私立武蔵ー東大法学部ー平和運動家という、今や「絶滅危惧種」のエリートで、私もお名前は知り合いを通じて四半世紀前から存じ上げていたが、直接お会いしたのは、今年の4月の「地平社」立ち上げレセプションが初めてである。
父の昭一郎さんが2年前に亡くなった際、メディアに「父は家では運動のことは語らなかった」と語っていたのは含蓄が深い。
モンテーニュ、ラブレーなどの「超大物」を擁しながらも、ヨーロッパ研究者に「フランスにもルネサンスがあったのですか?」と何度も聞かれて渡辺一夫が慨嘆したことは投稿しました。
ところで、ルネサンス以来の「油彩」の技法を元来発達させたのは、「北方ルネサンス」とも呼ばれる15-16世紀のネーデルランド。
日本では、ヴァン・エイク兄弟、ブリューゲル、ボスなどの名が知られる。
またデューラーは北方とイタリアを繋ぐ巨人。サルトルの『嘔吐』の初版表紙はデューラーの「メランコリア」。
美術史では北方ルネサンスは「古代復興(ヒューマニズム)を欠く」ともされるが、これは正確ではない。エラスムス、フッテンなどの人文主義の巨人がいる。
またライデン大学はリプシウスを代表とする後期人文主義の拠点となる。ボダンの同時代人、リプシウスはキケロを批判し、セネカを擁護する新ストア主義の国家哲学を展開。
この新ストア主義、マウリッツの軍事革命を起点として近世・近代の「規律=権力」の基礎となる。
この後期人文主義、視覚芸術ではレンブラント、フェルメールの時代。
フーコーはリプシウスに言及しないが、『監獄の誕生』は事実上「リプシウスの長い影」を追跡した書物とも言える。
左)メランコリア
右)「死の勝利」(ブリューゲル)
『ディア・ピョンヤン』などで知られる、ヤン・ヨンヒ監督の『スープとイデオロギー』を観る。
前作で登場していた「おもろい」父は既に亡くなり、認知症になりゆく母を見守るドキュメンタリーでもある。
大阪・鶴橋は在日の街と言われるが、とりわけ済州島出身者が多い。中には1948年の4・3事件の際に亡命した来た人も多い。
詩人の金時鐘さんもその一人。また金石範の『火山島』は4・3事件を扱った大著として知られる。日本では映画「月はどっちに出ている」、「血と骨」の原作者として知られる梁石日さんもお二人の仲間である。
ヤン監督の母も4・3事件の際、18歳で蜂起に間接的に関わり、当時の婚約者であった医師はゲリラ闘争に参加して死亡。本人は幼い弟と妹を連れて大阪に密航した。
この済州島の4・3事件は拙著『世界史の中の戦後思想』でも扱ったように、東アジア冷戦の前景化が直接関わっている。GHQ内部のラティモアなどは半島分断政策を批判し、朝鮮人自身のイニシアティヴでの統一を主張。
しかし「マッカーシズム」の嵐がラティモアなど「植民地解放派」を一掃、米軍が直接に介入する。この際、李承晩が送り込んだ反共民間軍事組織によって島民6万人以上が虐殺された。
監督の母や金時鐘はまさに、この大虐殺の「サバイバー」なのである。
「ルネサンス renaissance」とは仏語で「再reー生naissance」という意味。ギリシア・ローマの古典文化の復興というニュアンスをもつ。
元来仏の19世紀の歴史家J.ミシュレが提起し、ブルクハルトの「イタリア・ルネサンスの文化」によって決定的となる。
日本では特に美術史を中心に導入され、14世紀―16世紀のイタリア美術を連想させる。高階さんは主にフィレンツェを中心とした古典期ルネサンス(ボッティチェリ、レオナルド、初期のミケランジェロなど)、若桑さんはカール5世による1527年のローマ劫掠以降のマニエリスムを専門とする。
また思想としては林達夫、高階秀爾ともにフィレンツェを中心としたネオ・プラトニズムに強く焦点を当てる。
これに対し林達夫と同世代の渡辺一夫はラブレーを中心としたフランス・ルネサンスを中心に研究。ただ、渡辺が「フランスにもルネサンスがあったのですか?」とよく聞かれると嘆いたように、やはり視覚芸術を中心とした見方では仏は影を薄くなる。
またフィレンツェを中心とした政治的人文主義=ローマ共和政の理念は、ポーコックの描くように17世紀イングランド、18世紀米国の革命言説に大きな影響を与えた。ここにオランダが占める位置を考えることは今後極めて重要になるだろう。 [参照]
美術史家の高階秀爾さん死去(享年92)。
高階さんは戦後日本の美術史の大立者であり、専門とは別に一般の知的読者に向けても『ルネサンスの光と闇』、『近代絵画』、『名画を見る眼』など明快な見取り図とパノフスキー的なイコノロジーを組み合わせた名著がある。
実は私も高校、大学1,2年生の時は高階さんの書いたものはほぼ全て読み、実はパノフスキーを応用した精神史を組み立てたい、と夢想していた。
日本の戦後のルネサンス研究は林達夫、高階秀爾、若桑みどり(マニエリスム研究)という系譜があり、戦後自身はほとんど書かなかった林達夫が主宰する平凡社の研究会に、高階、若桑氏なども参加していた。
若桑さんは美術史におけるフェミニズム批評の導入者でもあり、とにかく凄いバイタリティの人だった。
ただ、その後美術史研究は、カラヴァッジョやフェルメールなどの個別研究は進んだものの、「ルネサンス」を全体としてどう捉えるか、という点は棚上げされた感がある。
他方、政治思想史の方はある時期から政治的人文主義の研究が流行したが、これは美術史とは仕切られたまま。また人文主義法学はこれとも別。
ここらで12世紀から17世紀までに至る人文主義とルネサンスの関係を政治・法学と美術を横断して再考する試みが待たれる所である。
「ケン・ローチと英国の左派文化」
「麦の穂を揺らす風」、「私はダニエル・ブレイク」で二度パルムドール受賞、英国を代表する左派映画監督のケン・ローチ。
トニー・ブレアの「ニューレイバー」に反発して労働党を離党。J.コービンを支援して復党するも、コービンを追い落としたスターマー(現首相)によって除名。
ケン・ローチはサッチャー政権時の炭鉱労働者潰しや国鉄民営化の際の労働者弾圧を描いた映画も作ってきました。「ナビゲーター」は後者で日本でも見ることができます。
他にもスペイン市民戦争を舞台にした「大地と自由」、ニクラグアのサンディニスタ革命下のニカラグア女性とスコットランド男性の関係を扱った「カルラの歌」があります。
UK内を舞台にする際にも、アイルランド(「ルート・アイリッリュ」、「ジミー、野を駆ける伝説」)、スコットランド(「天使の分け前」)など周辺地域を舞台にすることが多い。
「私はダニエルブレイク」は現在の英国の福祉行政が如何に残酷なものであるかを描いた秀作です。
今日は、東京新聞の発刊140周年記念日だったらしい。
そこで、2面に、ドーンと「祝 東京新聞創刊140周年 お祝い申し上げます」と言葉とともに、地平社の広告が出ている。地平社立ち上げの際に上梓された、私の『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』も久々に新聞広告で見た😀 。
12面では東京新聞の140年を振り返る図表、13面では編集局長と文芸評論家の斎藤美奈子さんの対談。
お二人とも「戦後民主主義」をポジティヴなシンボルとして何度も使っている。これは新聞メディアとしては、1960年以来なかったことではないか?ちょっと驚きである。
ここでの「戦後民主主義」は大日本帝国の植民地主義と侵略戦争への反省を意味している。編集局長が「加害責任を曖昧にすると、再び過ちを繰り返すことになる」と。これは他の新聞メディアで見られない文字列だろう。
他にも脱原発、五輪反対、反差別などの方針が明快に示されている。これもなかなかに頼もしい。
ちなみに現在他の新聞は「読売」含め、劇的に部数を減らしているが、「東京」は維持している。つまりリベラル左派支持が首都圏に数十万世帯ある。野田立憲はこの票のほとんど失うだろう。
『地平』が「東京」と連携するなら、一挙にリベラル左派言説が広がる可能性はある。
「暗殺」(2015) ・「密偵」(2016)
日帝支配下の朝鮮・満州・上海を移動する「独立」運動の闘士たちの映画。
決していわゆる「シネフィル」的な映画ではないが、「密偵」(2016)と並んで、2010年代の「韓国」映画の湧き上がるパワーに溢れている。
日本映画・批評の低迷は、政治・社会と正面から向き合ったよい意味での「大河メロ・ドラマ」をひたすら回避してきたことに一因があると思う。無理につくろうとすると、結局山本薩夫や山崎豊子のリメイクになってしまう。
ここでは詳しくは論じられませんが「この世界の片隅で」(映画)の決定的な弱点は脚本の弱さ、というか悪い意味でのナイーヴさにある。
映画は「総合芸術」なので、いくら視覚的に繊細な絵をつくれても、戦争を扱いながら脚本を決定的にダメであれば、少なくとも私は評価できない。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年