ハリウッドにおける「レッド・パージ」
これまでの投稿で何度かWWII直後のレッド・パージについて書いてきました。
国際冷戦レジームによる地球空間の再編とともに、「西側」地域では、ほぼ例外なく「赤狩り」が行われます。
レッド・パージ後の「世界」がいわゆる「戦後」第一期、となります。
この「赤狩り」について読み易い・手に入りやすい漫画として山本おさむのものがあります。
歴史的な叙述・視点には誤りや不十分な点もあるのですが、E.カザン、E.ドミトリク、そしてDトランボなど「追い詰められる」側の心理はよく描けていると思います。
また「新日本文学」の編集者、劇団「黒テント」の演出家、演劇評論家の津野海太郎の「ジェローム・ロビンズは死んだ」は、エッセイですが、ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」の演出家、J.ロビンズがゲイであることとも関係して「赤狩り」にどう対応したか、をハリウッドの動きと絡
めて読み易く書いています。
この際、このミュージカルの音楽を担当したR.バーンスタインもゲイであることをFBIに摑まれて「協力」を余儀なくされました。
カザン、ロビンズ、バーンスタイン、日本でも著名な三人の直面した問題。今や単なる「歴史」ではなくなっています。
レナード・バーンスタイン(1918-1980)はアシュケナージ(東欧系ユダヤ人)2世としてマサチューセッツ州に生まれ、作曲家、指揮者として世界的に成功を収めます。
上述のような理由で、ハードな「赤狩り」で屈辱を味わったバーンスタインですが、緊張緩和期には国務省主導の「ソフトパワー」路線に「名士」として協力することを許されます(ちょっと妙な表現ですが、実際そうなのです。バーンスタイン自身も誇りに思っていた)。
またバーンスタインはバイセクシュアルであり、妻の間に3人の子供がありましたが、男性の恋人もいました。
妻に先立たれた後の最後の恋人(男性)は実は日本人でした。
この最後の恋人との関係についての研究書が最近日本語に翻訳されています。
ご関心がある方はご一瞥下さい。