著者からご恵投いただきました。
熊野さんの本の内容は、入門書としてはちょっと難易度が高いですが、『存在と無』はそもそも超難易度が高いので、それはやむを得ない思います。
『存在と無』と比較すると、ハイデガーの『存在と時間』、とても明快で、疑問点はほとんど残りません。(批判すべき箇所はいろいろありますけれども)。
ここ数十年日本では、「サルトルはハイデガーを誤読している」などといった「デマ」が流通していましたが、そもそも『存在と時間』はあのサルトルが「誤読」するレベルの本ではないのです。
サルトルは確かにハイデガーを参考にはしましたが、まったく別の哲学を構築しました。
次世代のフーコー、デリダなどは、サルトルを「迂回する」ためにあえてハイデガーを持ち上げる「振り」をしましたが、日本の「現代思想」は鶴見俊輔の言う「輸入代理店」の悪い癖で、すっかりそれに踊らされた、と言ってよい。
デリダは晩年、サルトルを「来るべき幽霊」、「回帰する亡霊 un revenant」と呼び、「われわれの前を走り、その後を追いかけて、われわれが息を切らす」と続けました。
ともあれ、熊野さんのこの本、「時代がようやくサルトルにおいつきつつある」ことを示してくれている良書だと思います。