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ミーリア叔母さんの思い出に駆動されたわたしの興奮は、翌日の夜中になっても収まらず、自分は絵が描きたいのだと気づいて、水彩で馬を描きはじめる。
絵が出来ていく時間的経過をミラーは記していないが、邦訳の文庫版(福武文庫)で20ページ分の試行錯誤をかさねて絵は出来上がり、これほどのものは二度と描けないだろう傑作として、いま目の前の壁にかかっている。
この傑作には、ウラル山脈の向こうの湖や、いつかできるはずのコロラド川の河口や、墓地の門から忍び込む異族や、その他さまざまなものが描きこまれているのだが、そうか、おまえには見えないのか。でも、氷河に凍らされたみすぼらしい青い天使は見えるだろう。その天使は、おまえの目が間違っていないことを保証する透かしのように、そこにいるのだ。
ここでの「わたし」と「おまえ」は、どちらもミラー自身を指している。描いた者も、見ている者も、描かれた天使もミラーなのである。
この章は次のようにして終わる。

わたしはその絵の馬のたてがみから神話を消すことはできる。また揚子江からその黄色を、ゴンドラに乗っている男からその時代を、また花束と稲光をいっしょに包む雲や薄葉紙を消すこともできる。……だが、天使は消せない。天使はわたしの透かしなのだ。

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自転車で出かけて、コールド・チキンとワインをたのむ。ワインを2本飲んでも眠くならない。すでにテーブルの上はメモでいっぱい。チーズとぶどうと菓子を注文。おそろしく食欲があるが、何を食べても自分の胃には入らず、誰か他人がわたし=ミラーのかわりに食べているように感じる。
帰りにカフェでコーヒー。あいかわらず誰かがわたしに口述を続けている。夕食後、疲れ果てて古雑誌を手に取る。開いたところに「ゲーテとそのデーモン」という文字。わたしは鉛筆で余白を埋めはじめる。
真夜中、わたしは元気を取りもどす。口述はやんでわたしは自由だ。作品を書く仕事にもどる前に自転車でひとまわりしてこよう。
自転車の掃除をはじめる。スポークを一本一本きれいにし、油をさし、泥除けを磨く。出かける前にぶどう酒を一本あけ、パンとソーセージ。いままでの食事はすべて無駄だったが、いまは確かに自分が食べている。
タバコを一服するために腰をおろす。「芸術と精神病」というパンフレットが目に入って、わたしは自分がほんとうは絵を描きたがっていると気づく。

ヘンリー・ミラー『暗い春』の章「わたしには天使のすかしが入っている(原題 The Angel Is My Watermark!)」は、ここまでを前置きとして、本題に入る。

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《わたしはミーリア叔母さんのことを思い出したので、そのとたんにわたしの全生涯が、地面への出口を見つけたばかりの間歇泉のように吹きあげてきたのだ。わたしはミーリア叔母さんと家に歩いて帰る途中で、急に叔母さんの頭が変になったことに気がつく。叔母さんが、月が欲しいと言いだして、「あすこにあるの、あすこにあるの」と叫び始めたのだった。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』(吉田健一訳)

わたし=ミラーは、自分の手帳をめくっていて、このことを思い出す。
手帳の記述はわずかな言葉に圧縮されていて、一年間の苦労が一行で片付けられていたりした。
ミーリア叔母さんのことを思い出したのをきっかけに、ミラーは口述をはじめる。「口述」とはミラー自身のしゃべるままにタイプライターで打ち出すことを言っている。
午前10時にはじまった口述は翌朝の4時までつづいた。
タイプライターを片付けると、ミラーは口述記録を紙に書き取りはじめ、さらに旧作の原稿を取り出し、わたしは腹ばいになって鉛筆で注をつけていった。
わたしは張り切っていたが、心配でもあった。この調子で続ければ、どこかの血管が破れるかもしれない。
午後3時。ようやくミラーは書き取りをやめて、食事にでかける。

《「観る」ことを全体的経験に代用させた認識法は、イタリアに起こった一つの発明、カメラ・オブスクーラ(暗箱)によって、のぼりつめることになった。ドイツで、グーテンベルクが聖書印刷の機械を発明して、詩人に猿ぐつわをはめ、吟遊作家を唖にしてしまったのと同じ頃、イタリアのカメラ・オブスクーラは透視図法を生みだし、「晴れた日に部屋の壁に穴をあけて、反対側の壁に倒立して映る外の景色を、覗き見る」観衆を誕生させたのである。》――『寺山修司演劇論集』「観客論」

これが結論の背景。
写真機の発明以来、人は小さな穴を通して外をのぞくことしかしなくなった。
印刷術の発明以来、吟遊詩人は歌うことをやめてしまった。

触れることの回復を。歌うことの回復を。――まとめて言えば、全的な体験の回復をというのが「観客論」の結論。このことを観客側の立場はおいて、演じる側の当然の振る舞いとして述べている。客がどう思おうと我々はやるよ、と。

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劇団・天井桟敷のオランダ公演を見に来たハンスという郵便配達人が、黒子に無理やり舞台に引き上げられ、衣裳を着せられて多少の演技をしたきり行方が知れず、すでに3年も家に帰っていない。
fedibird.com/@mataji/111677875

このエピソードを枕にはじまる演劇論は、『寺山修司演劇論集』(1983年、国文社)所収。
論集は原理篇と実践篇から成り、前半の原理篇は、序論、観客論、俳優論、劇場論、戯曲論、その他で構成。このうち当アカウントで見てきたのは、序論と観客論の入り口まで。
なかなか観客論をまとめることができず、先に進めないでいたのだが、途中の議論は省いて観客論の結論だけ見ておきたい。
論集をどこまで読むかは成り行きで。

[参照]

「実の世界にいた人が虚の世界へ。そんなことが起こりうると思わせる話術は、どのようにしたら可能か」と前に書いた。
fedibird.com/@mataji/111683425

論のはじめに嘘を置くこと、というのが答。当の論文でいえば、ハンス夫婦という架空の存在を実在の人物に見せかけたこと。
fedibird.com/@mataji/111705816

この答は、もう一歩進めることができる。
ハンス夫婦の、少なくとも妻の存在には、ほかでもない寺山という証人がいる。彼はハンスの妻に会っている(嘘だけど)。寺山の虚言癖を知らなければ、これは信じてしまうだろう。これを書いてる @mataji もその一人。
議論が進むうちに、ハンスの実在に疑いが生じても差し支えない。すでに議論は虚と実の出会いといった土俵――問題設定――の上で動き出しているのだから。
実の寺山に虚の妻を出会わせた効果。会わせたのは寺山自身。聞いた話としてではなく、自身の体験として語ること。

[参照]

YouTube にスペイン語字幕の「Les Autres」あり、2:06:53
youtube.com/watch?v=k5EujfsScd

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当アカウントの最初の記事は2023年8月26日付け。自分がなかばマルセル・メイエ「壁抜け男」の主人公デュチュールであるかのようにして書いている。
fedibird.com/@mataji/110953911

方向性を述べた最初の記事は9月8日付け。「壁抜け譚は中国で生まれたという仮説を出発点に、ただし気ままに脱線しつつ考えてみる」としている。当初から脱線を見込んでいて用心深い。
fedibird.com/@mataji/111026970

仮説の検証といったテーマを掲げながら、過去記事にさかのぼる手段を考えていなかったのはうかつ。途中からハッシュタグを遡行の手がかりとして付けるようになったが、初期の記事にはこれもない。

[参照]

戯曲『邪宗門』冒頭のト書き。再掲。

《ときどき、影のように黒子の群れが客席を駆け抜けてゆく。血なまぐさい匂いが、潮のようにおしよせる。咆哮している黒子の群れ。ふいに観客の一人を名指しておそいかかるや、日本刀、一閃される。ひきずられた観客のおどろきと悲鳴。 まだ何も見えない暗黒の中に、黒子たちが何かを作りつつある気配。引きずりあげられた観客はこの劇の衣裳を着せられて、「登場人物」に仕立て上げられてゆく。 黒子の群れが、「劇」を準備し、「虚構」を作りあげてゆくあいだ、燃えさかっているかがり火。十字架には緋襦袢の妊み女が、磔刑にされて、半裸の黒髪を乱している。照明の明りが少しずつ、月光に変ってゆき、劇をこわそうとする観客や開幕をはばむ観客と黒子のあいだに乱闘があちこちで起されている。》

この版の『邪宗門』(角川文庫『青森県のせむし男』所収)は、渋谷公会堂での凱旋公演(1972年)にあわせて書かれている。
天井桟敷は『邪宗門』を前年の1971年にヨーロッパで初演。100回をこえた各地での公演のあいだに、たびたび観客と劇団員のもめごとが起き、ユーゴでは流血に至ったという。上に引いたト書きは、それらのトラブルこそ公演が狙ったものとする観点からどぎつく書き改められたものではないか。

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《彼は、寺山修司にあって何年かたって、その出会いがドラマチックになって他人に披露されるのを聞いて驚いたことがある。あとで/恥ずかしいから余りドラマチックに言わないでくださいよ/と言うと驚いて、彼のほうが記憶違いだといって決して間違いを認めようとはしなかった。以来、彼と寺山修司との出会いは、そういうことになってしまった。
寺山修司は、一生をかけて不可思議な引用を続け虚構を作り続けた。寺山修司のおもしろさは、虚構と現実のギャップの大きさにある。そして常に虚構の側に住んでいて、そこにレアリテを求めていた。寺山修司は引用した現実のほうに身を置こうとしていたのだ。》――同前

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《彼は寺山修司と思想誌の編集長が話しているのを聞いたことがある。
/寺山さんの引用したバタイユの文章、すごくよかったので僕も引用して使ったけれど出典は、何かな。捜したんだけど分からなかったよ。/分るはずがないよ。あれは僕が書いたんだから。/えー!/編集長は本当に驚いたようだった。
彼は、寺山修司に聞いてみる。/いつもあんなことするんですか?/よくやるよ。だいたい引用しているところは僕が書いているし、僕の地の文が引用のこともある。単行本にする時に入れ替えたりするけどね。》――今野裕一「ボルヘスと寺山修司そして彼という舞台監督」(『夜想』#16 特集「ボルヘス/レゾートル」)

『邪宗門』の上演で、暴力を伴うもめごとが起こることを寺山は予想していた。というより、期待していたろう。そして実際にも起こった。
寺山によると、西独の「シュピーゲル」誌、同じく演劇誌の「テアター・ホイテ」誌、ニューヨークの「ザ・ドラマ・レビュー」誌、ロンドンの「プレイ・アンド・プレイヤーズ」誌などは、上演で起きた「劇場の中の暴力」をアントナン・アルトーの演劇論の実践として評価し、この劇の呪術効果と政治的背景を分析するなどしたが、西独の夕刊紙「ビルト」などは、「観客に触れる演劇」として激しく非難した。

※言及先記事で引用した『邪宗門』は角川文庫『戯曲 青森県のせむし男』(1976年)所収。観客と劇団員の乱闘がト書きで書き込まれているが、この版は凱旋公演時のものらしく、ヨーロッパ公演の前から同様だったかは不明。

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寺山修司の作中人物による虚実の混同。

《ごらんの通り、私は写真屋。他人の顔をあずかるのを商売にしております。
蛇が衣を脱ぐように、人は誰でも顔を脱ぐ……いささか古くなった顔、得意の顔、世をしのぶ仮の顔、仮面。古道具屋でも扱わぬ顔の数々……それを、こうやって(と、シャッターを引くしぐさで)素早く外してやるのが近代写真術のはじまりというわけだ。》――寺山『青ひげ』5 写真屋は顔を盗むのが商売

《おまえ! 腕時計なんかして!(と、逃げようとする山太郎の手をおさえつけて)やっぱり、同じ時間だ。おまえ、家の時間を、ぬすみ出して外へもっていこうなんて悪い事を!(と、忌々しげに)何て悪い事を……時間はこうやって柱時計におさめて、家のまん中においとかなくちゃいけないんだよ。》――寺山『邪宗門』2 ほろほろ鳥

顔をあずかる、顔を盗むとは、物としての顔とそのイメージを混同したゆえの認識。一般化していえば、虚実の混同。
時計と時間の関係も同じ。ここでは、時計が実で時間が虚。時計は物として持ち運べるが、時間は手でさわったり持ち運んだりできない。

寺山は議論や論文でも虚実を混同させる。
その場合、混同は意図的。ただし、寺山の本性でもあるだろう。

黒子(劇団員)が評論家 RHW 夫妻の退出を妨げたこと。
RHW の妻が黒子を突き飛ばそうとし、逆に突き飛ばされたこと。
これらに類する暴力行為はヨーロッパでの『邪宗門』の公演中、いくつかの都市で起き、ユーゴのノビサド市では流血に及んだという。
寺山はこれらの事件について、ただの事故や過失ではなく、「起こるべくして起こったこと」とした。すなわち必然だった、と。実際、戯曲上でも『邪宗門』の舞台は次のように動き出す。

《ときどき、影のように黒子の群れが客席を駆け抜けてゆく。血なまぐさい匂いが、潮のようにおしよせる。咆哮している黒子の群れ。ふいに観客の一人を名指しておそいかかるや、日本刀、一閃される。ひきずられた観客のおどろきと悲鳴。
まだ何も見えない暗黒の中に、黒子たちが何かを作りつつある気配。引きずりあげられた観客はこの劇の衣裳を着せられて、「登場人物」に仕立て上げられてゆく。
黒子の群れが、「劇」を準備し、「虚構」を作りあげてゆくあいだ、燃えさかっているかがり火。十字架には緋襦袢の妊み女が、磔刑にされて、半裸の黒髪を乱している。照明の明りが少しずつ、月光に変ってゆき、劇をこわそうとする観客や開幕をはばむ観客と黒子のあいだに乱闘があちこちで起されている。》

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アムステルダムで『邪宗門』を見に来て黒衣に客席から舞台に引き上げられ、その後行方不明になった郵便配達夫ハンス。この人物の存在は寺山のフィクションだが、ベルリンの『邪宗門』公演で劇団員ともめた評論家ローランド・H・ヴィーゲンシュタイン(以下では RHW と略)は実在の人物らしい。

Wikipedia にあるこの人物が RHW 氏なら、今も100歳近くで存命か。
de.wikipedia.org/wiki/Roland_H

夫人をともなって『邪宗門』の初日にやってきた RHW は、評論家の席が用意されていないのに苛立って劇場側に抗議したが、けっきょく客席の最後列で立って見ることに。
観客が入り終わるとドアは閉じられ、密室化されて劇がはじまる。黒衣によって観客が(かのハンスと同様に)暴力的にステージに連れ去られ、衣裳を着せられるなどの場面も織り込んで劇が進むが、劇の中盤で RHW が夫人の手を引いて外へ出ようとしたところを黒衣に出口をふさがれる。
RHW は大声で抗議したが黒衣は立ち退かず、黒衣を突きとばそうとした夫人は逆に黒衣によって突きとばされる。

この一件は複数の地元紙がセンセーショナルに報じたのに加え、「シュピーゲル」誌も大きく取り上げ、寺山は RHW に公開討論を申し入れた。

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天井桟敷の『邪宗門』は1971年のナンシー演劇祭で初演。以後、フランス、オランダ、ドイツ、デンマーク、ユーゴスラビアなどの都市で100回を越す公演を行う。71年のベオグラード国際演劇祭でグランプリを受賞。
国内では、72年に渋谷公会堂で一夜だけの凱旋公演。悪条件が重なって、最悪のパフォーマンスに終わる。

以上、角川文庫『戯曲 青森県のせむし男』(1976年)に寺山自身が付した解題による。

「三年前――私たちの劇の中で蒸発した一人の中年の郵便配達夫」と寺山の前ふりにあり。
以降の論の前提として事実のように書いているが、郵便配達夫ハンスの存在と彼の身に起きたことが、寺山の創作であるのは間違いない。客席にいた実在の人物が劇中という虚構の空間に消えてしまうことなどありえないのだから。

論文の冒頭に架空のサンプル――今の場合はハンス夫婦の存在と彼らの行為――を置くことの有効性。
自分の論に都合のいいサンプルを最初に出しておくから、その時点で見破られなければ、しばらく――または、いつまでも――論理の一貫性が保てる。
あとになって読者が疑念をもったとしても、すでに手遅れ。政治の世界なら、すでに政策は実行されたあと。

歴史の先取りとでもいうか。
最初の嘘で読者の認識をしばっておいて、自分だけ先へ。

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自分の環境でのことだが、やっと検索窓(検索機能)の使い方がわかった。
検索文字の入力が済んだら、日本語入力(Mozc)をオフにしてからリターンキー。
これで検索機能が働く。

《こんにちは! おれ角兵衛獅子です。生まれて父の名を知らず、恋しい母の名も知らず。おれ、とんぼがえりがとても上手いってことになってるけど、ほんとは、この黒子のおじさんの手品なんです。おじさんが糸をするするっとのばすと、おれは走り出し、糸をしめられると立ちどまり、たぐりよせられるととんぼがえり。赤い夕陽に染められた、おさな地獄の七草の、お墓のなかの、かくれんぼ。目かくしした手をパッとはずして見たらば、黒子のおじさんたちが集まって、家族あわせをやっていました。》――寺山修司『邪宗門』

自由意志はないが、自由。そういう一見矛盾した存在が人間。
この矛盾は解けるのか解けないのか、解ける気もするが解けないようでもある。解けても解けなくても、人は自由。そう考えておいて、たぶん間違いない。
現に、この角兵衛獅子はいかにも自由そう。

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