壁抜け男のことは誰もおぼえてない。
地味なやつだったから。
まったく無名の人物だったが、名はデュチュール。無名でも、名前はあった。
捕らえどころのない幽霊みたいな存在。それゆえの壁抜け男。

ある晩、デュチュールが自分のアパートの玄関にたどりつく。
独身者用の小さなアパート。四階建て。
不意の停電。闇の中でしばらく手探りをつづけるデュチュール。
そして点灯。気がつくと自分は四階の踊り場にいる。
何が起きたのか。
玄関のドアには鍵がかかっていて、通り抜けられないはずなのに。
自分の発見。壁に妨げられないわたし。

鼻眼鏡をかけた登記庁の三級役人で、名はデュチュール。
わたしがこれからも無事でありますように。

アポリネールの「オノレ・シュブラックの失踪」を読んで、人間が壁に溶け込む? そんなことがあるものか――と怒りだす人は少ないだろう。マルセル・エイメの「壁抜け男」を読んで、そんな馬鹿な!――と驚く人もまれだろう。
どちらもお話としてはあり。
問題は、人が壁を通り抜けるというようなことは、誰でも考えつくことなのか。

もし誰もが考えつくことなら、世にはもっとたくさん、もっと多様な壁抜け譚があっていいのではないか。たとえば推理小説における密室物のように。
事実は逆で、壁抜け譚は文芸の希少例。むしろ、かつてどこかで誰かが一度だけ考えついたことが、ときおり再浮上してくるだけではないか。

そんなことを思ったのは、去年のはじめころ、安岡章太郎の小説『私説聊齋志異』を読んで、清の時代に編まれた怪異集『聊齋志異』に壁抜けの話があるのを知ってから。
壁抜け譚は中国で生まれたのではないか。――当アカウント「壁抜随筆」は、その仮説を出発点として、ただし気ままに脱線しつつ考えてみようとするものです。

当アカウントの最初の記事は2023年8月26日付け。自分がなかばマルセル・メイエ「壁抜け男」の主人公デュチュールであるかのようにして書いている。
fedibird.com/@mataji/110953911

方向性を述べた最初の記事は9月8日付け。「壁抜け譚は中国で生まれたという仮説を出発点に、ただし気ままに脱線しつつ考えてみる」としている。当初から脱線を見込んでいて用心深い。
fedibird.com/@mataji/111026970

仮説の検証といったテーマを掲げながら、過去記事にさかのぼる手段を考えていなかったのはうかつ。途中からハッシュタグを遡行の手がかりとして付けるようになったが、初期の記事にはこれもない。

[参照]

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