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《わたしはミーリア叔母さんのことを思い出したので、そのとたんにわたしの全生涯が、地面への出口を見つけたばかりの間歇泉のように吹きあげてきたのだ。わたしはミーリア叔母さんと家に歩いて帰る途中で、急に叔母さんの頭が変になったことに気がつく。叔母さんが、月が欲しいと言いだして、「あすこにあるの、あすこにあるの」と叫び始めたのだった。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』(吉田健一訳)

わたし=ミラーは、自分の手帳をめくっていて、このことを思い出す。
手帳の記述はわずかな言葉に圧縮されていて、一年間の苦労が一行で片付けられていたりした。
ミーリア叔母さんのことを思い出したのをきっかけに、ミラーは口述をはじめる。「口述」とはミラー自身のしゃべるままにタイプライターで打ち出すことを言っている。
午前10時にはじまった口述は翌朝の4時までつづいた。
タイプライターを片付けると、ミラーは口述記録を紙に書き取りはじめ、さらに旧作の原稿を取り出し、わたしは腹ばいになって鉛筆で注をつけていった。
わたしは張り切っていたが、心配でもあった。この調子で続ければ、どこかの血管が破れるかもしれない。
午後3時。ようやくミラーは書き取りをやめて、食事にでかける。

自転車で出かけて、コールド・チキンとワインをたのむ。ワインを2本飲んでも眠くならない。すでにテーブルの上はメモでいっぱい。チーズとぶどうと菓子を注文。おそろしく食欲があるが、何を食べても自分の胃には入らず、誰か他人がわたし=ミラーのかわりに食べているように感じる。
帰りにカフェでコーヒー。あいかわらず誰かがわたしに口述を続けている。夕食後、疲れ果てて古雑誌を手に取る。開いたところに「ゲーテとそのデーモン」という文字。わたしは鉛筆で余白を埋めはじめる。
真夜中、わたしは元気を取りもどす。口述はやんでわたしは自由だ。作品を書く仕事にもどる前に自転車でひとまわりしてこよう。
自転車の掃除をはじめる。スポークを一本一本きれいにし、油をさし、泥除けを磨く。出かける前にぶどう酒を一本あけ、パンとソーセージ。いままでの食事はすべて無駄だったが、いまは確かに自分が食べている。
タバコを一服するために腰をおろす。「芸術と精神病」というパンフレットが目に入って、わたしは自分がほんとうは絵を描きたがっていると気づく。

ヘンリー・ミラー『暗い春』の章「わたしには天使のすかしが入っている(原題 The Angel Is My Watermark!)」は、ここまでを前置きとして、本題に入る。

ミーリア叔母さんの思い出に駆動されたわたしの興奮は、翌日の夜中になっても収まらず、自分は絵が描きたいのだと気づいて、水彩で馬を描きはじめる。
絵が出来ていく時間的経過をミラーは記していないが、邦訳の文庫版(福武文庫)で20ページ分の試行錯誤をかさねて絵は出来上がり、これほどのものは二度と描けないだろう傑作として、いま目の前の壁にかかっている。
この傑作には、ウラル山脈の向こうの湖や、いつかできるはずのコロラド川の河口や、墓地の門から忍び込む異族や、その他さまざまなものが描きこまれているのだが、そうか、おまえには見えないのか。でも、氷河に凍らされたみすぼらしい青い天使は見えるだろう。その天使は、おまえの目が間違っていないことを保証する透かしのように、そこにいるのだ。
ここでの「わたし」と「おまえ」は、どちらもミラー自身を指している。描いた者も、見ている者も、描かれた天使もミラーなのである。
この章は次のようにして終わる。

わたしはその絵の馬のたてがみから神話を消すことはできる。また揚子江からその黄色を、ゴンドラに乗っている男からその時代を、また花束と稲光をいっしょに包む雲や薄葉紙を消すこともできる。……だが、天使は消せない。天使はわたしの透かしなのだ。

《温度は零度までさがっていて、馬に片腕を噛み取られてしまった狂人のジョージが、死人の古着を来ている。零度で、ミーリア叔母さんが帽子のなかに入っていたはずの小鳥を捜しまわっている。零度で、曳き船が港であえぎ、浮氷がかち合い、煙の細長い筋が曳き船の前後に巻きあがり、風が一時間七十マイルの速力で吹き、何トンも何トンもの雪が小さな雪片に砕かれて、そのどの一ひらにも短刀が隠されている。窓の外にはつららが栓抜きのようにさがり、風が唸り、窓ががたがたいう。ヘンリー叔父さんは、「中学五年万歳」を歌っている。胸がはだけ、ズボン吊りははずされ、額に青筋がたっている。「中学五年万歳」》――ヘンリー・ミラー『暗い春』(吉田健一訳)

「仕立屋(The Tailor Shop)」の章から。
「中学五年万歳」の原文は Hurrah for the German Fifth。それと思われる歌詞が「アメリカの古い歌」と題してネット上にある。
traditionalmusic.co.uk/songste

《ミーリア叔母さんがすっかり頭が変になっていて、通りの角まできたとき馴鹿(トナカイ)のように飛びあがって、月をひと口食いちぎるなどとは誰も思っていなかった。(……)「月、月」とミーリア叔母さんは叫んで、それと同時に、魂がからだから飛びだし、一分間に八千六百万マイルの速力で月に向かって突進していって、だれもそれを留めるのに必要な速さで考えることができなかった。星がひと瞬きするうちに、そういうことが起こってしまったのだった。》――ヘンリー・ミラー『暗い春』(吉田健一訳)

これも「仕立屋」の章から。
続くくだりは、叔母さんを精神病院に届けるよう言いつけられたわたしの目で長々と語られて、次のように終わる。

《わたしは行かなければならない。駆けて行かなければならない。しかしわたしはまだ一分間もそこに立って、ミーリアのほうを見ている。その眼は驚くほど大きくなって、夜のように黒く、なぜこんなことになったのかどうにもわからないようすでわたしの方を見つめている。狂人や白痴はあんなふうに人を見はしない。天使か、聖者でなければあんな眼つきはできない。》

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