ハンスを返してください。
婦人はそう寺山に求めたが、寺山にはおぼえがない。劇団員にきいても、誰もハンスという中年のオランダ人を知らなかった。
何が起きたのか。ハンスはどこへ行ったのか。

夫は劇のなかにいる、と婦人は思っている。
その「劇」とは、劇団「天井桟敷」のことなのか、それとも『邪宗門』の世界のことなのか。
前者なら、夫ハンスは劇団員として在籍しているか、少なくともある期間在籍したはずである。後者なら、ハンスは『邪宗門』という虚構の世界に消えたことになる。

寺山は次のように書いている。
《そのどこまでが劇で、どこからが現実だったのかを論じることは、この場合には無意味であろう。
少なくとも「ハンスが劇のなかへ消えていったこと」と、「ハンスが劇のなかから消えていったこと」とは、ほとんど同じことのように思われるからである。》
虚実の弁別は無意味としながら、ハンスが虚の世界に消えたことを以後の論の前提にしようとしているかに見える。

実の世界にいた人が虚の世界へ。そんなことが起こりうると思わせる話術は、どのようにしたら可能か。

「三年前――私たちの劇の中で蒸発した一人の中年の郵便配達夫」と寺山の前ふりにあり。
以降の論の前提として事実のように書いているが、郵便配達夫ハンスの存在と彼の身に起きたことが、寺山の創作であるのは間違いない。客席にいた実在の人物が劇中という虚構の空間に消えてしまうことなどありえないのだから。

論文の冒頭に架空のサンプル――今の場合はハンス夫婦の存在と彼らの行為――を置くことの有効性。
自分の論に都合のいいサンプルを最初に出しておくから、その時点で見破られなければ、しばらく――または、いつまでも――論理の一貫性が保てる。
あとになって読者が疑念をもったとしても、すでに手遅れ。政治の世界なら、すでに政策は実行されたあと。

歴史の先取りとでもいうか。
最初の嘘で読者の認識をしばっておいて、自分だけ先へ。

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「実の世界にいた人が虚の世界へ。そんなことが起こりうると思わせる話術は、どのようにしたら可能か」と前に書いた。
fedibird.com/@mataji/111683425

論のはじめに嘘を置くこと、というのが答。当の論文でいえば、ハンス夫婦という架空の存在を実在の人物に見せかけたこと。
fedibird.com/@mataji/111705816

この答は、もう一歩進めることができる。
ハンス夫婦の、少なくとも妻の存在には、ほかでもない寺山という証人がいる。彼はハンスの妻に会っている(嘘だけど)。寺山の虚言癖を知らなければ、これは信じてしまうだろう。これを書いてる @mataji もその一人。
議論が進むうちに、ハンスの実在に疑いが生じても差し支えない。すでに議論は虚と実の出会いといった土俵――問題設定――の上で動き出しているのだから。
実の寺山に虚の妻を出会わせた効果。会わせたのは寺山自身。聞いた話としてではなく、自身の体験として語ること。

[参照]

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