マルセル・エイメ「壁抜け男」の主人公について、寺山修司の論。

《デュチュールにとって、個人的な内面生活など、どうでもいいことであり、ただ単なるレゾートル(外部の人)として、三級役人の勤めを全うすることだけが、日常の現実だった。
 しかし、彼が「壁抜け男」として他人に認知されたときから、彼の生活の内面化がはじまるのである。壁は、壁として了解されたときから、三級役人デュチュールの中で解釈され始める。そして、とうとうデュチュールは壁を通り抜ける途中で壁の厚さを了解し、能力を失って、壁の内部に閉じこめられてしまうのだ。》――寺山「壁抜け男の神話学」

上の引用は、天井桟敷「レミング」の制作と上演について書いたものの一部。
たんに「他者」で済みそうなところを「レゾートル(外部の人)」としてるのが気になって調べてみると、脚本J・L・ボルヘス+A・B・カサーレス、監督ユーゴ・サンチャゴの「Les Autres」という映画があり、エディンバラ映画祭で見て刺激された寺山は、サンチャゴ監督から送ってもらったシナリオに基づいてこの映画を論じたという(『夜想#16 特集・ボルヘス/レゾートル――はみだした男』)。寺山の使った「レゾートル」はこの映画に由来すると見ていい。

映画「Les Autres」の主人公スピノザの台詞。
《息子の死後、私は一人の人間から他の人間に変わった。それから、また別の人間に。私の存在は何の意味もなく、すべてが向こうからやってきて、私を奪い去った。とつぜん、私は他人になった。》――山崎剛太郎訳

フォロー

YouTube にスペイン語字幕の「Les Autres」あり、2:06:53
youtube.com/watch?v=k5EujfsScd

ログインして「Subscribe」のボタンを押すと再生できる。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。