現在、現在ペンシュルヴァニアとミシガンでハリス勝利。ジョージア、ノースカロライナ、アリゾナにトランプ勝利。直前にハリス有利とされたウィスコンシンでハリスが負けたのは痛いが、選挙人が多いペンシルヴァニアで逆転したことで、まだ勝敗の行方はわからないようだ。
残る激戦州は、ネバダとアリゾナ。合わせて17人の候補人。
今時点(日本時間11時26分)では、トランプ177、ハリス99となっているが、ハリスは候補人54のかカリフェルニアと4人のニューハンプシャーでは勝つだろうから、ほぼ互角である。
ついでに言えば、候補人40のテキサスではトランプはすでに勝利を決めている。
しかし、テキサス、ネバダ、アリゾナは元来メキシコ領だったのを、米国が戦争を仕掛け、強奪した地域である。(それを言えばカリファルニアもだが)。
そのことを考えると、「メキシコからの不法移民」なるものを争点にすること自体、「盗人猛々しい」とも言える。
付け加えると、米国経済は一定数の「不法移民」によって成立している。何故なら、「不法移民」であれば、法の保護を受けられず限界まで搾取できるからだ。
ともあれ、激戦州で早く決着がつけば、勝敗は意外と早く明らかになるかもしれない。
国連によれば、世界人口の約11%、9,7億人が精神疾患。
日本では東日本大震災で、被災した女川原発を総選挙後、原発全面再稼働の一環として、再稼働させるやいなや、トラブルで発電延期。これはあまりにも「お粗末」。直ちに原発全面再稼働=原発DXを中止すべきだろう。
そして今日、火曜日、パレスティナ、中東、引いては世界の運命を大きく左右する米大統領選。
現在、激戦州の内、ペンシルヴァニア、ジョージア、ノース・カロライナ、ネバダ、アリゾナでトランプが上回っている。ハリスはミシガンとウィスコンシンで僅かに上。しかし、このままでは激戦州の選挙人では68対25となり、ハリスに勝ち目は薄い。
民主党急進派のサンダースは数日前緊急にハリスに「労働者階級の味方」との方針を鮮明にすべきだ」と訴え、ミシガンのフリント(GMの本拠地)出身の映画監督のM.ムーアも同様の危機感を表明した。
しかしハリス陣営は、これまた中道右派の票を狙うために、あくまで「中道」を動かさない。これぞまさに現在世界を席巻する「エキセン中道」である。今や勝利のための合理性がないにも関わらず、だ。
勿論ハリスの方が「まし」ではあるが「世界最強の米軍へ投資」+「イスラエルへの揺るぎなき支持」では世界の動乱は収まりそうにない。
何故「秋に受勲?」と思っていたら、どうも「文化の日」にあわせているらしい。
「文化の日」とはまた「毒にも薬にもならない」命名だが、11月3日は、元来明治天皇の誕生日として「天長節」ないし「明治節」と呼ばれていた。
戦後「天皇主権」体制が解体される過程で、当然この命名ではまずい、ということになり、「文化の日」に改名。
しかし、これまた「明治節推進委員会」なる運動もあると云ふ。初代会長は、1973年のチリのアジェンデ政権に対するピノチェトによるクーデターを「神の声」と呼んだ元民社党委員長塚本三郎、後任は日本会議の田久保忠衛らしい(今年死去)。国会議員では稲田朋美、古谷圭司(元安倍秘書、今回も当選)、参与として桜井よし子など。
いずれにせよ、勲章を授ける主体は天皇ということになる。しかも明治節に。これでは今までトント私が興味を持たなかった筈だ。
しかし今度の選挙で共産党は「閣内に入っても天皇制は廃止しません」的なことを主張していたが、これには首を傾げる。
これを聞いて共産党に入れる人はいないし、逆に「白けて」逃す票の方が多い。何と言っても天皇制廃止支持は常時10%近くあり、共産党支持率よりはるかに高い。
どうも共産党も「無党派リベラル・レフト」へのアンテナが機能しなくなっているのでは?
#核兵器をなくす日本キャンペーン が来年2月8-9日に東京で開催する #核兵器をなくす国際市民フォーラム の開催概要を発表したのは、10月7日でした(衆議院第一議員会館での記者会見)。その時には、4日後に今年の #ノーベル平和賞が #日本被団協 に授与されることが発表されるなんて、誰も想像だにしていませんでした。
核兵器をなくす日本キャンペーンは、代表理事を被団協代表委員の田中熙巳さん、副代表理事を被団協事務局次長の和田征子さんがつとめ、事務局は28才になったばかり🎂の浅野英男さんが中心に引っ張っている #超世代 のキャンペーンです。私は、専務理事をつとめています。
🌹キャンペーンについて詳しくは 💁 https://nuclearabolitionjpn.com/
キャンペーンへのご支援をお願いしています。🌹本日(11/3)最終日で、浅野英男さんのバースデー・ドネーションやています 💁🏻♂️ https://syncable.biz/campaign/6921
なんか、「年収の壁」の話ばかり話題になりがちな気がしますが、
玉木氏は「第3号被保険者の廃止」も政策としてうちだしているから、
https://twitter.com/tamakiyuichiro/status/1837311268425978208
「年収の壁」をいじるときに、たぶん同時に「第3号被保険者の廃止」もやるつもりなのですよね?
「かつての専業主婦モデルが大きく変容し、多様な働き方や生き方が広がってきている中、働き方や生き方に中立的で公平な年金制度を確立していくことは急務です」
って言い方はそれらしいけど、
とにかく、”なんか得しているやつがいるぞ、そのせいでおれたち皆が割り食ってるぞ”ってあおって、
”公平にする”って仕組みを変えて、結局全員負担が増えるだけ、になるのではないでしょうか。
「第3号被保険者の廃止」は、経済同友会の新浪氏や連合の芳野氏らの主張とも一致しますね。
(参考)
・新浪剛史氏「財政がバラマキにならないように」 国民民主との部分連合案に 「年収の壁」引き上げには反対 (2024年10月31日・東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/363799
・連合、年金の3号廃止を正式提起 「年収の壁」で働き控え招くと批判(2024/10/18・毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20241018/k00/00m/040/259000c
都知事選で石丸候補が出たときにも、今回、東京24区に国民民主党の候補が出ることで有田氏の選挙区での当選が阻まれた(有田氏は比例で復活当選)のと似たような役割があったのだと思っています。
石丸、蓮舫の両候補の得票数を足すと、小池氏の得票数をやや上回るんですよね。
石丸氏が出馬しなければ蓮舫氏が勝ったのかどうかまではわかりません。
でも、蓮舫氏に入る票を削るために石丸氏が出て、
石丸氏側が豊富な資金を使ってしっかりした体制をつくって宣伝も十分すぎるほどに力をいれてやったことと、蓮舫氏側の選挙の体制が整っていなかったことがあいまって、ああいう結果になったのだと私は考えています。
(石丸氏陣営のモチベーションとして、石丸氏を二位にすることで、野党共闘支持者に無力感を植え付けたくてがんばったということがあるのでは、ともちょっと思います)。
日本社会には極秘で行われた原爆調査団には当時東大医学部副手であった加藤周一さん(血液学博士)も参加している。
ちなみに広島・長崎の原爆被害の情報は米占領中は報道禁止だった。占領終結後、1952年の新藤兼人監督、乙羽信子主演の『原爆の子』ではじめて全国に知られたと言われる。
草野さんは理論物理学者の川崎昭一郎さん(1932生)等とともに、戦後の原水爆禁止運動の中心となる。川崎さんは、ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸保存運動の責任者だった。
川崎さんは千葉大理学部物理学科教授でもあり、つい最近まで千葉大の理学部がリベラル左派多数だったのも、それと無縁ではない。
今年のノーベル平和賞は被団協が受賞したが、2017年は市民団体核兵器廃絶国際キャンペーンが受賞。この市民団体の日本事務局長が川崎昭一郎さんの息子、川崎哲さん(ピースボート共同代表、1968生)である。
川崎さんは私立武蔵ー東大法学部ー平和運動家という、今や「絶滅危惧種」のエリートで、私もお名前は知り合いを通じて四半世紀前から存じ上げていたが、直接お会いしたのは、今年の4月の「地平社」立ち上げレセプションが初めてである。
父の昭一郎さんが2年前に亡くなった際、メディアに「父は家では運動のことは語らなかった」と語っていたのは含蓄が深い。
1930年に千葉医専卒業、亀有をはじめとする無産診療所の医師を務めるが、治安維持法違反で検束後、盲腸炎を患い、同愛記念病院に入院。ところが、治癒していないのに強制的に退院、1932年に27歳で死去した中島辰猪という人がいるらしい。
千葉医専門というと、今の千葉大医学部だが、えらい変わりようだなー
ま、これは千葉大に限ったことではなく、戦前にはいわゆる「セツルメント」運動の一環として「無産者診療」、「無医村診療」運動に東大医学部や千葉医専の学生達がかなり参加し、結果として治安維持法違反で逮捕された。
戦後長野県に有名な佐久病院を開設した若槻俊一氏(1910生)もその一人。自身医者でもあった加藤周一さんも佐久病院にお世話になっていた。
加藤さんの親友の福永武彦(池澤夏樹の父)が癌出術の後、脳溢血で亡くなったのも佐久病院だったと思う。また東大仏文科渡辺一夫門下で、「背教者ユリアヌス」などで知られる辻邦生が心不全で急逝したの同じ軽井沢。ともに加藤さんがその場に居合わせて対応したと記憶している。
戦後原水爆禁止運動の中心の一人となった病理学者草野信男さん(1910生)も「セツルメント」に参加、虐殺された小林多喜二の遺体の周囲にいた。草野さんは45年8月末の広島に原爆調査に入る。(続く)。
なにやら「秋の叙勲」という行事があるらしい。
全く興味がなかったのだが、ふと新聞に「漫画家のつげ義春さん(87歳)が旭日中綬章」という見出しをみつけてちょっと驚いた。
たぶん、審査関係者のなかにファンがいたのだろう。
私もつげ義春さんの漫画は白土三平と並んで子供の頃からよく読んでいたし、別につげさん個人の選択には何か言うつもりは全くない。
ただ「あの」つげ義春と「旭日」という組み合わせに、ある意味「つくづく時代は変わった」と感じる。
つまり、かつて「サブカルチャー」とされたジャンルが完全に体制に公認された、ということ。仄聞する所では、『ガロ』を出版していた青林堂も今はすっかり右派系出版社になったと云ふ。
ところで、大江健三郎は文化勲章を断ったけれども、渡辺ー大江的な知識人を断罪しながら、東大文学部全共闘(というかセクト)で暴れた挙句、後韜晦的に自分達を「サラリーマン」と自嘲しながら、定年まで東大教授を続けた人達、これには感心しない(ついでに言うと、この自称「サラリーマン」を反復している東大教授がいる)。
どうも、そのうちの一人は、「秋の受勲」どころか文化功労者になっているらしい。「文化功労者」と言えば、終身年350万の年金が出る。もし、事実だとしたら、ちょっと呆れる話である。
アルブレヒトデューラーのメランコリアにある魔法陣、最初に知った時に凄まじく驚愕しました。縦横四隅、斜め、全て34に。神と人間の数。政策年も。コンピューターの演算でもこの数を選ぶのは不可能と聴いたので、数学者としてのあまりに奥が深くて仰天したとこがあります。
QT: https://fedibird.com/@yoshiomiyake/113419433077509434 [参照]
モンテーニュ、ラブレーなどの「超大物」を擁しながらも、ヨーロッパ研究者に「フランスにもルネサンスがあったのですか?」と何度も聞かれて渡辺一夫が慨嘆したことは投稿しました。
ところで、ルネサンス以来の「油彩」の技法を元来発達させたのは、「北方ルネサンス」とも呼ばれる15-16世紀のネーデルランド。
日本では、ヴァン・エイク兄弟、ブリューゲル、ボスなどの名が知られる。
またデューラーは北方とイタリアを繋ぐ巨人。サルトルの『嘔吐』の初版表紙はデューラーの「メランコリア」。
美術史では北方ルネサンスは「古代復興(ヒューマニズム)を欠く」ともされるが、これは正確ではない。エラスムス、フッテンなどの人文主義の巨人がいる。
またライデン大学はリプシウスを代表とする後期人文主義の拠点となる。ボダンの同時代人、リプシウスはキケロを批判し、セネカを擁護する新ストア主義の国家哲学を展開。
この新ストア主義、マウリッツの軍事革命を起点として近世・近代の「規律=権力」の基礎となる。
この後期人文主義、視覚芸術ではレンブラント、フェルメールの時代。
フーコーはリプシウスに言及しないが、『監獄の誕生』は事実上「リプシウスの長い影」を追跡した書物とも言える。
左)メランコリア
右)「死の勝利」(ブリューゲル)
さて、現在日本で猛威を振るっている「自己責任論」、長期的に見ると、少なくとも近世18世紀から連続している面があります。
この傾向を歴史家の安丸良夫さんが、大原幽学や二宮尊徳を例にとって「通俗道徳」と命名。一時「通俗道徳」は欧米由来の近代個人主義を緩和する「村落共同体」のモラル、と解釈されましたが、これは間違い。
実は日本の「ムラ」は朝鮮や中国(村の実態はない)と比較しても、「相互扶助」の伝統は薄い社会。従って近世東アジアといっても色々。
この通俗道徳が明治以降「立身出世主義」に接続。これを支えたのが「学歴主義」。
学生発布以来100年、「親より学籍が上がれば、所得と社会的地位も上がる」という前提=宗教で日本社会は回転して来た。これは15年戦争時でさえそう。
戦後は大企業に入れば安定した人生がほぼ保障された。逆に「不適応」者は「自己責任」。しかし、この「お約束」の社会的前提が崩れてきたのが、ここ20年。
今や日本の支配層は安定した雇用は人口の数パーセント=産業下士官にしか保証するつもりがない。
となると、大学進学率だけ挙げても何の解決にもならない。これは200年単位の「移行期危機」。
自己責任論から普遍的な社会保障へ、これは極めて重要な、しかし「重い」課題です。
国民民主の玉木が選挙前に「自己決定」に基づく「尊厳死」の法制化に向けた取り組みを得意げに発表したことは何度も批判しました。
ところが、「僕ってもともと有名な人なんです」と名乗る国民民主の候補者が、玉木のこの方針を「姥捨て山」ではなく、「子供たちに迷惑をかけたくないから死にたいという方々に選択肢を与えると」説明していたらしい。
これは驚くべき発言である。「子供たちに迷惑をかけたくない」から「自分で死を選ぶ」、これこそ「姥捨て山」そのものである。こんなことを堂々と発信するのが弁護士というのだがら、開いた口が塞がらないとはこのことだ。
しかも、この国民民主候補、なんと萩生田の出ている東京24区であえて立憲有田芳生とは別に出馬。2万5千票取っている。有田と萩生田の票差は7千票だから、結果としては萩生田を当選させるために出たようなものだ。
近世日本から根強いとされる「自己責任論」、この国民民主の候補に凝縮されている。
自分は競争の勝者のつもりであるから、「天地が逆になっても」再配分には反対。「俺の手取りだけ増やせ」。
医療・年金・学校など福祉システムで「辛うじて」勝ち組という自己像にしがみつけているのに、それが理解できない。「・・となんとか」は死ななきゃ治らない、というところか。
「人権宣言論争について」
G.イェリネックは、ある時期まで日本でもよく知られていた20世紀前半独のイツの公法学者。美濃部達吉の所謂「天皇機関説」は、イェリネックの公法理論を下敷きにしたものです。
イェリネックはウェーバーと同世代で、共にプロイセン的権威主義に対する「リベラル・ナショナリスト」の立ち位置から理論を展開。
この際、米国を参照枠とする共通性もあります。ウェーバーの有名な「プロ倫」も米国のカルヴィニズムを参照している。
イェリネックは、1789年の人権宣言の起源をルソー『社会契約論』ではなく、米独立革命の際の各州、とりわけヴァージニアの「権利の章典」にあるとする。
それに対して仏のブトミーは猛烈に反発、さらにイェリネックが再反論する、という過程を辿る。
現在からは人権宣言はあくまで「リベラル」であって、反「リベラル」であるルソーに思想的起源を求めるブトミーの主張に無理があるようにも見える。
とは言え、奴隷制を自明の前提とした米国「権利の章典」と人権宣言を直接繋げるのは難がある。むしろ89-91ー93の仏大革命の展開を追うことが重要。
ただしイェリネックにもウェーバーにも、そして仏本国でも93年を肯定することは問題外だった。
いずれにせよ、みすずの翻訳、一読の価値ありです。
選挙、いろいろ考えて投票先を決めても、
これでよかったのか、と毎回のように思っています。
どういう社会であるべきか、その実現のためにどう投票したらいいのか。
私たちひとりひとりが考え、意見の共有や議論をしながら、試行錯誤を続けていく。
その試行錯誤をみんなで積み重ねていくプロセスのなかに、
「市民社会」があらわれるのだと思います。
なにかの「信者」になって対象をひたすら肯定したり全面否定したりするのではなく、
一歩一歩地道に考えて、必要なときには対象への支持を表明したり批判したりしていく。
「投票」自体は一瞬で終わる行動です。
ですが、その一瞬のなかにこういう膨大に積み重ねられた軌跡がある。
すごく大変なことだし、そのぶん投票という行動自体を怖いと考えてしまうひとがいるのも理解できます。
でもしんどくてもちょっとずつでもよい社会をつくる方向へ、
投票を通じてみんなで進んでいけると信じたいです。
おやおや、公的年金基金(GPIF)79月にかけて約10兆円の赤字とは・・・
国内株式、海外株式、外国債券、それぞれ3兆円以上の赤字、これは「えらいこっちゃ」。
元来、年金のようなセイフティーネットを「投機ギャンブル」に依存させる、という設定に無理がある。
昨日は千円以上東証が下がったばかり。しかも、『地平』で京大の諸富先生と議論したように、やや下がったとは言え、そもそも東証株価3万8千は明らかに「バブル」。
このバブルに、年金基金もつぎ込んでいるのだから、将来不安は高まるばかりである。
かといって、石破・野田双方の元来の主張、消費税15%への引き上げは「可能でもなければ望ましくもない」。
財政破綻を回避するためには、もはや大企業と富裕層への負担増は「一刻の猶予もない」と私などは考えるがどうだろうか?
しかも今なら、まだ日本の大企業と富裕層は十二分に負担に耐えられる。5年後には「無い袖は振れない」となるかもしれない。
この案件も1年後の参院選までの政治の変動次第、ということになるのだろう。
国立大学の「独法化」について、蓮實重彦がの「抵抗」の役割を評価している「おめでたい」東大の先生がいる。
その上で、「蓮實重彦が、国家官僚としての最後の東大総長であったことは、近代日本文化史上、色々考えるに値する事実であると思う」などという絵に描いたような東京帝大権威主義を曝け出すのだから目も当てられない。
スパルタカス君の目には、数年に渡って全国で展開された「法人化」反対運動はまるで存在していない。この時、法人化の大義名分は小泉の掲げた「公務員」の数合わせに過ぎなかったので、運動と交渉で阻止できる可能性はそれなりにあった。
ただ東大はいつものように、押し切られた時の「保険」もちゃんとかけておく「政治性」があり、結果として「京大はやっぱりお公家さんだから」などと自嘲する結果にはなった。
ところで、蓮実のこの時の「抵抗」を評価するならば、68年の時、入試中止を決定しながら、文科省の直接介入は阻止した当時の加藤執行部に関しては一層「認識」を改めるべきではないのか?
なにしろ、ここで「大学の自治」が守られたために、70年代半ばまでは「左派」のヘゲモニーが大学と文化業界において続いたわけだから。
これが崩れるのが、70年代後半から80年代の消費社会化。新左翼のカリスマだった吉本隆明を見よ。
さて、今回の総選挙の特徴は、予想されたように投票率の低さ。
低投票率は自民に有利になる筈だが、今回自民は比例得票率14.1%。公明の5.7%と合わせても2割に届かない。
3年前の岸田の時と比べて5%、約500万票減らしている。実は自民の得票数自体は21世紀に入って減り続けており、2012年に政権を奪回した時も、09年に民主党に敗北して下野した時よりも得票数は低い。
つまり、2009年の敗北は08年の「年越し派遣村」でメディア化された「格差と貧困」の是正の期待が民主党への投票に繋がった結果。その後の消費税引き上げなどの政策に失望し、多くの人が「政治」から撤退した結果が安倍の復活。
要するにこの時も「安倍・自民が勝った」というよりも新自由主義政党である民主党が内部抗争と米国の圧力の下に自壊したのである。
この際の最高責任者である野田を顔にして今回立憲が多少増やしたからといって、何か積極的なものが期待できる筈もない。
国民民主の玉木は何が勘違いして舞い上がっているが、物価高、生活苦、将来不安を解決できる筈もないし、する気もない。
ただ、維新が比例で300万、近畿でも111万、本拠地の大阪でも56万減らしたことは朗報とは言える。
この危うい均衡、一年もせずに劇的な再編を遂げるだろう。
哲学・思想史・批判理論/国際関係史
著書
『世界史の中の戦後思想ー自由主義・民主主義・社会主義』(地平社)2024年
『ファシズムと冷戦のはざまで 戦後思想の胎動と形成 1930-1960』(東京大学出版会)2019年
『知識人と社会 J=P.サルトルの政治と実存』岩波書店(2000年)
編著『近代世界システムと新自由主義グローバリズム 資本主義は持続可能か?』(作品社)2014年
編著『移動と革命 ディアスポラたちの世界史』(論創社)2012年
論文「戦争と奴隷制のサピエンス史」(2022年)『世界』10月号
「戦後思想の胎動と誕生1930-1948」(2022年)『世界』11月号
翻訳F.ジェイムソン『サルトルー回帰する唯物論』(論創社)1999年