「人権宣言論争について」
G.イェリネックは、ある時期まで日本でもよく知られていた20世紀前半独のイツの公法学者。美濃部達吉の所謂「天皇機関説」は、イェリネックの公法理論を下敷きにしたものです。
イェリネックはウェーバーと同世代で、共にプロイセン的権威主義に対する「リベラル・ナショナリスト」の立ち位置から理論を展開。
この際、米国を参照枠とする共通性もあります。ウェーバーの有名な「プロ倫」も米国のカルヴィニズムを参照している。
イェリネックは、1789年の人権宣言の起源をルソー『社会契約論』ではなく、米独立革命の際の各州、とりわけヴァージニアの「権利の章典」にあるとする。
それに対して仏のブトミーは猛烈に反発、さらにイェリネックが再反論する、という過程を辿る。
現在からは人権宣言はあくまで「リベラル」であって、反「リベラル」であるルソーに思想的起源を求めるブトミーの主張に無理があるようにも見える。
とは言え、奴隷制を自明の前提とした米国「権利の章典」と人権宣言を直接繋げるのは難がある。むしろ89-91ー93の仏大革命の展開を追うことが重要。
ただしイェリネックにもウェーバーにも、そして仏本国でも93年を肯定することは問題外だった。
いずれにせよ、みすずの翻訳、一読の価値ありです。