国民民主の玉木が選挙前に「自己決定」に基づく「尊厳死」の法制化に向けた取り組みを得意げに発表したことは何度も批判しました。
ところが、「僕ってもともと有名な人なんです」と名乗る国民民主の候補者が、玉木のこの方針を「姥捨て山」ではなく、「子供たちに迷惑をかけたくないから死にたいという方々に選択肢を与えると」説明していたらしい。
これは驚くべき発言である。「子供たちに迷惑をかけたくない」から「自分で死を選ぶ」、これこそ「姥捨て山」そのものである。こんなことを堂々と発信するのが弁護士というのだがら、開いた口が塞がらないとはこのことだ。
しかも、この国民民主候補、なんと萩生田の出ている東京24区であえて立憲有田芳生とは別に出馬。2万5千票取っている。有田と萩生田の票差は7千票だから、結果としては萩生田を当選させるために出たようなものだ。
近世日本から根強いとされる「自己責任論」、この国民民主の候補に凝縮されている。
自分は競争の勝者のつもりであるから、「天地が逆になっても」再配分には反対。「俺の手取りだけ増やせ」。
医療・年金・学校など福祉システムで「辛うじて」勝ち組という自己像にしがみつけているのに、それが理解できない。「・・となんとか」は死ななきゃ治らない、というところか。