両大戦間の仏の平和主義の反響が聞き取れる『チボー家の人々』、WWII後の日本でもある時期までよく読まれた。例えば、今でも憲法学者芦部信喜は、この書物の愛読者であり、指導学生達にも、必ず一読を勧めていた。(ま、今の実定法学者で「チボー」を通読している人はいないだろうけど)。

 ところで、この本の冒頭、主人公のジャックがルソーの『告白』を読んでいることを発見され、放校される場面で始まることは既に投稿しました。また、第三共和制において『社会契約論』が聖典化されていたことも。

これに関しては、イェリネック/ブトミーの「人権宣言論争」が参考になります。

 他方、サルトル、デリダ、アルチュセール、フーコーにとっては聖典化された「社会契約論」は批判の対象となる。

 しかし、日本でアルチュセールやフーコーを論じる人達はこの辺りのことを理解していない節がある。

 これはあえて「親切心」で教えて上げる。『監獄の誕生』第三部を仏語で見直しなさい。
 「完璧な理想社会の夢想」、「原始的な契約」、「一般意志」などのルソー語彙に対するフーコーの「まとめ」がある。

ただし、「痴愚神礼賛」祭りにいそいそと参加した「あほ」な研究者にはどうせ読んでも無駄だから勧めない。この人は「天才バガボン」でも読んでいればよい。 

 

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この投稿、補足します。

これは、「天才バガボン」を批判しているのではありません。

痴愚神礼賛祭りにいそいそと出かけている「あほ」な研究者を批判しているのです。

では何故、「天才バガボン」なのか?これは、当の研究者かその周りの人でないとわからないかもしれません。ですので、最後のこの行は、ちょっと「内輪」のニュアンスになったかも、です。 [参照]

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