日本社会には極秘で行われた原爆調査団には当時東大医学部副手であった加藤周一さん(血液学博士)も参加している。
ちなみに広島・長崎の原爆被害の情報は米占領中は報道禁止だった。占領終結後、1952年の新藤兼人監督、乙羽信子主演の『原爆の子』ではじめて全国に知られたと言われる。
草野さんは理論物理学者の川崎昭一郎さん(1932生)等とともに、戦後の原水爆禁止運動の中心となる。川崎さんは、ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸保存運動の責任者だった。
川崎さんは千葉大理学部物理学科教授でもあり、つい最近まで千葉大の理学部がリベラル左派多数だったのも、それと無縁ではない。
今年のノーベル平和賞は被団協が受賞したが、2017年は市民団体核兵器廃絶国際キャンペーンが受賞。この市民団体の日本事務局長が川崎昭一郎さんの息子、川崎哲さん(ピースボート共同代表、1968生)である。
川崎さんは私立武蔵ー東大法学部ー平和運動家という、今や「絶滅危惧種」のエリートで、私もお名前は知り合いを通じて四半世紀前から存じ上げていたが、直接お会いしたのは、今年の4月の「地平社」立ち上げレセプションが初めてである。
父の昭一郎さんが2年前に亡くなった際、メディアに「父は家では運動のことは語らなかった」と語っていたのは含蓄が深い。