国立大学の「独法化」について、蓮實重彦がの「抵抗」の役割を評価している「おめでたい」東大の先生がいる。
その上で、「蓮實重彦が、国家官僚としての最後の東大総長であったことは、近代日本文化史上、色々考えるに値する事実であると思う」などという絵に描いたような東京帝大権威主義を曝け出すのだから目も当てられない。
スパルタカス君の目には、数年に渡って全国で展開された「法人化」反対運動はまるで存在していない。この時、法人化の大義名分は小泉の掲げた「公務員」の数合わせに過ぎなかったので、運動と交渉で阻止できる可能性はそれなりにあった。
ただ東大はいつものように、押し切られた時の「保険」もちゃんとかけておく「政治性」があり、結果として「京大はやっぱりお公家さんだから」などと自嘲する結果にはなった。
ところで、蓮実のこの時の「抵抗」を評価するならば、68年の時、入試中止を決定しながら、文科省の直接介入は阻止した当時の加藤執行部に関しては一層「認識」を改めるべきではないのか?
なにしろ、ここで「大学の自治」が守られたために、70年代半ばまでは「左派」のヘゲモニーが大学と文化業界において続いたわけだから。
これが崩れるのが、70年代後半から80年代の消費社会化。新左翼のカリスマだった吉本隆明を見よ。