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村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』読了。
読んでて驚いたのは、前三作と同じ主人公だったことです。全部別々の主人公だと思ってたよ。話、繋がってなくない?
次に驚いたのが、主人公が安保闘争に参加して留置所にお泊まりした経験があるということですね。いや、嘘だろ、今までそんな情報なかったし(なかったよね?)、人柄的に嘘だろ。渋谷暴動の時に、騒乱を横目に半地下のバーで飲んでるような口だろ。

「ダンス」や「ステップ」といった言葉からわたしが思い浮かべるのは、能動的で躍動的なイメージなのですが、この話の主人公はとにかく自分から動きません。部屋で待ってると外部から問題なり解決なりが訪れて、それに最小限反応しているような感じです。言葉と行動がかけ離れている。
この物語からは、社会的成功や資本主義といったものに対する嫌悪や軽蔑を感じるのですが、かと言って主人公は社会的に上手くやれてないわけではないです。働かなくても困窮しないぐらいの貯金はあるし、働こう思えばすぐに職にありつける自負はあるし。
社会的に上手くやれる自分を手放さないまま、社会的に上手くやることへの違和感、嫌悪感を訴えていて、社会的に上手くやれていないわたしとしては「コンチキショーメ」と思います。

間永次郎 『ガンディーの真実』読了。
面白かった!ガンディーさんは思想がガンギマリでヤバい人ですね。
ガンディーの唱えた思想、「非暴力」=「サッティヤーグラ(真実にしがみつくこと)」と解し、「真実のガンディー」とともに「ガンディーにとっての真実」を掘り下げた本です。

食・衣服・性・宗教・家族の五つの真実を取り扱っておりますが、例えば「食の真実」。
食べる行為は他者の命を奪う加害行為である。食=暴力には快楽が伴う。砂糖、コーヒー、紅茶などの快楽の大きな嗜好品は、生存に不必要かつ、その生産には奴隷労働が伴う。までは、理解できるんですよ。
食の快楽を求めることは、奴隷労働及び人種差別=暴力を受容することである。より暴力の少ない食を摂取することは、人種差別の撤廃に繋がる。というとこまでは、なるほどと思える。
真に非暴力の食を求め続けるならば、人間の味覚及び身体はそれに応じて変革する。とまでいくと、さすがに分からんです。

一事が万事そんな感じで、この人ヤバい人だなと思いながら読みました。食・衣服・性・宗教・家族と、章が進むにつれて、理解が困難になっていきます。
偉大な存在になる=自己が拡大すると、他者が希薄になり、自己中心的になり、身近な存在は犠牲になってしまったと、そういう批判も書いてありました。

宮内悠介『超動く家にて』読了。
SF・ミステリ短編集。16編収録されてます。気を置けず読める分、なんだかよく分からない話もあるなあ、と思ってたら、あとがきに作者による解説があるのでありがたい。

叙述トリックとパロディが多い。
叙述トリックもパロディも、偏見だったり思い込みだったりお約束だったり様式美だったりと、まず型があって、そこに挿入する要素を捻ることで成り立っていると思うのですが。捻り方をズラすと、すこしふしぎになるのだなあ、と思いました。

技術が更新されることによって世界は進んでいきますが、そこから置いていかれるもの、忘れられていくものも出てきます。最初に収録されている「トランジスタ技術の圧縮」がそういう話だった所為か、そういう置いていかれるものをちゃんとお見送りをしたい、といったトーンの短編集だと感じました。

岩崎賢『アステカ王国の生贄の祭祀 血・花・笑・戦』読了。
面白かった!
アステカと言えば人身御供で「どうしてこんなことを」と思うじゃないですか。それをアステカの宗教観からアプローチしていこうという本です。
結論から言えば、世界を血=生命力で満たして世界を生かしていこう、太陽も月も星も神々も血を流しているので、人間のほうも血を捧げなければいけない、そうしなければ世界を回らない、という考えだということでして。

アステカは1年を18ヶ月に分けて、それぞれに神がおり、それぞれの神に生贄を捧げる儀式をしていた、とあるんですが。ここに書かれているのは首都の一年であり一般化はできないと思うんですが、大々的なお祭りばっかりやってて経済的に大丈夫なんだろうかと心配になりますね。
捧げる生贄に敵の捕虜の頻度が高く、生贄を確保するために戦争しなきゃいけないんじゃないか(花の戦争、この本には書かれてなかった)とか、縛ったまま生贄にするんじゃなくて結構がっつり祭祀に参加させてから生贄にしてるなあ、とか。あと、臭いが凄いことになってそうだなあとか、思いました。
お祭りの内容が結構具体的に書いてあって、面白かったです。人の皮を被るのとか、分かるけど分からんわあ。

2023年12月8日
小野寺拓也・田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』読了。
表紙の惹句?の「歴史学からみてナチスに評価できる点はあるか?」というのが、本の内容を表してますね。

簡明なんだけど、難しい。歴史、歴史学というものの捉え方、考え方に訓練が要って、それがわたしには足りていない。
「はじめに」で、歴史には〈事実〉〈解釈〉〈意見〉という三つの層がある、とありますが、まずここが難しい。
〈事実〉からしてまず、「歴史的事実は「純粋なまま」でわたしたちのところにはやって来ない。なぜなら歴史的事実は純粋な形態では存在しないし、存在しえないから」とあり、読んでる時は「うんうん」と頭で理解できていても、なかなか腹落ちできない。ついつい、あったことはあったことだし、なかったことはなかったことだし、と思っちゃう。

で、ナチスのやったことは、文脈を切り離せば良かったこともあるように見える。けれど、本当に文脈から切り離せるものなんだろうか、切り離して解釈できるものなのだろうか、切り離す時の切り出し方で自ずと別の文脈が乗ってくるよねと、そういうことを、ナチスのやったこととそれにかかわるネット上の言説を具体例に引いて書いてある。

和田竜『忍びの国』読了。
天正伊賀の乱。群像劇のように始まって、あんまり群像劇ではなかった。それぞれの登場人物をもう三歩ぐらい踏み込んで描いていただきたかったかな。視点人物がぬるっと切り替わるので、読んでて少し混乱しました。
例によってわたしのヘキで、このお話の信雄くんは好きです。

千々和泰明『戦争はいかに終結したか』読了。
いちおう読んだのですが、読めていないというか。
戦争がどう終わったかを語るには、終わるまでにどういう経緯を辿ったか、両者の意図や誤算を語らねばならないのですが、ここが何回読んでも理解できない。
第1章の第一次世界大戦のぐにゃんぐにゃんした展開に、だいぶやられました。

第3章の第二次世界大戦〈アジア太平洋〉で知ってる話が出てきたので、ここだけなんとか頭が追いついている状態です。
結果を知ってる立場から読んでいるので、太平洋戦争末期時の日本政府首脳陣の悠長さは飲み込み難いものがあります。ポツダム宣言を最後通牒とは受け取っていなかったって。沖縄戦の惨状が、終戦への意思決定にほとんど寄与していないことに、なんとも言えない腹立たしさと虚しさを覚えます。

本書は、戦争終結を“「紛争原因の根本的解決と妥協的和平のジレンマ」”、“「将来の危険」と「現在の犠牲」のどちらを、より重視するかをめぐるトレードオフ”という視点で論じたものです。
観念的な段階では理解できるのに、個別具体的な事例に落とし込むと途端に分からなくなります。

過去を教訓として、今とこれからに活かせる気がしなくて、途方に暮れています。
何もかもが間違いな気もするし、それしか選べなかった気もするしで。

窪美澄『ふがいない僕は空を見た』読了。
高校生の斉藤くんは、主婦とコスプレ不倫セックスをしている。ある日、盗撮された行為中の姿がネットや学校にばら撒かれる。
作中の言葉を借りるならば、性は「やっかいなもの」と定義されていて、「わ、わかるー」となりますわね。

斉藤くんの実家は助産院をやっており、やっかいなもの・ままならないものの・余計なものの性の行き着く先として、出産が示唆されています。作中で助産院での出産は望まれたものしか描かれておらず(望みと現実の不和は描写されている)、欺瞞だなあと思うものの、この欺瞞こそが必要なものだと思うのです。

ショレム・アレイヘム『牛乳屋テヴィエ』読了。
「屋根の上のバイオリン弾き」の原作らしいのですが、わたし、「屋根の上の〜」を見たことないな。
主人公はウクライナに住むアシュケナージ系ユダヤ人で、イディッシュ語による口語小説です。

で、口語小説なのですが、この主人公がとにかく喋る喋る。取り留めなくツルツルと立板に水のように、微に入り細に入り、聖書を引き合いに出しダジャレを交えて、あの時こうしたこう思ったこう言ってやった、と。話が長え。
話の枕や枝葉はいいから、早よ本題に入ってくれんかな、と思いました。
でも、話の歯車が回り始めると語り口と相まってグイグイと駆動していき、楽しかったです。
でも、語られる内容は踏んだり蹴ったり、わりと散々で洒落にならない感じで。

主人公は今までどおりに暮らしたいのに、娘たちは親の目から見るとろくでもない男どものところに嫁いでいって。
一人は貧乏な仕立て屋に嫁ぎ(のちに夫は早逝)、一人は革命家に嫁いで流刑地に旅立ち、一人は相手の実家に反対され身投げし、一人は異教徒に嫁ぎ(のちに出戻り)、一人は資産家に嫁ぐものの主人公とは縁を切り(のちに破産して夜逃げ)。
最後は、ポグロムで、生まれ育ち、妻の眠る村を追われるという。

平田陽一郎『隋』読了。
副題は「「流星王朝」の光芒」。いい題名!
南北朝の動乱を鎮め、中華を統一し、瞬く間に滅んだ隋。
親しみやすいラフな文体で分かりやすく書いてくれているのですが、わたしは今とても混乱しています。

隋成立の時代背景、ええと、まず後期北朝。西魏、東魏が北周、北斉となって、遊牧国家の突厥との交渉、衝突があり、鮮卑族の楊氏が北周から禅譲を受け隋建国。
で、後期南朝。梁が滅んで西魏の傀儡国家の後梁が起こり、それとは別に梁からの禅譲を受けて陳が起こり。
そして、共に隋に滅ぼされる。

突厥も一枚岩ではないので、突厥との関わりも複雑で複雑で。分かりやすく書いてくれているけれど、自分の中で整理整頓が出来ていない。
北方の胡、華北の漢、東南海域の蛮が絡み合っているのが統一王朝の隋である、というざっくりとした理解に留まっています。

吉村昭『高熱隧道』読了。
凄絶だった。黒部川第三発電所建設のため、水路用と機材搬入用の二本の掘削することになるのですが、これが酸鼻を極める難工事で。
工事を現場指揮する技師の視点で語られ、事故自体の衝撃は無論、事故による人夫の仕事放棄や暴動への恐れもあって、緊迫感がただならない。

工事を始める前の崖に運搬用の道を作る段階で既に転落事故死が相次ぎ、トンネルを掘り進めると岩盤温度は160度を超え、ダイナマイトは自然発火でたびたび爆発し、泡雪崩で鉄筋コンクリート製の宿舎は消失し、地元の富山県は工事中止を申し渡すものの国策で工事は続けられ。
日中戦争の前年、226事件の年に着工されたこれらの工事によって作られた黒部川第三発電所は、2023年の今も稼働しているのですが。事故死を起こしても技師は工事を続けなければならない、それが仕事だからだ、みたいなセリフもあったのですが。

吉村昭の、精緻で鉄を叩いたような文章はいいものですね。
この工事、報酬は相場の10倍だったそうで、昔の日本はちゃんとお金を出して労働者を集めてたんだなあと思いました。人の命は軽いけれど。昔は命をお金で買ってたんだな。

ジョン・コナリー『失われたものたちの本』読了。
第二次世界大戦下のイギリス。継母との折り合いが悪く鬱屈を抱えた主人公は、亡くなったはずの母親の助けを求める声に誘われて、壊れ行く物語の世界へ迷い込む。
物凄く悪趣味な「はてしない物語」といった趣きでした。

有名どころの昔話を悪意を持ってねじくれた読み方をすると、こうなるかあ、といった感じ。
思春期のとば口の性への嫌悪感が全編に渡って濃厚に描かれており、性とは穢れたものという観念への嗜好を強烈に感じた。

お話としては成長物語ということになるのですが、冒険の中で主人公が成長していってる感がいまいち読み取れず、敗北していった歴代の王と主人公を別つものはなんだったのかもはっきりと分かりませんでした。

村上春樹『羊をめぐる冒険』読了。
前二作と違ってストーリーラインが、それもシンプルなラインがあるので、とても読みやすい!
鎌倉の老人が出てきて、大塚英志原作の漫画の小説を読んでるみたいだった。

しかし、主人公は性交し過ぎじゃないかな。気が散る。作中に出てくる「性交した」の3/4を「コーヒーを飲んだ」に書き換えたいな。

お話としては、モラトリアムの維持というものなのかな、と思いました。主人公は30にもなって社会的責任を負わない、負いたくない、負えない人物で、友人の鼠も然りで。

馬場あき子『鬼の研究』読了。
鬼のことよう知らんなあと思って読んだのですが、鬼というものは多義的で、余計に分からなくなりました。
鬼のイメージと言えば、赤くて剛毛で角が生えてるといった感じなのですが、それは著者曰く「古代的・呪的な精神の哀れなカリカチュア」なんだそうです。
この本に書かれているのは、カリカチュア化される前の、中世以前の鬼の姿です。鬼の出てくる様々な古典を読み漁り考察を加えておりますので、古典に出てくる鬼の社会的背景なんかは今まで気にしたことがなかったので興味深かったです。

小川進『QRコードの奇跡』読了。
とても面白かった。技術開発史、楽しい♪
こういう課題があり、こういう技術を開発し、こういう問題が起き、こういう風に対処して、こういう需要に、こういう風に転用してと、すっきり整理整頓して書かれていて、分かりやすい!

QRコードの前身のNDコードの開発のくだりで、バーコードリーダーの開発以前に、バーコードを印刷するプリンタとか紙やインクの開発からして難題で、そういうのは全く思い至ったなかったので、読んでてワクワクした(バーコードの印刷問題自体は本題ではないので、わりとサックリと流されています)。
バーコードリーダーの開発にしても、案内担当者の目を盗んで部品を解体したと、それ書いて大丈夫なの?というのがあっさり書いてあって面白かったです。
わりに話がサクサク進んでいくので、読んでいて楽しいです。

QRコードとは何ぞやというのは、中日新聞のこの記事が分かりやすいです。ていうか、この記事を読んだから、この本を読もうと思ったわけでして。
static.chunichi.co.jp/chunichi

森見登美彦『有頂天家族』「父の発つ日」読了。
赤玉先生が出てくると、わたしの情緒はめためたになる。今回、お風呂に入るのを嫌がるお年寄りという、わりとこう、具体的なものを出されてしまったために、お父さんが、わたしのお父さんがこうなってしまったらどうしよう、と泣いてしまった。
どうしようと言っても、泣いていても仕方がないので、諦めて、せめて面白おかしく対処するしかないのですが、わたしはまだその覚悟ができていない。

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森見登美彦『有頂天家族』「金曜倶楽部」読了。
このお話良かった!好き!
母の命の恩人は、父の仇でした。また、父の仇に恋してます。
ままならない。「愛おしい」という気持ちが、望ましいかたちを取ってくれない、悍ましくて美しくて悲しいお話。
この話、誰も辱められてないのがいいですね。父上は尊厳を保ったまま逝った。
このお話は、お話だから、御伽噺だから、美しい。

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森見登美彦『有頂天家族』「大文字納涼船合戦」読了。
むごい話だった。
大文字焼の夜、下鴨家は空に船を浮かべ観覧するのが慣わしだったが、その船は親族間のトラブルで焼失した。なんとか工面して新たな空飛ぶ船(赤玉先生の茶室)を借りることに成功するが、その茶室はまたもや親族トラブルで残骸となるのだった。

大文字焼きの夜を飛ぶ、その場面はとても良かったんですよ。過去の栄華は取り戻せないまでも、故人を偲び、甘やかだった過去を懐かしむ。
でも、どうしてそのまま終わらせてくれなかったんだろうか。一夜ぐらい、一夜ぐらいは甘美なままで終わらせてくれてもいいじゃないか。

赤玉先生が出てくると、わたしの情緒はメタメタになる。赤玉先生的に、下鴨家の家族イベントに参加するの、勇気の要ることだったと思うんですよね。その、絞り出した勇気が踏み躙られたのが、こう、こう、な!
下鴨家、それぞれの狸の思いも踏み躙られていて。どうしてこんなにむごい話を。

偉大な父親に食われる息子がわたしのヘキのひとつなので、矢一郎お兄様はいいですね、いいですね、たぎります。

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森見登美彦『有頂天家族』「母と雷神様」読了。
優しくて、悲しい、寂しい話だった。
下鴨家次男の矢二郎は、狸社会から脱落し、井戸で蛙として生きている。

社会から脱落したものにも居場所があるというのは、これは救いだと思う。だけど、脱落したものは、脱落なんかしたくないんですよ。
矢二郎兄さんも、蛙になりたかったわけではなく、ただ狸ではいられなかっただけで。狸でいられるのなら、狸でいたかったんですよ。
雷が鳴る時、母上の胸裏にはちゃんと矢二郎兄さんもいるのですが、矢二郎兄さん本人としては物理的母上の側に居たいんですよ。でも、そうできない。
どうにもできないものは、諦めるしかない。諦めたところに、救いはある。救いが確かにあるこの話は優しい。救いは井戸という形で既にもたらされている。矢二郎兄さんには居場所がある。だけどわたしは、この救いの形がとても悲しく寂しい。

あー、あと、矢二郎兄さんは夢野久作の三男みたいだなあ、と思った。
ああいう人に居場所があって生きていけたというのは、わたしにとっては救いだけれど、本人的にはどうだったんだろうな。どうしようもないこと、どうにもできないことはあるよね。

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クリント・スミス『場所からたどるアメリカと奴隷制度の歴史』読了。
アメリカのプランテーション史跡を巡る旅行記。面白かった。
作者が訪れた土地、語り合った相手の描写が細かく丹念にされているのだが、特に光の描写が印象深い。全体的に光に包まれた印象の本だった。

建国の父、トーマス・ジェファーソンのプランテーションのガイドツアーから始まるのですが、これが物凄く突き詰めてくる。奴隷とは何か、奴隷制度とは何か、奴隷制度の何が問題か、歴史とは何か、歴史を語るとは何か、歴史を保全するとは何か。正直、まだ受け止めきれてはいません。
独立宣言で「すべての人間は生まれながらにして平等であり」と謳いながら、そこに黒人は含まれておらず、ネイティブ・アメリカンは考慮のうちにもない。
トーマス・ジェファーソン、紛れもなく人格者だったと思うのですよ。そんな人でも奴隷を鞭打ち、家族を引き裂き、40も齢の離れた娘を性交渉の相手にする。えぐい。

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