森見登美彦『有頂天家族』「有頂天家族」読了。
矢四郎くんは走り、矢二郎兄さんは古井戸が出て、夷川早雲の悪事は暴かれ大団円。下鴨一家が大立ち回りでカタルシス。
で、思ったのですが、この話の主人公、矢二郎兄さんだな。この話で解決するの、矢二郎兄さんの課題だものな。
でも矢二郎兄さんはずっと井戸の中で悩んでるから動きがなくて、井戸の外にいる矢三郎くんが語り部になっていて。
矢三郎くんの話はこの話が始まる前、赤玉先生と再会しようと決めた時が、矢三郎くんの話だったんだよ。

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君塚直隆『物語 イギリスの歴史(下)』読了。
下巻は清教徒革命から現代(2015年)まで。
清教徒革命→王政復古→名誉革命の流れが整理整頓できた。清教徒革命はプレ・フランス革命みたいな感じだけど、フランス革命みたいにならずに済んだのは、既存の庶民院がわりと力を持っていたからなのかな。

イングランドは王統が絶えると、イングランドの中からではなく余所の国から王様がやってくるのですが、それは、余所からやってきた王様が代を重ねてイングランドの王様になるから、そうなるのかなと思いました。
んで、王様が親政をとろうとすると、議会の反発にあって挫折する。

下巻は王権の記述が減って、議会の記述がガンガン増えていくのですが、貴族院と庶民院の関係や、イギリスの二大政党制の成り立ち、「首相」の誕生がざっくりと分かって楽しかったです(まだちょっと理解しきれてないけど)(巻末の政党変遷略図、だいぶ助かる)。

エイモス・チュッオーラ『やし酒飲み』読了。
ナイジェリアの作家が英語で書いたもので、尺貫がヤード・ポンド法。
やし酒飲みの主人公が、死んだやし酒作りを連れ戻そうと死者の町へ旅をする話。道中、次々と怪異が出てくる。
昔の童話や神話みたいで読み心地は懐かしい。
こういうことがあったので、こうしたという展開の連続で、こう思ったがない。こうしたから、こうなったという因果もほとんどなくて、整合性がなく展開はとても理不尽。
解説曰く、この小説には「恐怖」と「モラル」の対比があるそうなのですが、「モラル」のほうはわたしには全然分かんなかったです。
書かれているのは怪異なんだけど、描写はこざっぱりとしていて質感や重量がない。

“「ドラム」がドラムを打つぐらいに、ドラムを打てる者は、この世に一人もいなかったし、「ソング」がソングを歌うぐらいにソングを歌える者はいなかったし、また、「ダンス」がダンスをおどるぐらいにダンスをおどれる者は、一人としていなかった”

君塚直隆『物語 イギリスの歴史(上)』読了。
上巻は、古代からエリザベス1世の崩御まで。イギリスは議会制の国という視点での通史。

で、たぶんなんですけど、フランス中世史をざっくり押さえていないと、ここに書かれていることがあまり理解できないような気がします。何か読みやすいのないかな。

百年戦争や薔薇戦争、シェイクスピアやアーサー王物語、ガリア戦記やヴィランド・サガと、自分の中でバラバラだったものがこの本を読むことによって一つの流れになって、気持ち良かったです。

まえがきにもあるように、イギリスというのは、ずっとちっぽけな島国だったんだなという印象です。
デーン王朝やノルマン王朝など征服王朝が続きプランタジネット朝もフランス貴族による王朝で、イングランドはアングロ・サクソン自らの王を戴くことが出来ずにいて、歴代の王たちも本拠地が別にあるのでイングランドの統治に集中することが出来ず、そして王位継承の度に争いがおきてと、イングランドの王は強い王となることが出来ず、だから諸侯による議会が発展したという理解でいます。戦争するのに課税するのが大変なのは分かった。
新書2冊に収めるために、イングランドの王を軸に記述されていて、イングランドの諸侯や民が歴代王朝をどう受け止めていたのかはちょっと分かんない。

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』読了。
コペル君の家はどうやって生計を立てているのか、かなり謎いな。
十五年戦争の最中の東京のミドルアッパーの生活が書かれていて、劇場版の『窓ぎわのトットちゃん』をほんのり思い浮かべながら読みました。

主人公は中一の男の子で、お母さんとお手伝いさんと女中さんとの4人暮らしで、近所に叔父さんが住んでいます。主に主人公の学校での出来事が書かれています。作中、女中さんは1,2回ぐらいしか登場せず、お手伝いは出てきません。いるのにあまり認識されていない、この感じ、この感じですよ!ひゃはー!

この本は、『日本少年国民文庫』という子供向けの網羅的な叢書の中の倫理の巻で、だからこんなつまらない題名なんですな。
子供向けの全集を買える・読めるような層に向けて、そういう層の主人公を据えて書かれていて、そういう立ち位置に非常に自覚的です。
主人公の通う学校には主人公よりも裕福な家の子もいて、主人公は自分のことを普通だと思ってる節があるのですが、そうじゃない、恵まれているのだからノブレス・オブリージュを持てと、ギチギチに啓蒙してくるんですね。
始終訓誡を垂れてくる本なのですが、説教臭さがないのは凄いなあと思いました。

小川哲『嘘と正典』読了。
時間SF物っぽい感じの短編集。6編収録。
うち3編は、息子(娘)が理不尽な父親を理解しようと努める(好きなテーマだ!)話で、妻とか母親とかは背景に追いやられていて、うみょーんとなる(短編だから仕方ないね!)。
何をどう書いてもネタバレになりそうで、うーん。だけど、他の人のネタバレ感想は知りたい感じ。

この作者は、もっともらしい嘘をつくのがとても上手いです。つらつらと嘘と本当を織り交ぜて、順を追って説得力のある語り口で騙るんですよ。読んでてとても気持ちいいです、嘘だけど、説得力があるから。さらさらと流れる論理展開が気持ちいい

収録作の「時の扉」。
まず、「未来を変えられる」というのは嘘だ、と定義付けします。未来は存在していないので、存在していないものは変えられない、と。でも、過去は存在しているので、過去は変えられる、と。では、過去とは何か、時の流れとは何か、といったことを滔々と騙っていくんですね。
過去とは何かといった語りはいわば仕込みなんですが、千一夜物語のパスティーシュ風の語りで流れていくので、楽しいです。

今井むつみ、秋田喜美『言語の本質』読了。
認知科学・発達心理学者と、言語学者の共著による、「ことばはどう生まれ、進化したか」(副題)に迫る本。

ええと、読んでも言語の“本質”は分からなかったというか、何をどう説明されれば“本質”と思えるのかが、わたしには分からなくなったというか。“本質”って、なに?

ざっくり2/3ほどがオノマトペの説明に費やされ、オノマトペについては分かったような気持ちになれました。オノマトペは体感に接地しており、音声によるアイコンであって、言語の入り口であり、でも抽象的・概念的なものは表せないだよ、ということでした。たぶん。

田野大輔、小野寺拓也、香月恵理、三浦隆宏、百木漠、矢野久美子『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』読了。
人口に膾炙している〈悪の凡庸さ〉は誤用なんじゃないか、また〈悪の凡庸さ〉を問い直すとはどういったことかという、題名通りの本。
わたしはなんもかんも理解していないということが分かった。

まず、〈悪の凡庸さ〉は一般的には、善悪を棚上げした言われたことを諾々とやる「歯車理論」を表す語として用いられているが、アーレントに〈悪の凡庸さ〉と形容されたアイヒマンは組織の中で主体的に働いており、決して凡庸な悪ではない、といったことが書かれており。
また、アーレントは〈悪の凡庸さ〉を「歯車理論」を表現するものとしては用いていないといったことが書かれ。アーレントは〈根源悪〉と対立する概念として〈悪の凡庸さ〉を提示したと書かれ。〈根源悪〉はカントの提示した概念なんでが、まずそっからわたしは知らなんだわ。

湯本香樹実『夜の木の下で』読了。
短編集。とても良かった。
書かれているのは、主人公たちの子供時代の回想。階段を降りるように過去を手繰る。喪失の記憶。降る月の光のような透徹な悲しさ、静かな慟哭。水の底から見上げた夜の明るさ。
ひんやりとしたシーツのような質感の文章で、手触りが良い。

森見登美彦『有頂天家族』「夷川早雲の暗躍」読了。
最終章に向けての助走的な回なので、この話単体では特に感想はないなあ。
下鴨総一郎狸鍋事件の真相が明らかにされる回なのですが、下鴨家の人にとっては既に終わったことなので、犯人が分かろうが分かるまいが、どうでもいいことなんですよね。
有頂天家族は主人公の矢三郎君の講談調の一人称なのですが、一人称だけど講談調なので矢三郎君が知り得ぬことを描写していても、読んでて気にならないんだよな。
あと、お母さんも大概ファム・ファタールなのですが、矢三郎君は興味ないから、お母さんの致命的な女ぶりはあんま言及されとらんな。

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浜忠雄『ハイチ革命の世界史』読了。
ハイチのことをほとんど知らないので、読めて良かった。
読んでて、『風の谷のナウシカ』の「私達は 血を吐きつつ くり返し くり返し その朝をこえて とぶ鳥だ!!」という台詞を思い出しました。

はじめにを引くと、“「ハイチとはどんな国か」を説明するときには、「世界初の黒人共和国」と「西半球の最貧国」の二つがキーフレーズになるのだが、〈略〉本書が着目するのは「世界初の黒人共和国」誕生の歴史、「ハイチ革命」である。”といった感じの新書です。
要点が分かり易かったです。

ハイチの旧宗主国はフランスで、ハイチで革命(独立戦争)が起きている最中にフランスでも革命が起きていて、ハイチの交渉相手が王国→共和国→帝国→王国→共和国と、本書ではほとんど説明もなくぬるっと変わってたりします。
フランス革命と言えば人権宣言なのですが、この人権宣言がうたうところの「人間」とは何か、といったところにも筆を割いています。

わたし達は人権宣言後の世界に生きていますが、それと同意義にハイチ革命後の世界に生きているのだと、本書は訴えているのだと思いました。

泉鏡花『外科室・天守物語』読了。
東雅夫編の短編集。新潮文庫。
表現が強いのに場面がポンと飛ぶので、「待って、ちょっと待って、今のどういう意味?どういう繋がり?」となることがあまりに多くて、話についていけませんでした。
だけど情景描写はバチクソに上手くて、無造作にどこを抜き出しても絵になります。
表題作の天守物語は戯曲で、最初に登場人物の説明があり、ト書きは場面の説明で、台詞は状況の説明なので、やっと話についていけました。
まあでも、読めてないので、本当に読めてないので、感想はありません。

“蓑を取って肩に装う、美しき胡蝶の群、ひとしく蓑に舞う。颯と翼を開く風情す。それ、人間の目には、羽衣を被た鶴に見える。
 ひらりと落す時、一羽の白鷹颯と飛んで天守に上るを、手に捕う。”
(泉鏡花『天守物語』より)

有吉佐和子『複合汚染』読了。
無添加・無農薬を謳っている製品を見ると、非科学的だなあ(科学の中身は知らんけど)とわたしは思うのですが、無添加・無農薬が切実な時代がありまして、その頃(1974~1945年)に書かれたのが、この、日本版『沈黙の春』こと、『複合汚染』です。
ルポタージュ風の小説。
横丁の御隠居なる作者の分身くさい賢老人が出てくるので、そこらへんがフィクション成分でしょうね。
巻末の解説にもあるように、1974年の第10回参議院選挙のすったもんだがこの小説の導入部なのですが、選挙の話はいつの間にか消えています。が、有吉佐和子の語りが上手いのであんまり気になりません。

書かれているのは、農薬・化学肥料・殺虫剤・食品添加物・合成洗剤・排気ガスと、あらゆる化学物質の濫用への疑義と警鐘です。
で、まあ、今の目線で読むと、農薬の所為で野菜が腐らなくなった、農薬の所為で野菜が腐りやすくなったと、言わんとしてることは分かるけど牽強付会が過ぎる感じです。
本当の野菜とか、本当のお漬物とか、美味しんぼみたいなこと言ってんな、というのが感想です。昔は塩で歯を磨いていた、歯磨き粉で磨くと舌が変になるし、磨き過ぎて歯が削れて返って虫歯になる、といったことも書かれていて、今読むのだいぶ厳しかったです。

青野利彦『冷戦史』読了。
地政学的利益とイデオロギー対立を、米ソ超大国、ヨーロッパ、東アジア、第三世界の四つの視角から見ていきます。
冷戦は米ソの対立構造ではありますが、米ソが主導する一方的なものではなく、米ソ周辺国の動きも米ソの関係に影響を与えたのだと、繰り返し説かれています。

なんかこう、NATOとワルシャワ条約機構以外にもいろいろあるなって感じなんですが、そのいろいろがまだよく飲み込めてないです。
日本語で日本人読者に向けて書かれた冷戦史なので、西側から見た冷戦史だなといった印象です。あとは、第三世界の動向はちょっと食べ足りないなあといった感じです。

第二次世界大戦後、旧植民地の各国はアメリカに援助を期待したが、アメリカの人種差別的な対応で、ソ連に傾倒していった、とか。
冷戦とは言うものの、朝鮮、ベトナムと東アジアでは熱戦が展開された、とか。
中ソの関係の悪化は米ソの関係を緩和した、とか。
解説されると、そういやそうだなあ、と。

カーター大統領が映画『ザ・デイ・アフター』を見て核戦争の悲惨さに衝撃を受けてるくだりは、ちょっとびっくりしました。たぶん、その当時の空気感の象徴的な逸話として取り上げてる感じなんだと思うんだけれども。
え、映画を見て?と、ちょっとびっくりしちゃうよね。

辻井喬『彷徨の季節の中で』読了。
一言で言えば、青春の蹉跌、家父長制の家に反発し学生運動に打ち込むも挫折する話。幼少期から思い出を綴っていく、著者のデビュー作にして自伝的私小説。

挫折の仕方がバキッと音を立てて折れる感じではなく、カスっと手応えなく折れる感じで、そういう弱い我しか張れない主人公の話です。
主人公は妾の子として生まれ、妾を囲うような父親を憎み、妾に囲われるような母親を疎み、そのような父母の子として生まれた自分を不潔だと厭います。
父親に反抗しようとして仕切れず、その死を願いながらも父親が急な病に陥れば夜中に医者の門を叩きます。
父親は囲った妾の家の女中に手を出し、それに母親は気付いているという、地獄のような有様なのですが、読み心地は意外と爽やかです。それは、主人公が地獄の渦中にありながら、自分の立ち位置を当事者に置かず傍観者に置いているからでしょう。そういう屈折の仕方です。

ドストエフスキー『地下室の手記』(訳・江川卓)読了。
わたしは自分が大好きで大嫌いなんですよ。ということを、ドストエフスキーは文庫本で240頁ほどを費やして語るんですね。
第一章は取り留めないの思索の奔流、第二章は何故そう成り果てたのか若い頃のとある事件の回顧記となっております。

“ぼくは意地悪どころか、結局、何者にもなれなかったーー意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。”
“およそ自信なさげなうわべだけの軽蔑の微笑でもうかべて、こそこそ自分の穴へもぐりこむしか、もう手がない”
などといった、これは俺のことを言っている、という言葉が第一章は多かったです。
んで、あと、人間は(押せば音が鳴るような)ピアノの鍵盤ではない、と言って近代的合理主義を否定しています。人間に必要なのは“自分独自の恣欲である”と主人公は言うのですが、たぶんそんなものは存在してないんですよね。
そんなものが持ててたら、地下室で手記を書くなんてことはないんですよ。

低い自己肯定感を補うように、釣り合わない自尊心の高さ、過剰な自意識、自己嫌悪と自己愛、自己批判と自己弁護、自己、自己、自己と、自家中毒を起こしてて、主人公の中に他者が存在してないんですね。
これ、俺のことだわ。

川上弘美『神様』読了。
やわらかい。くまがいて、河童がいて、人魚がいて、絵本だ。これ好き。
輪郭が曖昧で、口の中に入れるとふわしゅわと溶けて歯応えがなく、懸命に記憶に留めておかないとすぐに消えてしまう。でも、あるんだよ、あったんだよ、心の底層にはあるんだよ。そんな感じ。
ぬるいお風呂に浸かって微睡んで気持ちいいけど、このままだと冷めて風邪をひいちゃうな、でもとろとろ眠りに引き摺り込まれてる。そんな感じ。

ゆるやかな連作短編の趣きですが、冒頭に置かれてる表題作の「神様」だけ少し手触りが違うなあと思ってたら、最後の短編でくるっと包括されてました。
文章に気負いがないのがいいですよね。角がない。
んで、出てくる食べ物の塩梅が丁度いい。
“くまは、フランスパンのところどころな切れ目を入れてパテとラディッシュをはさんだもの、わたしは梅干し入りのおむすび、食後には各自オレンジを一個ずつ”(「神様」より)

森部豊『唐』読了。
日本語において中国を表す漢字は「漢」の「唐」とあるのですが、その唐です。日本の律令制のお手本となった国。
なにせ290年の歴史があり、版図も広く、時間・空間の両面で、わたしの処理能力を越えてしまって。
でも、情報を切り分けて定義付けし、分かり易く書いてくれています。

安禄山の「安氏の乱」を境に、前半と後半に分かれ、前半は東ユーラシアの多文化・多民族の世界帝国、後半はモンゴリアの離脱や外患で漢化が進み、かつ宦官が活躍した時代だと説明されています。
唐の成り立ちについては、同じく中公新書の平田陽一郎著の『隋』を読んでおいて、良かったです。併せて読もう「流星王朝」!

前半は、武則天に結構な筆が割かれており、この人凄いな、となりました。帝位に就いただけで力尽きた観もあり、どういう統治をしたかったんだろう。
科挙の導入や律令の整備など、単語だけは聞いたことのある事物が出てきて楽しかったです。

後半は、道士に処方された不老不死の薬を飲んで精神に異常をきたしたり命を落とす皇帝がちょいちょい出てきて、この薬あやしいから止めようってならなかったのはなんでかなあ、と思いました。
唐崩壊の呼び水となった塩賊の出現などが説明されており、楽しかったです。

伊坂幸太郎『魔王』読了。
政治改革を訴える野党党首がカリスマ的な支持を集める中、その大衆の熱狂に主人公は危機感を抱く。書かれたのが2004年の小泉内閣の頃で、当時の政治的な熱気が如実に反映された小説だと思います。

で、ええと、これが、主人公(=作者?)の危機感とか違和感とか主張とか疑問とか意見とがゴツゴツとしていて、超能力っぽいものも出てくるんですが、あんまり小説になり切れていないというか。
思想を込めるにしろ、ドストエフスキーぐらいやれば読みではあると思うのですが。

主人公の気分とわたしの気分は近しいところにあると思うんですよ。わたしは応援上映とか一体感を高揚する場を楽しめない人間だからね。
でもこのお話、素朴というかボソボソするというか。
ライブ会場の熱気に主人公が実験的に抗ってみる場面があるのですが、その対抗手段が「イマジン」で。い、いまじんかあ、とヘニョヘニョな気持ちになってしまって。じゃあ何がいいのかって言われても、他に思い浮かばないのですが。

これ続編あるんだよあなあ。どうすんべかな。

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』読了。
とてと楽しかった。地球の生物は太陽の熱と光がなければ生きていけませんが、この物語はその太陽がエネルギーを食べる細菌に感染するという、「え、これ、どう対処したら」という絶望的な状況で始まります。
主人公の置かれている状況もかなり絶望的なのですが、悲嘆に暮れる暇があったらやれることをやるという精神で、読み心地は悲壮ではないです。
問題・仮説・対策・新たな問題という、くるくる回るサイクルがテンポよくスピーディで楽しいです。

物語の1/3ほどからバディ物になるのですが、このバディの会話が軽妙で軽快で尊いです。
この物語は、人の善きところ、知性、理性、科学、勇気、執念といったものへの賛歌、信仰の物語だと思います。頁を閉じた時、わりと感極まって涙腺に来ました。
“だがぼくはポジティブでいるようにしている。ほかにどうしようもないだろ?”というお話でした。

あと、ネーミングがいいですよね!
“JAXAの太陽観測衛星、アマテラス”とかとかネーミングが絶妙で、机を叩いて喜びました。
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」!いい名前!
んであとは、プロジェクトリーダーの人が凄いなと思いました。

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