堀田善衛『定家明月記私抄』『定家明月記私抄続篇』読了。
フォロイーさんのご紹介。美文を書こうという力みがなくて、文章が涼やか。冷たい水のよう。
藤原定家は平安末期・鎌倉初期の中流貴族、宮廷歌人で、新古今和歌集や小倉百人一首を編纂した人。「明月記」は定家の日記で、『定家明月記私抄』は、堀田善衛が「明月記」をどう読んだかの随筆。
戦時中の青年だった筆者が明月記の一文と出逢うところから始まっており、およそ800年前の動乱の時代が20世紀までぐっと引き寄せられてて、導入が上手いです。

同時代の他の日記も引き合いに出しながら、当時の中流貴族の生活や和歌というものの“感じ”が、立体的に分かる気がきます。
とにかく定家は金策に四苦八苦してます。また、明月記から伝わる後鳥羽帝は元気が有り余っており、定家は苦虫を噛み潰しています。
著者は、当時の宮廷貴族を、“生活者集団としては一種のフィクシオン的存在である”としており、和歌というものも、実情から切り離されたフィクシオンで人工の極であり超現実である、としています。
そういう解説を踏まえて定家の歌を見ると、時代の動乱も、定家の生活苦も、定家の性格の険も、なるほど歌には表れていないなあと思ったりするのでした。

小川哲『ユートロニカのこちら側』読了。
作者のデビュー作。キャラクターも文体もクセがなくて、読みやすいです。
個人情報が資本主義的な価値を持ち、私企業によって点数化される社会。情報を企業に提供するかわりに生活全般が保障された実験都市を巡る連作短編集です。
「こちら側」なので、都市に適応できない、いわば時代に乗り遅れた人たちの物語が主体です。
「ユートロニカ」については最終章手前に説明があって、まるっと要約すると涅槃です。

これを読んでわたしが思ったのは、「いいなあ」というものです。実験都市では生活費や医療費がただで、労働しなくていい。人生の100%を余暇として過ごせる。羨ましい。
安心安全が保証されて、何かを選択するストレスも機械がサポートしてくれて、生の苦しみがなくなった人たちがどうなるかというと、それについては仮説が提唱されているのですが、「向こう側」のことなので、あまり描写されていません。

イーフー・トゥアン『空間の経験』読了。
わたし達が空間をどのように捉えているか、その「感じ」を古今東西の例を羅列して言葉に置き換えた本。
普段感じていることを書いているので新しい驚きはなく、言葉が持って回った言い回しなので痛快さもなく、「そう言われれば、そうかもなあ」ともやもやな読み心地。

だって、出だしがこんな感じですよ。
“「空間(スペース)」と「場所(プレイス)」は、ごくありふれた普通の経験を表示する、誰でも知っている言葉である。〈略〉場所すなわち安全性であり、空間すなわち自由性である。つまり、われわれは場所に対しては愛着を持ち、空間に対しては憧れを抱いているのである。”

でも、まあ、広い・狭い、大きい・小さい、高い・低い、密集・虚ろ、遠い・近い、言語化してこなかったその「感じ」が言葉になったので、読んでよかったのかな。あんまり理解できてないけれど。

アンナ・カヴァン『氷』読了。
異常気象で凍てつく世界で、主人公は氷の色彩の少女を追い彷徨う。
主人公の眼前で美しい少女は繰り返し繰り返し虐げられ、辱められ、命を絶たれる。
暗くて、硬くて、重たくて、冷たくて、寒くて、狭くて、深くて、良かった。

藤井一至『土 地球最後のナゾ』読了。副題は「100億人を養う土壌を求めて」。
とても面白かった。土って大別して12種類ある、ということも知らない初学者に向けて書かれていて、分かりやすかった。
副題の示すように、耕作が可能かどうかを軸に見ていっており、人を養える土地は驚くほど少なかった。
サハラ砂漠の砂は鉄分でコーティングされているので、タイ東北部の土に比べればまだ栄養があるみたいなことも書かれていて、びっくりした。
冒頭の地図で、土のない地域があることにもびっくりした。
日本の土は酸性だということは聞いていたのですが、今回、その仕組みが分かって良かったです。

小林照幸『死の貝―日本住血吸虫症との闘い―』読了。
ノンフィクション。とても面白かった。
謎の風土病の謎が徐々に解き明かされ、その対策が徐々に打ち出されと、人知のリレーに高揚感を覚える。
日本での収束の兆しが見えてから、中国揚子江流域の広々とした沃土が立ち塞がる絶望感が堪らんです。
徐々に徐々に謎が解き明かされる展開に興奮するのですが、この本は最後にひとつ大きな謎を残して終わります。

明治14年(1881年)に山梨県令に嘆願書を出してから、平成8年(1996年)に終息宣言が出るまで115年がかかっています。人間の間尺ではとても長いのですが、1世紀余あればひとつの病を根絶させられるんだなと、近現代医学の発展に打ち震えます。
風土病の感染経路を確認するために(治療法はまだ見つかっていない段階で)実際に自分の身で感染してみた医者さまもいて、人間というものは使命感を持てばここまで献身できるのかと、おののきました。

田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』読了。
短編集。良かったけど、居心地は悪い。
日に焼けた古い畳のにおいがする。引越しで退去する直前の、カーテンもなく西日の差し入るがらんどうの部屋で、うっすらと甘苦い感傷を取り出して舌に乗せるような。
古いシールを剥がして粘着剤が残り、指で擦って取ろうとしたら上手くいかず、黒ずんだ汚れが薄く引き伸ばされて、ベタつくような。
なんかね、そういうシール跡の汚れが少しばかり心に貼り付くような、そんな感じだったの。
んであと、単純に、いわゆる「女」の話をされると疎外感を抱くんだよね、わたしは。
少し時間の経ったお刺身、脂が乗ってねっとり甘いけど、いささか生臭い。

清水俊史『ブッダという男』読了。
面白かったし、とても分かりやすかった。説明が親切で明朗!
これを読んでもブッダという人がどういう人だったのかは分からないのですが、どういう考えを持っていたんだろうかというのは分かります。

はじめにに“これまでの専門書や一般書の多くが、歴史のブッダを探索しているはすが、彼が二五〇〇年前に生きたインド人であったという事実を疎かにして、現代を生きる理想的人格として復元してしまうという過ちを犯してしまっている”とありまして、本文に“ブッダは、無から仏教を発明したわけではない。当時のインドの諸宗教の前提を受け継ぎ、それを批判し乗り越えるかたちで仏教は生まれた”とあります。

前半では、ブッダは古代インドの価値観の中に身を置いた存在だったと解き、後半で、仏教と諸宗教を分かつもの、ブッダの独自性を紐解いていきます。
諸宗教と比較しながら論が進むので、古代のインドの考え方のさわりに触れられるのも、楽しかったです。

わたし達の理想を投影した「神話のブッダ」について決して否定的ではないのが、良かった。長い歴史の中で、求められていたのは「神話のブッダ」なのだから、と。
んで、経典は解釈で左右されるの例で出てきた、戦中・戦後の浄土宗の偉い人は、言ってることがデタラメやった。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『砂の本』読了。
集英社文庫版には「砂の本」「汚辱の世界史」と短編集が2編収録。「砂の本」は淡白で、「汚辱の世界史」は脂ぎった感じなのですが、どちらもわたしには味わう舌がありませんでした。文字の表面を撫でるだけで、分かんなかった。
終わりもなければ、始まりもなく、霧のように茫洋としていて、砂を噛むような読み心地。
作者の中のものを紙に写していて、説明をしてるんだから読めば分かるだろ、分かんなかったらそれでいいよ、って感じだった。

“詩人は頌歌を奉呈した。それを彼は、荘重に、確信をこめて、草稿に一瞥もくれずに朗誦した。王は、うなずきつつ嘉納を示した。一同は、戸口につめかけた者にいたるまで、一語も解せぬにもかかわらず、王の身ぶりに倣った”
(『砂の本』「鏡と仮面」より)

米澤穂信『氷菓』読了。
わたくし事となるのですが、高校が舞台の話を読むと、わたしの高校生活を反映したような小説が読みたいなあ、とつい思ってしまいます。
話は淡々と進んでいてわりかし好みなのですが、淡々と読むには当時人物の名前にちょっとクセがあるなと、思いました。

畠中恵『アイスクリン強し』読了。
キャラ立てと筋立てが巧みで、サクサクツルツル読める。

以下、長い不満になります。
このお話の舞台は明治の晩年で、明治時代背景の説明があるのですが、その説明が歴史の資料集の引き写し的で、物語の背景の説明になり切れていない感じがします。
作中、貧民窟が登場するのですが、その描写が露店に売り物が少ないことと、玄関口に戸板がないこと、南京虫がいることぐらいしか描写がなくて、そこに暮らしている人の景色が見えてきません。
「残飯を食べてる」という台詞はあるのですが、台詞だけで、どこでどういう残飯をどう確保して、どう食べてるのかとかは、分からない。

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酉島伝法『るん(笑)』読了。
滅茶苦茶嫌な話で面白かった。
スピリチュアルと科学が逆転した世界。人は病気になると、月の光に照らして純度を高めた阿迦水(アクア)にハーブを入れて一晩中祈りを込めてかき混ぜた愈水(ゆすい)を飲んで対処したりしてます。造語塗れでそれっぽくてゾクゾクします。
描写が精緻で生々しい。30cmぐらいの距離感のものはくっきり明瞭なのに、少し引くととりとめなくぐちゃぐちゃしていて、何がなんだか分からない。高熱の時に見る悪夢みたい。
ヤミでクスリを売ってるヤクザイシが登場したりと、昔は科学が優勢っぽかった片鱗はあるのですが、そこらへんは語られない。
わたしは医療を信じているのですが、理屈を理解して信じているわけではないので、スピリチュアルを信じて行に励んでいる登場人物たちとスタンスがそんなに違うわけではないなあ、と思ったりも。
ただし、作中のスピリチュアル行為が作中において実際に効力のあるものなのか、判然としてない。『るん(笑)』の世界は疲弊していくばかりで、何かが改善したという描写がない。「好転反応」はありますが。
エレベーターは故障して修理は来ないし、熱は下がらないし、「るん(笑)」は治らないしで。

古泉迦十『火蛾』読了。
とても面白かったし、とても好みだった。
12世紀の中東、俗世を離れ隠遁したイスラム神秘主義者の修行場で殺人事件が起きる。
この、ネチネチと理屈を捏ね回してる感じ、大好き!
そして、炎に飛び込む蛾というイメージの筆致の美しさよ!
教えを伝えるのに、言葉という不完全なものに頼らなければならない不自由さを繰り返し繰り返し説かれているのですが、それを説いているのも、また言葉で。
では、言葉を排して教えを伝える・受け取るにはどうするのか、といった思考実験を言葉(日本語)で書いてる本なんですね。

森安孝夫『シルクロードと唐帝国』読了。
森部豊『唐』を読んだ際に、フォロイーさんに教えていただいた本。文体に少々癖があり、読むのに少し難儀した。
政治史のほうは中公新書を脳内引用しながら読むことになったのですが、胡旋舞や奴隷売買書など文化面のさわりに接することができて良かった。
ソグド人とかマニ教とか、中央アジアのことをもっと知りたいな、となりました。

で、まあ、感想と言えば原作と同じになってしまうのですが。
この作品は、露骨にあの事件がモデルとなっているのですが、そのことに対してわたしはあまり忌避感がないのですね、この作品に関しては。
所詮無関係の他人からの感じ方になるのですが、この作品からわたしが感じるのは、鼓舞と讃歌で。
現実ではあったことはなかったことにできないけれど、創作からなかった可能性を形にすることもできる。これは祈りですねよ。
んで、京本があの時あの部屋から出ようと出まいが、京本は絵を描くし、藤野は漫画を描くんですよ。これ多分、運命とかそういうものじゃなくて。
だから、藤野があの時漫画を描こうが描くまいが、そう大きな違いはないんですよ。
あの二人は、出会おうが出会うまいが、絵を描き続けるし、漫画を描くんですよ。
でも、藤野があの時漫画を描かず、京本が部屋から出なければ、二人でクレープを食べることはなかったね、と。
京本があの時あの部屋から出て意味があったのは、そういう他愛もないところにあると、わたしは感じているんです。
うーん、感想がぐちゃぐちゃになってしまった。

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吉村昭『海も暮れきる』読了。
推し(尾崎放哉)のことを推し(吉村昭)が書いた、俺得小説。
「咳をしても一人」などの自由律俳句の俳人、尾崎放哉の最期の8ヶ月を描いたもの。放哉という人は、帝大卒のエリートでありながら酒癖と性格が悪く身を持ち崩し、肺を病み、極貧の中で人生の幕を下ろします。

極貧のどうにもならない生活で、他人を頼り甘えて無心し、恩に感涙するが、その感謝をすぐに忘れ、期待が叶えられないと恨み罵り狼狽し、死に怯え、僅かな希望に縋り、酒に溺れ、といった放哉の乱高下する感情を、吉村昭の冷静な筆致で描き出しています。
これまあ、吉村昭の小説なので、放哉の実際の内面がどうだったかは、分からないんですが。
合間合間に挟まる、生活物資や資金を無心する手紙の文面が、ねちっこくて媚びてていやらしくて惨めでいじましくて、こんなの出す方も受け取る方も嫌だっただろうな、と。

こいつどうしようもねえな、という気持ちで読み進めることになるのですが、挿入される放哉の句が本当に素晴らしくてですね。吉村昭の精緻な情景描写とセットでお出しされるので、句単体で詠むよりも味わいが深くなるというか。
「春の山のうしろから烟が出だした」なんかは、吉村昭ありがとう。

森見登美彦『有頂天家族』「有頂天家族」読了。
矢四郎くんは走り、矢二郎兄さんは古井戸が出て、夷川早雲の悪事は暴かれ大団円。下鴨一家が大立ち回りでカタルシス。
で、思ったのですが、この話の主人公、矢二郎兄さんだな。この話で解決するの、矢二郎兄さんの課題だものな。
でも矢二郎兄さんはずっと井戸の中で悩んでるから動きがなくて、井戸の外にいる矢三郎くんが語り部になっていて。
矢三郎くんの話はこの話が始まる前、赤玉先生と再会しようと決めた時が、矢三郎くんの話だったんだよ。

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君塚直隆『物語 イギリスの歴史(下)』読了。
下巻は清教徒革命から現代(2015年)まで。
清教徒革命→王政復古→名誉革命の流れが整理整頓できた。清教徒革命はプレ・フランス革命みたいな感じだけど、フランス革命みたいにならずに済んだのは、既存の庶民院がわりと力を持っていたからなのかな。

イングランドは王統が絶えると、イングランドの中からではなく余所の国から王様がやってくるのですが、それは、余所からやってきた王様が代を重ねてイングランドの王様になるから、そうなるのかなと思いました。
んで、王様が親政をとろうとすると、議会の反発にあって挫折する。

下巻は王権の記述が減って、議会の記述がガンガン増えていくのですが、貴族院と庶民院の関係や、イギリスの二大政党制の成り立ち、「首相」の誕生がざっくりと分かって楽しかったです(まだちょっと理解しきれてないけど)(巻末の政党変遷略図、だいぶ助かる)。

エイモス・チュッオーラ『やし酒飲み』読了。
ナイジェリアの作家が英語で書いたもので、尺貫がヤード・ポンド法。
やし酒飲みの主人公が、死んだやし酒作りを連れ戻そうと死者の町へ旅をする話。道中、次々と怪異が出てくる。
昔の童話や神話みたいで読み心地は懐かしい。
こういうことがあったので、こうしたという展開の連続で、こう思ったがない。こうしたから、こうなったという因果もほとんどなくて、整合性がなく展開はとても理不尽。
解説曰く、この小説には「恐怖」と「モラル」の対比があるそうなのですが、「モラル」のほうはわたしには全然分かんなかったです。
書かれているのは怪異なんだけど、描写はこざっぱりとしていて質感や重量がない。

“「ドラム」がドラムを打つぐらいに、ドラムを打てる者は、この世に一人もいなかったし、「ソング」がソングを歌うぐらいにソングを歌える者はいなかったし、また、「ダンス」がダンスをおどるぐらいにダンスをおどれる者は、一人としていなかった”

君塚直隆『物語 イギリスの歴史(上)』読了。
上巻は、古代からエリザベス1世の崩御まで。イギリスは議会制の国という視点での通史。

で、たぶんなんですけど、フランス中世史をざっくり押さえていないと、ここに書かれていることがあまり理解できないような気がします。何か読みやすいのないかな。

百年戦争や薔薇戦争、シェイクスピアやアーサー王物語、ガリア戦記やヴィランド・サガと、自分の中でバラバラだったものがこの本を読むことによって一つの流れになって、気持ち良かったです。

まえがきにもあるように、イギリスというのは、ずっとちっぽけな島国だったんだなという印象です。
デーン王朝やノルマン王朝など征服王朝が続きプランタジネット朝もフランス貴族による王朝で、イングランドはアングロ・サクソン自らの王を戴くことが出来ずにいて、歴代の王たちも本拠地が別にあるのでイングランドの統治に集中することが出来ず、そして王位継承の度に争いがおきてと、イングランドの王は強い王となることが出来ず、だから諸侯による議会が発展したという理解でいます。戦争するのに課税するのが大変なのは分かった。
新書2冊に収めるために、イングランドの王を軸に記述されていて、イングランドの諸侯や民が歴代王朝をどう受け止めていたのかはちょっと分かんない。

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