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ショレム・アレイヘム『牛乳屋テヴィエ』読了。
「屋根の上のバイオリン弾き」の原作らしいのですが、わたし、「屋根の上の〜」を見たことないな。
主人公はウクライナに住むアシュケナージ系ユダヤ人で、イディッシュ語による口語小説です。

で、口語小説なのですが、この主人公がとにかく喋る喋る。取り留めなくツルツルと立板に水のように、微に入り細に入り、聖書を引き合いに出しダジャレを交えて、あの時こうしたこう思ったこう言ってやった、と。話が長え。
話の枕や枝葉はいいから、早よ本題に入ってくれんかな、と思いました。
でも、話の歯車が回り始めると語り口と相まってグイグイと駆動していき、楽しかったです。
でも、語られる内容は踏んだり蹴ったり、わりと散々で洒落にならない感じで。

主人公は今までどおりに暮らしたいのに、娘たちは親の目から見るとろくでもない男どものところに嫁いでいって。
一人は貧乏な仕立て屋に嫁ぎ(のちに夫は早逝)、一人は革命家に嫁いで流刑地に旅立ち、一人は相手の実家に反対され身投げし、一人は異教徒に嫁ぎ(のちに出戻り)、一人は資産家に嫁ぐものの主人公とは縁を切り(のちに破産して夜逃げ)。
最後は、ポグロムで、生まれ育ち、妻の眠る村を追われるという。

けど、主人公の語りがこんな感じなんですよ。
「テヴィエの場合、不幸は一度で終わらず、次から次へと芋づる式ですからね。たとえば牡牛が死んだとしますよ、そしたら、皆さんには、こんなこと、無縁だといいのですが、一頭では済まないんですよ…… 神様が、世界をこんな風にお造りになったんです。ですから、いじくろうたって、いじれませんよ。やれやれってなもんです!」
この、悲惨なはずなのに悲惨さがいまいち伝わってこない語り口にペーソスを感じる。
「やれやれってなもんです!」という明るい諦観と、神の民であるという素朴で強烈な自負。この諦観と自負なくしては、おそらく頽れてしまうのだろうけれども。なんかえらいもんを読んだ。
「異教徒(ゴイ)がいくら背伸びしたって、ユダヤの人間にはかなわないんじゃないですか? 異教徒(ゴイ)は、しょせん、異教徒(ゴイ)ですし、あたしたちは、あたしたちです」

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