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窪美澄『ふがいない僕は空を見た』読了。
高校生の斉藤くんは、主婦とコスプレ不倫セックスをしている。ある日、盗撮された行為中の姿がネットや学校にばら撒かれる。
作中の言葉を借りるならば、性は「やっかいなもの」と定義されていて、「わ、わかるー」となりますわね。

斉藤くんの実家は助産院をやっており、やっかいなもの・ままならないものの・余計なものの性の行き着く先として、出産が示唆されています。作中で助産院での出産は望まれたものしか描かれておらず(望みと現実の不和は描写されている)、欺瞞だなあと思うものの、この欺瞞こそが必要なものだと思うのです。

やっかいなものの、その先にあるのは、望まれたものであるという、欺瞞、祈り、救いなんですね。
で、祈るという行為も、救いであると定義付けられている。祈るということは、今は救われていないということだけど、何かを祈れるということはそれは希望で救いなんじゃないか、と。
祈ることさえできない登場人物もいるだけに。

主人公の斉藤くんの担任の先生は、それはもう頼りない人なのですが、その頼りなさ、至らなさが、この物語においては斉藤くんの回復に寄与しており、やっかいなもの、ままならなさを排斥するのではなく包括しようとする、そういう祈りの物語だったと思う。

とは言え、コスプレ不倫セックスの描写が多少しつこいんだよな。

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