黒澤明『生きる』を見た。
“生きる”というのは、“仕事をする”ということです。あなたは“ためになる”仕事をしていますか?働け。といった映画でしたね。

主人公は役所でお役所仕事をして無為に日々を費やしていましたが、末期の胃癌を患い、それまでの生き方を後悔し、小さな公園を作るために奮闘する、というお話。
奮闘すると書いたものの、作中奮闘する場面はあまり描かれず、主人公の葬儀の場で仕事仲間が断片的に回想するだけです。
ていうか、ご遺族の前で、渡辺君は頑張っただの頑張ってないだのスタンドプレーだっただの、よくまあ盛り上がれるな。ご遺族がほぼノーリアクションなのも、不思議な感じ。

映画の尺を割いて描かれているのは、余命幾許もないと知り、自分は何も成し遂げていないと気付いた主人公の煩悶です。
夜の街で酒を飲んだり、パチンコを打ったり、キャバレーで戯れたり、元部下の若い女の子と街遊びに興じたりと、彷徨い続けます。
濡れた犬みたいな主人公のアップがとにかく多い。

主人公の葬儀の場では、渡辺君を見習おうと仕事仲間たちは奮起するのですが、その翌日からはいつもと変わらぬお役所仕事で、といったところで映画は終わります。

“働く”“生きる”といったことは、分かっていても難易度の高いことよねーって感じでした。

『ベルリン・天使の詩』を見た。
1987年、壁に囲われていた頃の西ベルリン。この2年後に壁は崩壊するが、登場人物も制作者もまだ誰もそれを知らない。
俗っぽい説明をすると、サーカスの空中ブランコ乗りに恋をした天使が、天使を止めて人間になる話。
見てて天使視点の映像は重力がないのが分かる。凄い!

子供はなんとなく天使が見えてるっぽい。大人は天使の存在を感知できない。
天使が見守る人間の世界は、不和を抱え不満を抱き絶望し病み失業し自殺をする。天使は寄り添うことしかできない。
そういった草臥れ果てた人間の世界を、重力があり体温があり色彩があり触覚のある人間の世界を、天使は憧れる。
“子供が子供だった頃”という詩がいくども繰り返されていて、天使≠子供なのかしらね。天使を辞めて人間になる、子供を辞めていずれ草臥れた大人になる。それをどちらかと言うと、肯定している感じ。
元天使が何人もいることも提示されていて、大人もかつて子供≠天使だったことも示していると思う。

映画『正義の行方』を見た。
再審無罪判決が出た足利事件と同じくDNA鑑定の証拠能力に疑義が呈されている、飯塚事件のドキュメンタリー。被告人の死刑がすでに執行されていて、ただいま再審請求中。警察・弁護士・地元紙の視点の3部構成。
題名、「真実の行方」じゃなくて「正義の行方」なんだよね。

何もかもが「かもしれない」で構成されていて、真実は藪の中。あまりに前提すぎてあまり触れられていないけれど、確実なのは犠牲者が2人(3人かもしれない)いるというクソみたいな事実だけ。

で、地元の話なのに全く知らなかったという反省と、地元の話なので出てくる人がわたしと同じ言葉で話しとるなという衝撃と、もしかして30年間風景が変わっとらんのかという感慨と。

『ゴジラxコング 新たなる帝国』を見た。
CGがかなり雑なのですが、話もかなり雑なので、こんなもんでいいと思います。前半のほうのCGがしょぼいのも、いい判断だと思います。アメリカの映画なのに、お昼の場面が多かったのも良かったです。
怪獣の動きがまるっきり人間なのは、趣味じゃないです。

で、ですね、「怪獣物と言えば、南の島と土人の摩訶不思議文化だよね!」と言わんばかりに、その要素をストレートに全面に押し出すのは如何なものかと思います。新世紀になって四半世紀が経ってるんですよ。素朴で粗野な悪いほうの昭和を感じた。

『オッペンハイマー』を見た。
台詞と映像がちょっと観念的なので、いまいち意味が掴めん。

法廷劇パートとプロジェクトXパートの二本立ての構成で、法廷劇パートは黒幕が誰かで話を牽引してる要素もあるのですが、見てるわたしとしては無茶苦茶どうでもいいなと思って見てました。
黒幕の人の主観はモノクロで、オッピーの主観はカラーなのですが、この映像の切り分けの効果も、わたしにはちょっと分かんなかったです。
黒幕の人の顔が津島雄二に似ていて、画面に出てくるたびに、個人的にちょっと嬉しかったです。

プロジェクトXパートは、実験や投下に成功したら、やっぱり拍手と歓声が上がるんだなあと、ぐぎぎとなりました。

作中ずっとすごくオッピーが責められているのは分かるのですが、何を責められているのか、なんかちょっとよう分からんかったです。

監督の人は、人の上に原爆が落ちたことよりも、原爆がこの世に生まれたことそのもののほうを問題視してるのかなあ、とうっすら思いました。
それもまた、観念的ですよね。

『異人たち』を見た。原作未読・未視聴。
主人公の話し方がなんかネチャッとしてるし、始終じっとり嫌な感じで怖かった。
最後、主要なところはちゃんとネタバラシしてくれて終わるので、見てる最中の違和感とか不安感はちゃんと作者の意図通りだったんだと安心できます。

『ゴールデンカムイ』を見た。原作未読。
北海道の雪原を遠景でたっぷり見られて嬉しい。欲を言えば、登場人物が豆粒になるぐらいカメラを引いて欲しかった。
ダイヤモンドダストがきれいだった。
夜のシーンは雪あかりで視認性が高くて良かった。
セリフとBGMとスローモーションの使い方が説明的過ぎて、そこはあんまり好みじゃなかった。
鶴見中尉の人は声が良くて良かったです。

『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』を見た。原作未読。
舞台は全国大会で、ゴミ捨て場ではなかったな。ハレ舞台だ。
試合最中にガツガツ会話や回想が入るので、そのたびにブツブツ流れが途切れて、邪魔だった。せっかく面白そうな試合をしてるのに、試合を見せて欲しかった。

アニメーションとしては、寄りの映像が多く、ボールの鋭さや重さは伝わってくるのですが、コートの中で人やボールがどう動いているのかよく分からず、もう少し全体的な流れを見せて欲しかった。
第三セット終盤の主観映像はとても良かった、あれ良かったよね。

『カラオケ行こ!』を見た。
作中に「きれいなものしか許されへんかったら、この街全滅や」というセリフがあるのですが、まあそういう話しですよね。
巻き戻せないビデオデッキ、一度しか視聴できない映画というアイテムも示唆的。
正しいだけでは救われず、正しくなさに救われるという話なのですが、まさにその正しくなさ故に、この話に萌える素養はあっても楽しむ素養がわたしにはないなあ、と思いました。
良くないものは、良くないんですよ。

ちなみにネタバレすると、映画は巻き戻せます。

『千年女優』を見た。
テレビドラマが興隆する60年代頃に引退した映画女優の話。
ドキュメンタリーという設定で、主人公の過去出演作品を切り貼りし、主人公の前半生を再構築しています。
これを全て虚構のアニメで作る意味とは何なんだろかと思いますが、アニメでなければ困難な作りであるのも確か。

で、この作品では、女優とは若く美しい呪いを掛けられた存在であると規定しています。
映画はたかだか100年ちょっとの歴史しかないメディアです。それに千年という題名を冠する意味ですが、エンディングの歌詞がそれを示唆しているのかなと思います。
一度フィルムを上映すれば、そこにあるのは永遠に若く美しい黄金の時代の姿なんですよ。
平沢進のサウンドはBGMにするにはちょっと強すぎるなと感じるのですが、エンディングでザーッと昇華されました。
で、これはさ、全て虚構のアニメなんですよね。

『千年女優』は呪いをも強固なエゴの燃料として宇宙の彼方へ旅立つので、かなりの力技やなあと思いました。
呪い・祝福・魔法を女優に掛けるのは、たぶんファンという存在ですよね。女優とファンの共犯関係を、わたしはこの作品に見たのかなと思いました。

『窓ぎわのトットちゃん』を見た。
戦中の東京のアッパーミドルの生活!洋風の赤い屋根瓦の家、花柄の壁紙、ステンドグラス、ちょっとした窓枠の意匠、トースター、冷蔵庫、卵、家風呂、ペットの洋犬、刺繍付き白い襟の洋服、バイオリン!
と、原作の言語外のものが、ふんだんに描かれていました。

物語は1940年から1945年の五年間。戦争によって理想的な生活がじわじわと侵食される様が描かれています。と同時に、子供の目に映る世界は奪われてもなお美しいとも。
この話だけ見ると1941年に戦争始めたみたいな印象になりがちで、そこんとこは留意が必要ですね。生活の実感としてはそうであっても。

作画はアクが強く、個人的には成功してるとは言い難いなあ、と思いました。かじかんで赤らむ指先、白い吐息、夏の暑さで脇と背中にできる汗染みと、身体的の表現が強いだけに、成長しない漫画の身体というものも気になってしまって。
あと、あくまで視点はトットちゃん視点で固定して欲しかったかと。

『天使のたまご』を見た。
天野喜孝の絵が動いてる。線の細っい、線の多いしちめんどうくさい絵を、よくぞアニメで(FSSや吸血鬼ハンターDのアニメにも同じこと思ったな)。
あまり色彩のない暗い画面、起伏のない音楽、ほぼセリフのない作劇と、全ての要素が眠りに誘ってきます。

ええと、お話としては、「夢から醒めるまでは、それが夢の中かどうか分からない」「卵の殻を割らなければ、卵の中身は分からない」とか、そんな感じのお話だと思います。
永遠の少女が彷徨う夢の中は、水に浸された、陽の差さない、生命の気配のない、廃墟の街で、どうしよもうなく終わっており。
卵の殻を割ったとて、外の世界も果てしない荒野が広がり、夢から醒めたとて詰まらない化石の列に加わるだけで。こんなことなら、無精卵を増やし続ける不毛な夢を見たままでいたかった、と思わんこともないです。

ぶっちゃけ破瓜の話だと思うんですが、夢を見たままにしろ、夢から醒めるにしろ、どちらも惨いことのように描いていたと思います。
ノアの方舟云々とか、帰らなかった鳥云々とかは、よう分からん。
ん卵の中には何が入ってたんでしょうね。

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を見た。
良かった。けれど、舞台を夏にするのならば、背広は脱いで欲しいし、手拭いと扇子を持ってて欲しいし、寝る時は蚊帳を吊って欲しい。蝉の季節に蛍を飛ばすな。

ええと、うん、『総員玉砕せよ!』のその後の話で、その後の話として考えると終わってないんだよな。
シリーズ物の番外編で、枠物語の構造を取っていて、枠の中のその後は示唆されているけれど、枠の外のその後は描かれないので、もやもやする。
補完しないと、これ単体では良かったという気持ちで終われないというか、とても良かっただけに空白が大きすぎる。
話の元凶が分かりやすく平板に下衆だったので、そこはつまんないなあと思いました。いや、そこに凝ると話の収拾が付かなくなるので、そこんとこ切って捨てるのは正解だと思うのですが、話が良かっただけに、やっぱりつまんない。
『総員玉砕せよ!』を引っ張ってきてるのに、勿体ない。

『ゴジラ-1.0』を見た。
終戦直後のいかにもな湿っぽい人間ドラマがかったるいのですが、ひよひよした髪型の博士がわりと出ずっぱりなので、かったるさは緩和されています。
丸めた説明をすると、戦争帰りの男がゴジラのおかげでスッキリする話なのですが、いやさ、そこはさ、スッキリしちゃダメなんじゃないかな。

高層化するビルに合わせて訳の分からんサイズになっていたゴジラですが、舞台を1946年(だよね?)とすることで、ギリギリ人間と目の合う大きさとなっており、そこはとても良かったです。
しかし、見せたい絵を優先するあまり、ゴジラの動きが生き物として意味の分からない動きになっていました。

伊福部昭の、いわゆるゴジラマーチが、人間側の行動ターンで流れてるのは、良かったです。
ゴジラが、お日様の出てる時間帯で暴れてるのも、良かったです。
VFXのクオリティは高く総体的にはまあ良かったんじゃないのといった感じですが、根本的な価値観が合わない感じでした。

『くるりのえいが』を見た。
わたしはくるりのことを知らないので、知らない人が知らないことをしている映画でした。
知らないおじさんたちがキャラキャラコロコロ戯れているのを、ほけーっと眺めてるだけで終わってしまった。
「ばらのはなをどうやって作ったか覚えてへん」という言葉で始まるこのドキュメント、初っ端に「くるりは3人で音楽を作るバンド」という自己規定をビシッと置いてくれてたのは助かったのですが、それ以外の説明がほぼなくてな。
自己言及のみで構成されているので、輪郭線も分からない。
「ばらのはな」をどうやって作ったか思い出すことが、この作品のテーゼだとは思うのだけれど、だけれど。その意義がわたしには分からないままで。
ええと、おじさんが戯れてました。おじさんが戯れていることに、そこに本義があるのかな。

『1.4BILLION』を見た。
参議院議員の浅尾慶一郎氏のドキュメンタリー映画。

「みんなの党」最後の党首という触れ込みで始まるものの、みんな党時代のエピソードはほとんど語られず、2022年の参議院選にひたすらフォーカスしていきます。
出てくる人の名前と肩書きがテロップで出てくるのはいいのですが、あまりんが衆議院議員なのは知ってるから党とかの役職も出せよ、と思いました。
神奈川の選挙なので、あまりんやタローさんやシンジローさんはたくさん出てくるのですが、すがっちは出てこなかったな。

で、ええと、これは、浅尾先生のプロモーションビデオですね。
絵の作り方や編集のテンポ、ナレーションの質感やBGMが社内PRビデオのそれでしたね。いやあ、クソつまんなかった!
ビラ配りの場面とか、受け取ってくれる場面ばっかり採用してたしな。

事務所開きで神棚を設えて神主さんを招いて祝詞を上げてたり、パネリストとして日本の国防について語る島耕作の弘兼先生だったり、「天を仰いで演説を続ける小泉氏」というテロップだったりと、面白ポイントもちょいちょいはありました。
ていうか、弘兼先生、新進党立ち上げ時の面接官だったの?!

『アンダーカレント』を見た。原作既読。
邦画みたいな漫画を実写映画化すると、邦画になりますね。アンビエントな感じでした。
わたしは原作の、邦画のようでありつつも邦画からはみ出したあっけらかんとしたところが好きだったのですが、真面目に映画化すると邦画に収まるよなと、納得感。

『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』を見た。
何気にタートルズ見るの初めてだ。
高畑勲が『ホーホケキョ となりの山田くん』でアニメーションに手書きの良さを取り戻そうとしたように、絵の作り方としてはそういうアプローチのアニメでした。ただ、わざと形を歪ませているところがあるので、少し疲れました。
物語の舞台が夜と下水道なので、画面が暗い!

傷付いて欲しくなくてガチガチに息子の生活を縛ってる父親と、家の外に出て高校生活を謳歌したい息子のお話で、父親は悪しき鏡を得て改心して、めでたしめでたしといった感じでした。

10月1日
『ロスト・キング 500年越しの運命』を見た。
題名、もう少しなんとかならんかったのか。

川に流されたとされていたリチャード3世の遺体が発掘されるという、歴史書を書き換える発見が2012年にあったじゃないですか。発掘者はアマチュア歴史家だということでも話題になった。それの映画化です。

リチャード3世の遺体が発見される、という結末が分かっているので耐えられるのですが、これもしアタリを引き当てなかったらと考えると、とても怖くて怖くて。
主人公はリチャード3世に入れ込んで、この映画の設定では仕事も辞めて研究に没頭し、大学での講義にも抗議します。
いろいろあってリチャード3世の遺体を発見できて良かったね、では終わらず、発見の功績は横取りされそうになるわ、本来の目的であるリチャード3世の名誉回復には至らないわ、これからもいろいろ大変そう、というところで映画は終わります。
これもまあ、ある程度結末を知ってるから耐えられる終わり方でした。

10月1日
『ストールンプリンセス:キーウの王女とルスラン』を見た。
原作はプーシキンになるのかしら。スラブ民族の民話の本が欲しいなあ。

悪い魔法使いに攫われたお姫様を助けに行く話で、何ら捻ったところも新しいところもないので、スルスルと話についていけます。お姫様が元気でよろしい。
作中で提示される問題は話を進めるためだけに存在し、話が終わっても何一つ解決していません。問題を提起しようとかそういう作品ではないので、めでたしめでたしでいいのかなあ。うーん、いいのかなあ。
試練も何かもあっさりしていて、無用なストレスはないです。

絵は、スマホのアプリゲームの広告のツルツル動くカラフルな3DCGアニメがずっと続いてる感じで、個人的には疲れました。

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