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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「フランシス・マコンバーの短い幸福な生涯」読了。
登場人物は、資産しか取り柄のない臆病な夫と、失われつつある若さと美しさしか取り柄のない妻と、案内・指南役として雇われたハンターの三人。
三人が三人ともお互いを軽蔑していて、じわじわ嫌な話だった。

アフリカに狩猟旅行に来た夫婦と、案内役のハンター。表面上は和やかに過ごしている。ライオンに怯え逃げ出した夫を見下げた妻は、ハンターと不貞を働く。夫は不貞に気付くが何も言えない。翌日、夫は克己し水牛を追い撃つが、妻に撃ち殺される。
事故か事件か。わたしは事故だと思うのですが、作中のハンターは「なかなかえらいことをやりましたな」とか言うんですよ。「もちろん、これは事故です」とも。何もかも分かってますよ、といった調子で。ちくしょうめ。それに対して妻は「やめて、やめて」と繰り返すばかりで。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「キリマンジャロの雪」読了。

“キリマンジャロは、高さ一九、七一〇フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で、“神の家(ヌガイエ・ヌガイ)と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めて来たのか、今まで誰も説明したものがいない。”

アフリカへ狩猟旅行に来た作家は、ちょっとした掻き傷が元で壊疽を起こし、死の床についていた。そこで自分の人生を回想する。

冒頭のエピグラフが最高!完璧!美しい!この孤高さよ!もう、これ、エピグラフだけでいいよ!

エピグラフと本文の落差が甚だしい。いやあ、でたん読みづらかった。
本文は、作家の現状と、作家の回想とせん妄、そこからの作家の小説の構想が綯交ぜとなっており、今何を読んでいるのかすぐに分からなくなる。この混乱は意図的なものだと思う。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「世の光」読了。
獣皮とタン皮と鋸屑の臭いがする町の酒場で、娼婦たち駄弁っている猥雑な話。会ったことも見たこともない拳闘士を褒め称え夢を語る。
とりあえず当面を生きるに当たって、アイドル的なものが要るって話なのかなあ?

“「あの人は、“アリス、おまえはかわいい女だよ” って言ったわ。そっくりそのとおりに言ったのよ」”
“「あたしの思い出をそっとしといてちょうだい」とオキシフル金髪は言った。「あたいのほんとにすばらしい思い出をさ」”

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「清潔な明るい場所」読了。
あんまりまとまってはいない感じだけど、虚無の気分はよく掬い取れてる感じ。
“ベッドに横になり、やがて、明るくなってきたら、眠ることにしよう。”

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「アルプスの牧歌」読了。
わ、わけの分からん話だ。ひたすら悪趣味で胸糞悪い。なんじゃ、こりゃ。
春のオーストリアの山でスキーするところが導入で、そこから宿で地元の話を聞くことになる、という流れなんだけど。これ書いて何がしたかったの?

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「白い象のような丘」読了。
よく晴れたスペイン南部の見晴らしのいい駅の横の酒場のテラス席で、アメリカ人の男女がビールなどの酒を飲み、手術をするだのしないだのと会話をしている話。
ビールが美味しそう。

野坂昭如は「男と女のあいだには/深くて暗い河がある」(『黒の舟唄』作詞:能吉利人/作曲:桜井順)と、酔いどれてドブ川の風情で男と女の関係を歌ったのですが、ヘミングウェイは光に溢れる景色の中で白々と男と女の関係を書くのだなあ、と思った。
野坂昭如のほうは「誰も渡れぬ 河なれど
/エンヤコラ今夜も 舟を出す」と歌うのですが、ヘミングウェイのほうはそんな歩み寄りなんかなくて、女に 「あたし、別にどうもしちゃいないわ。いい気分よ」と言わせるんですね。胸糞悪い。

それはそれとして、ビール美味しそう。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「異国にて」読了。
治療のため病院に通う傷病兵の交流。米兵がイタリアにいるので、二次大戦時かな。勲章の内容によって壁ができたりできなかったりするが、一緒にカフェには行く。
手が萎縮した元フェンシング選手の少佐は、遠く郷里で妻が病没したことを嘆く。

負傷したことに関しては特にこれいった感情が書かれていないので、妙な離人症感や浮遊感がある。そんな中で、最後に唐突に挿入される、妻を亡くした少佐の嘆きが静寂を破って響く。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「殺し屋」読了。
簡易食堂に二人組のヒットマンが訪れるが、対象者は現れず、ヒットマンは去る。ヒットマンと店員の、長閑で緊迫感のあるやりとりを味わう話。
「あの人は来ませんね」
「もう十分待ってみよう」
「もう五分待ってみよう」

ヒットマンが去った後が味わい深くて、店員さんが対象者に「あんた狙われてますよ」と忠告に行くのですが、対象者はずっと壁を見たまま「ここを出ていく決心がつかない」と言うんですね。
後を尾けられたり、口止めとかないんだなあ、と随分と牧歌的な話だなあと思いました。なんか変な感じ。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「事の終り』読了。
静かで穏やかな話。
一緒にマス釣りをし焚き火を囲み月を見て、男は彼女に「きみといても、もう楽しくない」と別れを切り出し、別れる。
「おれの内部で、何もかもだめになっちゃった感じなんだ。ねえ、マージ、おれ自身にもわからないんだよ」

「きみといても、もう楽しくない」の前に、「きみはなんでも知ってるんだね」「おれはきみにいろんなことを教えてやったよ」とか言っていて、くそうといった感じなのですが、わたしは男がどういう感情を持っていれば納得したんだろう。
うまくいってるのにだめになった時、どうすればいいんだろうか。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「二つの心臓を持つ大川」(その一)(その二)読了。
いいタイトルだなあ。マス釣り一人キャンプ。焚き火とコーヒー。
とにかく描写が細かい。周囲の自然や主人公の一挙手一投足を、細々と淡々と追っていく、それだけの話。
それだけなんですが、「釣り楽しい」という感情が抑えていても伝わってくる。

“「ちくしょう」とニックは言った。「ちくしょう、うめえぞ」と彼はしあわせそうに言った。」” とかいった文章のざっかけなさが、堪らんですね。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「エリオット夫妻」読了。
あ、悪趣味な話だなあ。
25歳の潔癖症の男と40歳のたぶん行き遅れの女が結婚するが、夫は仕事に没頭し、妻は女友達と泣いて寝て、3人は幸せに暮らしました。
皮肉気に滑稽さを滲ませて書いていて、あんまり人を笑ってくれるな。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「たいへん短い話」読了。
ほんの3頁半の、本当に短い話。結婚まで決意した後男女が、遠距離恋愛に失敗する話。人間は物質でできているので、距離が開くと、身体的接触がなくなると、そんなものよね。突き放した感じの話ですね。

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ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「北の方ミシガン州にて」読了。
うわあ、同意のない性行為だー、さいあくう。男と狩りと酒の組み合わせ、男たちの浪漫たっぷりで、さいあくう。
書かれてあることに価値判断を加えていない文章だけれど、それを書くと決めたことに何らかの価値判断はあると思う。

小川哲『ゲームの王国』読了。
これ、感想か難しい。自分なりの再解釈・再構築が難しい。
上巻は1975年のクメール・ルージュ。下巻は半世紀飛んで2023年(近未来)での、脳波を使ったオンライン対戦ゲームの開発。
お話としては、ボーイ・ミーツ・ガール。一瞬しか邂逅しないけれども。

ゲームとルール、記憶と物語、なんかそこら辺がキーワードだと思うのだけれども。
ルール、みんながルールを守れば、幸せになれる。ゲームは構造的にルールの逸脱を許さない。
現実は、ルールを守らない者、ルールの裏をかく者、ルールの解釈が違う者が混在している。
記憶、記憶はあったことをそのまま記録していない。抽象化された概念が記憶され、それら概念が思い出として再構築される。概念が再構築されたものは、物語とも呼ばれるかもしれない。
同じ概念でも、人によって再構築される物語は異なる。大枠は同じでも細部に差異は生じている。
繰り返し思い出された記憶は物語として固定化される。物語化された記憶は、他人との共有も可能になる。
ロン・ノル政権下では、ルールがなかった。ポル・ポト政権下ではルールが徹底された。国民議会体制下ではルールはあるが、守られていない。

で、この『ゲームの王国』はどういう物語なんだろうか。

『たくさんのふしぎ』2023年10月号「いろいろ色のはじまり」読了。
とても勉強になった。顔料と染料の歴史がすっきり分かる。気持ちいい。
載っている色の作り方は、青・緑・赤・黄色・紫(白・黒・茶色と、コチニール色素の作り方の記事も欲しかった!)。
プルシアンブルーの作り方が載ってたけれど、何をどうしたら、あの作り方に辿り着いたのかしらね。
色の本なので、フルカラーでありがたい。

村上春樹『1973年のピンボール』読了。
前作(風の歌を聴け)より若干ファンタジー度が上がってる感じた所為か、前作よりは肌馴染みが良い。とは言っても、相変わらず書かれている言葉はわたしの表面を滑っていって、話を読めてはいないのだけれども。

とにかくイメージの断片が散りばめられていて、それが絵になっているような、いないような。いや、なってないな、たぶん。手持ちのイメージの手数が多くて、羨ましい。
風景の描写が、明るい静かな夜みたいな感じで良かったです(人間が出てこなければいいのになあ、みたいなことも思った)。

プリーモ・レーヴィ『休戦』読了。
ソ連による絶滅収容所解放後、ユダヤ系イタリア人の作者が東へ東へ移送され、イタリアに帰国するまでの9ヶ月を書いた本。
終戦直後の混乱期の話はほとんど知らないので、この本を紹介してもらって良かった。

作者が見たもの、出会った人、感じたことを余すことなく書いて残しておこうとしているかの、記述が非常に細かい。ていうか、観察力と記憶力がすごいな。
書かれている物事は具体的なんだけど、書き方は比喩が多くて観念的。
びったり付いてる脚註での、固有名詞や符牒の解説は非常に助かりました。
脚注、とても助かったけれども、表現や内容の解釈にまで立ち入るのは如何なものかと思います。

登場人物のキャラクターが立っていて、スラップスティック・コメディ的な場面もちょくちょくあって、読んでいて面白かった。

『ナグ・ハマディ文書抄』(岩波文庫)読了。
(o゚▽゚)oグノーシス! (o゚▽゚)oグノーシス!
読んだというか、眺めたというか。
ナグ・ハマディ文書からグノーシス主義の文書を選り抜いて収録したものとなります。補註や解説が細やかで、わたしのような門外漢には助かりました。

イエスが「人間に喰われる獅子は幸いである。そうすれば、獅子が人間になる。そして、獅子に喰われる人間は忌わしい。そうすれば、人間が獅子になるであろう」(『トマスによる福音書』より)とか正典にないこと言っていて、わー、外典だ、外典だ!となりました。
『ヨハネのアポクリュフォン』は設定が凝ってて凄かった。

この世界が不完全なのは、不完全な存在に作られたからだ、とするグノーシス主義の考え方はシンプルですっきりとするけれど、現世の否定だから虚無なんだよなーとか思ったりしてます。欣求浄土厭離穢土。

ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』読了。イタリアの短編集。
明るい諦観を滲ませた飄々とした諧謔。「なんか嫌だな」という微妙な感じ。
「悪とは弱さから生じる一切である」というニーチェの言葉がありますが、これはその弱さを、文学にもならない微々たる弱さを許容した作品群だと思います。
文章に凝った感じがないのがいいと思いました。
例えば、“見たところ四十そこそこのその男は、文字どおり輝くばかりに美しい、シンプルで非の打ちどころのないスーツを着ていた。”(「呪われた背広」より)という一文なのですが、表現を削ぎ落としていて、必要な情報がバッチリ伝わってきて、いいと思うのです。

んでまあ、あれですね、星新一っぽい。
星新一の作品には異星人とロボットがいるけど、ブッツァーティの作品には神と聖人がおわします。
なんかまあ、疲れた時に読むのがいいと思います。読んでも特に元気にはならないけれど。味としては、薄甘い感じです。

呉座勇一『戦争の日本中世史』読了。
元寇から応仁の乱までのおよその300年の武士の在り方を取り扱った本。
階級闘争史観への反駁が強くて読んでて気が散るのですが、そもそもがそういうコンセプトの本なので致し方なく。
時事ネタを多用してフランクに分かりやすく書いてくれています(2014年発行)。
あんまりパキッとしていなくてもやんもやんとした読み心地の本なのですが、歴史の実情というのはさほど痛快なものではなく泥縄でもやもやしたものですよ、というのがおそらく伝えたいことなので、もやんもやんとした読み心地なのも致し方なく。
読んでて見えてくるのは、状況に流されて自分の意志で選べる選択肢はさほどなく、いつの時代も生きるのに懸命な武士の姿でした。

個人的には、尊氏と直義の兄弟は仲が良いと書いてくださっていたのが嬉しかったです(ああっ、観応の擾乱!!)
で、これまた個人的な感想ですが、新書の「応仁の乱」よりこっちの本のほうが、乱のことが分かりやすかったです。この本読んで分かるのは乱の前景ぐらいで、過程とかはやっぱりよく分からないのですが。新書のほうで分かったの、乱の当時の奈良のお坊様の生活だったものな。

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