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『ノーマル・ピープル』著/サリー・ルーニー 訳/山﨑まどか 


離れようとしても離れられないふたりの男女の、高校から大学まで4年間を切れ切れに描く。スライス・オブ・ライフ、切れぎれのシーンを繋げた映画のような、独特の雰囲気をもつ小説だった。

傷つきやすく見栄っ張りで、誰かを必要としているけれどだれにも頼れない、孤独で普通な人たちが、繋がったり離れたりしながら、ちっちゃい痛みに満ちた毎日をなんとかやり過ごしていく。

マリアンは最初からずっと助けを求めているような女の子だったのに、コネルがちっともどうにかしようとしないので、読書中のメモには「コネルがクソ!クソ野郎!」と残されている。落ち着け。なお少なくともコネル以上のクソ野郎が複数名いるため作中クソ野郎ランキング的には下位だし、18歳かそこらの普通の男の子に誰かを助けることを求めるのは酷だ。

若者が主人公を読むと、私はどうしても昔の自分思い出してしまう。この小説は特にそうだった。今より若くて何も変えられず誰も助けられず、居場所を作る方法も知らない「普通の人」だった昔の自分(まぁ…今でも知らんけど…)が、ちょっとだけ慰められるような気がした。

『ジョン・ウィック』監督/チャド・スタエルスキ 


伝説の殺し屋が愛犬と愛車を奪われてマフィアに復讐する話。冒頭30分で上記の説明を終えたあとはひたすらガン・アクションが続く最高にヒャッハーでラブリーな映画だった。なんて良い日だ。

いやしかし、しゃーないわ。そら殺られるわ。あんな愛らしいワンコ(しかもジャックラッセルテリア!マスクやん!)を惨殺した者には当然の報いだわ。あのアホボン息子の命の値段はおいくら万円だったのでしょうね。

あとは殺し屋御用達ホテルが素敵好きた。あの場所をめぐって二次創作が捗りそうだし、受付も支配人も「良」い。ただし女性と黒人俳優の扱いについてはまぁ…ウン…ってかんじだった。

シーズン4がもうすぐ公開らしいけど、犬がしあわせに暮らしていたらいいな…。真っ黒いわんわん、地獄の番犬みたいでよかったけど、キアヌに安息の日は訪れるんだろうか…。

『あなたの教室』著/レティシア・コロンバニ、訳/斎藤可津子 


これは本当に現代のはなし???
いまもまだ起こっているの???
まじで???

インド南方の海辺の街に旅行に来ていたフランス人女性が、街の貧しい子どもたちのために学校を作る話…と、あらすじはこれで終わっちゃうんだけど、少女たちが10歳やそこらで結婚させられたり、生理用品がなくて学校に通えなかったり、性暴力に対抗するため自警団を作ったり…半日あれば読み切れるような薄い本なのにどっとつかれた。

ところでインド映画『RRR』が熱いけど、『バーフバリ』では闘う女性を描いた監督がなぜ「男同士の結束」の物語にしたのか、女性の影がうっっっすいのか、理解できた気がした。あれってナショナリズムの映画だもんなあ。
ナショナリズムが男性の結束の映画になるのは、インドの女性たちは国の制度や法律から護られてないからだとおもった。女性は国から見捨てられ、強固な家父長制のもとで物品のように交換される。

だから女性は、時に途切れてしまうか細い繋がりで対抗するしかない。この本はそんな弱い団結を描いている。あまりに理想的すぎる気もする。でも、夢見ることからしか始まらない。そして人間の想像したものは必ず実現できる。すべての女の子はいつか凧みたいに舞いあがる。

『黒牢城』著/米澤穂信 


中盤の「城の頂点に立つ人間の心情を理解する者は地下牢に閉じ込められた者のみ」って展開にたぎった。でももしかしてだけど、著者がエモみの本領を発揮してるのは現代小説でじゃないかって気がずっとしてたので、別な現代小説も読んでみたい。

時代劇は好きだし『麒麟がくる』も観ていたのだけど、歴史上の人物の名前も史実も全然覚えてないもんだから、なにもかも新鮮な気持ちでオチまで読んでしまった。ただ松永弾正が「茶器抱いて爆死した人」ってことだけは覚えていたので、名前が登場するたびにずっと吉田鋼太郎の顔がチラチラしていた。


『コンスタンティン』(2005年)
監督/フランシス・ローレンス

アマプラのジャンル区分が「ホラー」だったのだけど、ホラーだったの?ファンタジーと違う?
アメリカのホラーはすぐ顔に虫とか湧くけど、その観点ではホラーだったと思う。

風呂場で地獄に行くのと、サランラップの芯で十字架鉄砲作るのと、「父と子と聖霊の御名において…!」ってやつ、皆真似したやろ。小道具や設定に私の内なる中学二年生がざわめいていた。

総じて面白かったんだけど、助手の子かわいそすぎひんか。主人公の役にも立ってたし、助手として今後の成長が期待されるものだとおもっていた。助手の子がかわいそすぎて、後の展開も全部「助手の子かわいそう」に負けた。

あ。堕天使の人?は美しくて素敵だった。ルシファーも好き。
でもちょっとだけ「デビルマンだ!」って思ってた。

なにはともあれ、チェンソーマンのOPでオマージュされた個所が特定できて満足です。


『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』
著/カロリン・エムケ
訳/浅井晶子

ドイツで2016年に出版された本だけど、今の日本がようやく議論し始めた議題のほとんどが取り上げられていた。「女性」「宗教(※ISの話)」「移民」「トランスジェンダー」etc...

平易な言葉で書かれているけれど、決して易しい本ではないと思う。この本がベストセラーになったというドイツが心底羨ましい。日本の議論は周回遅れなんだなと改めて感じた。それでもここから始めるしかない。

均一な民衆、真の宗教、自然な家族、適切な文化。一義的な価値観は「そうではないもの=不純なもの」への憎悪を焚きつける。憎しみに抗っていくために、不純な世界を生きる『我々』は世界の多様性を信じて発信していこうというメッセージが凄く響いた。

図書館で借りた本なのでゆっくり読めなかったのが残念。でも翻訳書は高いから気軽に手が出ない。文庫、出ないかなぁ…。


『ハケンアニメ!』(2022年)
監督/吉野耕平

聞いたことのある台詞、見覚えのある演出、オタク心をうまくくすぐる楽しい映画だった。

とはいえですよー。

2022年の映画化なら、アニメ制作現場の低賃金・過重労働問題には触れてほしかったし、作品への情熱を描くなら情熱を維持するための仕組みが今どれほど危機的状況かについても語られてほしかった。作中の難題が全部気合で解決されたのでズコーーーとなった。

あと、中盤の舞台挨拶のシーンだけ異様に情熱をもたない「普通の人」にきびしくて、司会の人がかわいそうだった。女性メインのお仕事映画で「女の敵は女」みたいなことはやめて〜〜〜と胃がしくしくした。それこそ2022年の映画化なら男性司会者でもよかったとおもうので…。

そこ以外は男女比やパワーバランスに気を配って作られていて今時だなと感じたけど、実際現場はどうなんだろう。映画や舞台で起こっているハラスメントの問題はアニメ業界では起こってないんだろうか。

消費者としては2時間楽しませてくれたらそれで元はとれるけど、それだけでいいのか…いやだめだろ…僕たちは絶対大丈夫じゃないんだわ…とおもった。

とりあえず適切なおちんぎんが支払われてほしい。話はそれからだ。


『姫とホモソーシャル』
著/鷲谷 花

マッドマックスに宝塚を幻視し、バーフバリを母親の要求を代行する家父長制として読み解く最初の章が面白すぎた。バスの中でニヤニヤしながらよんだ。あと私も宝塚を観てみたくなった。

黒澤明は男ばっかりな話が多いけれど、見ていてもあまり嫌な感じの男臭さがしなかったことを思い出し、その理由が解きほぐされていく心地がした。

タランティーノ映画は女性の描き方が独特で、何かしらのフェチズムは感じる(特に足)し問題意識もあるんだろうなとは思っていたけど、フェミニズムの文脈からの見方がとても刺激だった。

その他ハウル、ナウシカ、ホルス、でてきた作品全部もう一度見たくなった。だいたい見たことのある作品ばかりだったのに、全然異なる視野が開けて楽しかった。


『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』(2022)

こんなにエエ話と思って観てなかった…。
子供が死ぬ話がとことん駄目になっているので情緒がガタガタになった。すごく真っ当なファザーフットの話だった。

日本アニメではあまり見ないタイプの親子の話だな、とおもった。「vs毒親モノ」は増えたけど、たいてい「娘vs母親」で父親は空気のことが多いとおもってるので…ヴァンパイア・イン・ザ・ガーデンもそんなかんじだったし水星の魔女も強毒性なのは母親で毒父は死ぬし。毒親が認知されて問題視されるようになったのはありがたいけど、親のサポート薄すぎる中で責任ばっかり増やされて、そりゃ毒にもなるわと言う気持ちもあるのであんまり便利に使わないでほしい。閑話休題。

ディズニーアニメ映画へのリスペクトがありつつ、全体主義への批判要素があって世相を映しているなぁとおもった。

ラストが哀しかった。でも、誰もがああなる。
哀しいなぁ…。


『わたしが先生の「ロリータ」だったころ』
作/アリソン・ウッド
訳/服部理佳

最低最悪な本だった。特に、これが実話ということが。

17歳のアリソンが28歳の高校教師と交際していたときのエピソードが延々と綴られる。これが一昔前の少女漫画なら、教師と学生のロマンチックな恋物語にされたんだろう。著者アリソンは30代半ば、17最だったのはたしかに一昔前だがロマンチックでもなんでもないし、彼女にとって当時の痛みは一昔前ではない。

それにしても、なんて巧妙に未成年の心に取り入るんだろう。君は特別だし自分たちの関係は神聖なものだと言われて揺らがない子がいるだろうか。自分だけの秘密を大切にしない子がいるだろうか。

第三章、生き延びた著者が「あれは虐待だった」と認めていく過程がつらかった。あれは恋だった、彼は自分を愛していた、そのすべてが裏返ってゆく。別れてから何年経っても、ふとした拍子に記憶の底からあの頃の思い出が蘇る。

100分でフェミニズムのとき、上間先生が仰った「身体を使って起こったことは甘く見ない方がいい」という言葉について思う。出来事が語り直されるとき、身体は自分を裏切る。

でも、裏切らせた奴が悪い。そいつは悪い大人だ。そんな奴がこの世に存在していることを直視したい。

『モブサイコ100』

夏にアニメ1期2期を配信で一気見したあと、すぐに原作を買いに走って全巻読んだ。当たり前のことをずっと言っている作品で、それがとても好きだった。

大人がちゃんと「大人」として在ろうとしていて、子供に責任を負わせないという姿勢を最後まで貫いていたのもよかった。
あと登場人物が自分の感情を押し付けない、全員どこか一歩引いたところがある点。自他境界がはっきりしていていいなとおもった。なんかすごく「まっとう」な作品なのが好き。

構成としての面白さもさることながら、第1話にルッキズム的な描写があるんだけどその1話だけだったり(それどころか容姿を貶された当人が中盤で再登場して人柄の良さを見せるシーンがある)2012年連載開始の少年漫画にもかかわらずジェンダー感の古さを感じさせる描写がないのもすごい。

ずっと誰かに手を差し伸べる物語だった。運よくつながることもあるし空を切ることもあるけれど、それでも差し出すことをやめない話。そして「まぁ待て、話をしよう」っていう話。話せば分かり合える、それがモブサイコの世界。それってすごく優しいし、世界はそんなふうに在ってもいいとおもう。

読めばなにか大事な暖かいものを貰った気持ちになる。未来永劫読み継がれて愛されてほしい。

『ロング・ウェイ・ノース』(2015)

フランス・デンマーク合作のアニメ映画。
とてもよかったので見終えたあとしばらく「よかった…」しかいえない妖怪みたいになっていた。

前半は町並みの色彩と陰影が美しくて画面から目が離せなかったし、北極圏では流氷の軋む不気味な音が絶えず鳴っていて、いつ足元に亀裂がはしるのか、すぐとなりの氷山が崩れるのか、ずっとハラハラしていた。

キャラクターの演技が好きだったな。たとえば、2年前から不在の祖父の書斎で、開きっぱなしの本や地図を指先でなぞりながら歩いたりする。セル画時代のディズニーのような雰囲気があった。

酒屋のおばさんが与えてくれた親切や、おかあさんが示す控えめな共感に、女性描写への気配りが感じられたのもよかった。

派手なアクションやカメラ回しはないけれど、頭が良くて頑張り屋な主人公と彼女の前にあらわれる人たちが魅力的に描かれていて、見てよかったなぁ、誰かにおすすめしたいなぁ、と思える作品だった。吹き替えが有名声優陣ではなかったのも気が散らなくてよかった。

今の日本じゃ作れない作品だなと思った。漫画原作じゃないし、おたく好みの絵ではないし、派手な作画もないし、全然お金にならなさそうだから…。

『私のペンは鳥の翼』
著/アフガニスタンの女性作家たち
訳/古屋美登里

飾らない文章、まっすぐな表現で描写される爆弾や死や空腹。読み始めたとき、私はこれらの小説を幻想文学、マジック・リアリズムの作品のようだと感じた。通学路で爆弾に身体を吹き飛ばされることに怯える日常がリアルとはおもえなかったし思いたくなかった。私にとってアフガニスタンの日常は幻想文学でしかないのか…と、ちょっとばかりショックを受けた。

とにかく頻繁に人が死ぬ。書かれた時期や場所は異なるのに、爆弾が降ってきては夫や子供や友達や見知らぬ誰かを吹き飛ばす。あと、みんな常にお金に困っている。お腹を好かせている。そうじゃない話はなかったほどに。

そんな中でも、赤いブーツを履くことを自分で選んだ少女や、女手一つで子供二人を育てていく決意をした未亡人や、水路を掘った女性の話は、わたしたちにはより良い未来を選び取るだけの力があるのだと告げている。それを信じる勇気をくれる。

どうか、この物語たちが最初に書かれた言語で印刷されて、アフガニスタンで出版される日が来ますように。

Fedibird

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