ここ最近読んだものたち。
つまみ食い含む。

『「ツレ」がいるから強くなれる!バディ入門』
著/トミヤマユキコ

『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール』
著/カイ・チェン・トム 訳/野中モモ

『子どものための精神医学』
著/滝川一廣

『ポピュリズムとは何か』
著/ヤン=ヴェルナー・ミュラー 訳/板橋拓己

『傷を愛せるか』
著/宮地尚子

いろいろと読んではいたものたち。
つまみ食い含む。

『法とは何か 法思想史入門』
著/長谷部恭男

『翔ぶ女たち』
著/ 小川公代

『三淵嘉子と家庭裁判所』
著/清永聡

『外国語学習の科学-第二言語習得論とは何か-』
著/白井恭弘

『砂糖の世界史』
著/川北稔

誰もがほとんど毎日口にする「砂糖」。この白くて甘くて栄養価の高い貴重な食材は、いままでどのように作られて『世界商品』となったのかを、600年もの歴史の流れとともに描き出す。

内容的に「おもしろい」とか「好き」とか言うのはどうかと思うんだけど、凄く面白いし好きだった。岩波ジュニア新書の一冊なだけあって、使われている語彙は分かりやすく解説も平易。文体には古い児童文学のような独特な味わいがあったのもよかった。

歴史を学ぶ面白さのひとつに「教科書の出来事のひとつに過ぎなかった事柄が、今の自分の在り方につながって息づいているとわかる」があると思っているんだけど、砂糖を通じてまさにそういう体験ができる本だった。

砂糖をバナナに置き換えたら『バナナと日本人』になるのだとおもう。実は読んでないのでこっちも読みたい。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』
著/ブレイディみかこ

日本人の著者とイギリス人の配偶者とふたりの息子が、イギリスの地方都市で暮らす風景を書いた人気エッセイ、その続編。

全然そういうテーマじゃないのは百も承知で言うと、読んでる間じゅう私はずっと「いいなぁ~~~~~~!」と思っていた。政治の話がとても身近で当たり前なのが羨ましい。住民説明会で怒声が飛ぶほど活気があって羨ましい。世の中にはびこる憎悪が日本よりずっと目に見えて分かりやすい気がする。それはそれで怖いし嫌だけれど、普段から政治の話題が身近なぶん、「いつも朗らかなおともだちのお母さんがエグい差別主義者だった」みたいなことが、日本よりも起こらなさそうな気がする。都知事選のとき、鞄に「選挙にいこう!」って紙をぶらさげてただけで露骨に軽く引かれた身としては、ため息しかでてこなかった。

は~~~~~~。
いいなぁ~~~~~~。

されど時代は進み、世界は変化しつづける、日本もまた然り。

どうしたらいいんだろうなあ~?????

『エヴリデイ・ユートピア』著/クリステン・R・ゴドシー
訳/高橋璃子

そこに行けばどんな夢もかなうという。人はそれを「ユートピア」と呼んできた。人類はどんな世界を夢想し実現させてきたのか。2000年以上の歴史を展望して、現在の我々が 当たり前と思っている社会の在り方は期間限定でしかなく、未来は無限の希望に満ちているかを説く本。

帯の文句は「打倒、家父長制」である。熱い。

著者は社会主義国の研究が専門だそう。社会主義的な考え方がどんな思想のもと、どういう人達に支持されて、どんなふうに実現されてきたか、ちょっと美化しすぎでは〜と思った所はありつつも様々な例示があって面白かった。資本主義的な在り方に異を唱え、すこしでも全体主義的な社会(車や服をシェアしたり、こどもを皆で育てたり)を説けばあらゆる方面から批判を受けるのは、資本主義にとって都合がいいからだという指摘にはとても納得。また、核家族という家族の形は資本主義にとって都合が良く、そのために女子供が犠牲になっているという説明は上野千鶴子の『家父長制と資本主義』にも通じるなとおもった。

異なる世界を夢見続けるイマジネーションが世界は必ず変わる、実際人類は世界を変えてきたのだから。勇気が湧いてくる本だった。

『ここはすべての夜明けまえ』
作/間宮 改衣

肉体改造を経て死ねない身体になった「わたし」は、暇を持て余した末に家族史を記し始める。父のこと、兄と姉のこと、恋人のこと、これからのこと。

正直、前評判ほど「良い本」とはおもわなかった。身体性も名前もはく奪された永遠の少女(って年齢でもないんだけど、一人称で語られる文体がとても幼く実年齢と乖離している)が、介護や育児といったケア労働にずっと搾取され続け、しかも自分も搾取の連鎖に関わっていたことを悔やみつつ、いろいろ納得した末に筆をおく……って話なんだけども。

物語はずっとすごく淡々とすすむ。主人公はまるで心までロボットになったように、悔恨も憤怒もあらわにしない。それは自身が受けた「傷」に影響していた乖離症状かもしれないけれど本編からは読み取れない。表現や道筋はどうあれ、最終的に搾取を納得しちゃう話を『いい話』として消費するのは、どうにも気が乗らない。

ずっと家と個人のなかで完結しているのも、物語の仕掛けの一つなのだろうけれど、社会情勢や社会規範といったものは殆ど出てこず、こうあるべきといった理念も理想も描かれず、自分がした/されたことのみが取り上げられていたことに凄く違和感があった。でもまあそういう作風がウケたのかなともおもった。

『<悪の凡庸さ>を問い直す』
編/田野大輔、小野寺拓也

「凡人でも環境さえあれば大いなる悪を成しうる」程度の意味で広まってしまったアーレントの「悪の凡庸さ」という語について、アーレントはどのような意味で使ったのか、凡庸という語は適切なのか、この語の意義はまだあるのか、ドイツ史や思想史の研究者が語り合った本。

『関心領域』を見て気になっていた本だったので読めてよかった。すごく面白かった。「悪の凡庸さ」の意義やアイヒマンの実像は研究者の間で今なお議論され続けている。本来複雑で多層的な事柄は、分かりやすいキャッチーな言葉で理解してはいけない。いやいけないことはないが本質ではない。

興味深かったのが「アイヒマンは誰かと話す際は決まり文句を愛用していた」……というか、死の間際ですらそういう風にしか話せなかったという点。私は以前から、いわゆるネトウヨ的な言動ってすごくテンプレだと思っていて、皆おなじ言葉を使ってるな~と思っていたのだけれど、ちょっと似ている。一見つっかえたり言いよどんだりしないから、凄く明快にスラスラ喋っているように見えるけど、実は自分のことばを持ってない人って、最近特に増えたよなぁ、と思う。

『ぼくは6歳、紅茶プランテーションで生まれて。:スリランカ・農園労働者の現実から見えてくる不平等』
著/栗原俊輔

スリランカの紅茶プランテーション農場の歴史は、19世紀、イギリスの植民地にされたことから始まった。独立と内戦を経てもなお150年前から続く過酷な労働現場と構造的不平等、そんななかで世界は何ができるのか。

この前読んだ『マーリ・アルメイダの七つの月』のあとがきで紹介されていた本のうちの一冊。今もう一度『マーリ・アルメイダ~』を読み返したら印象が変わりそう。タイトルに「僕は6歳」とあるので、農園で暮らす6歳の男の子のルポなのかと思いきや、そうでもなく、スリランカ全土のプランテーションの状況について説明がされていた。

平易な言葉遣いで内容も分かりやすく、中学生位なら余裕で読めそうな内容になっており、字も大きくてすぐに読み切れる本。スリランカを知るための最初の一冊にはちょうどよかった。

続)

『マーリ・アルメイダの七つの月』
著/シェハン・カルナティラカ
訳/山北めぐみ

目覚めると彼は冥界にいた。マーリ・アルメイダ。戦場カメラマンで希代の好色漢でゲイでギャンブラー。<光>に向かうまでの猶予は7日間、その間に彼は自分の死の謎を解き、愛する者たちに隠された写真の在りかを伝えなければならない。その写真があれば戦争を終結に導くことができる――死者と生者の入り乱れる混沌の国を風に乗って駆け抜けながら、スリランカの内戦終結のために奔走する。

大好き。最初から最後までずっと好き。「おまえ」で語られる不思議な文体も、皮肉屋な主人公も、ヴォネガット風の愛と達観も、何もかもが好き。単行本上下巻だし馴染みのない固有名詞が山盛りでてくるしスリランカの歴史全然知らないし登場人物めちゃくちゃ多いけど、文体のグルーヴにのせられてぐいぐいと読み進めてしまった。あぁいい小説読んだなあ、Novel《新奇なもの》を体験したなぁ、という気持ち。説明したら野暮になるので読んで欲しい。

映像化されるかなぁ、いやされてほしくないなあ、あまりに奇妙だし、この小説に溢れる死者たちを映像にしたらきっと陳腐になってしまう。どうせやるなら松尾スズキ風(この人もヴォネガットの申し子である)の舞台にしてほしい。

『イラクサ』
作/アリス・マンロー
訳/小竹由美子

短編集。カナダの都市や田舎に暮らす、名もなきひとたちの人生の一瞬を切り取った映画を観たような読後感。

あれはどういうことだったのだろう、なぜ彼女は、彼は、あのときそうしたのだろう、あの光景は本当に見たものかそれとも幻影か。登場した情景のひとつひとつを、いつまでも思い出してしまうような、そういう作品たちだった。他のももっと読みたい。

作者の経歴を把握したうえで作品を読むと、似たモチーフが繰り返されていることにすぐ気づく。田舎育ち、結婚、離婚、ふたりのこども、文筆業、などなど。在り得たかもしれないもう一人の自分。当然、登場人物たち=作者ではないにせよ。二次創作をするオタクのわたしは「自分の人生で二次創作しているみたいだな」と思った(もうちょっと適切な語彙力がほしい。)

『セルリアンブルー 海が見える家』
作/T.J.クルーン
訳/金井真弓

魔法青少年担当省に勤める主人公は、ある児童保護施設を存続させるべきか否かを判断する任務を命じられる。赴任先で出会ったのは、謎多き施設長と強烈な個性をもった6人のこどもたちだった。

規則を守ることが生きがいみたいな主人公が、規則を離れて生活する中で、本当に大切にしたいものは何なのかを見つけていく。お腹の底からじんわりと温められていくような優しい物語だった。

登場人物たちは超常の力を用いて闇からの使者と戦ったり、異世界に冒険に出かけたりはしない。近所の森を散策したり、街に出かけて買い物をするだけだ。でもそれは彼らにとっては大冒険だし、今の彼らにはそれが精いっぱい。「変わったもの」である彼らに近寄ろうとする人は少ないし、視線は冷たい。
それでも、いつもと違う道を歩くことや隣にいる誰かに寄り添おうとすることで、ほんの少しの勇気を出せば、他の人もあとから続いてくれるかもしれない。これは希望の物語ではなく、そうなるはずの物語だ。

ジャンル的にはヤングアダルト(≒ジュブナイル)になるらしく、筋も本文もかなり分かりやすい。お話はよかったんだけど文体が苦手に感じたのは私が読みなれていないのが原因かもしれない。

『<公正(フェアネス)>を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』
著/朱喜哲

正義、ポリティカル・コレクトネス、合理的配慮。なんとなく「そんなの人によって価値観変わるし、誰かの正義は誰かの不正義なのでは?」と思ってしまう言葉について、ロールズの『正義論』を土台に哲学者たちの言葉遣いを紐解き、言葉の用法から問い直していく本。

本文で何度も言われるように、「これ!」という回答をくれる本ではない。異なる利害をいだく『われわれ』が共に社会を営むにあたり「会話」をとめないためには何が必要かを考えるための本だった。近頃ネットで流行る「論破しぐさ」がいかに有害かがわかるし、会話を無理やりやめる技法があると知れたのは面白かった。

平易な言葉遣いなので中学生~高校生なら十分理解できそうな議論だとおもう。自分が高校生のときはかなりアホで「正義なんてどこにもないのサ…」的な中二病を引きずっていたので、この本で過去の自分をどついてやりたいと思った。

図書館で借りたところ、汚れ防止のカバーが貼られていた&表紙と本文用紙がちょっと硬めの素材ためか、ひじょうに開きにくくて気が散ったのが残念。ちくま文庫あたりに収録されれば買って本棚にそっと置いておきたいんだけどな。

『小さなことばたちの辞書』
著/ピップ・ウィリアムズ
訳/最所篤子

英語の全てを記録するという目標を掲げる『オックスフォード英語大辞典』の編纂に携わる人々と、辞書からこぼれおちたことばたちを拾い集める女性の百年にわたる物語。

幼い主人公がことばを探し求める時間が愛おしくて、読めば読むほど主人公は成長して物語の終焉に近づいてしまうのが悲しかった。本でも映画でも、そういう作品に出合えるとしあわせだなと思う。

この小説は冒頭からずっと不在の母親を求め続けていた。死んでしまった人の事を考えるというのは文字を読むことに似ているのかもしれない。文字になったことばは死んだことばだと誰かが言っていた(忘れた…)
誰かのいない空白を埋めるのも、不在の輪郭を強調するのも、ことばなんだな。

終盤、主人公が集めた辞書には乗らないことばたち=「迷子のことば」がしかるべき人の元に届き受け継がれたのが、切なくも嬉しかった。不在から始まった物語は、次の者に自らの不在を示すことで終わる。

うまいことまとまらないんだけど、母語話者が存在しない人工言語のエスペラント語で唱えられる「安心」が迷子のこどもに伝わるシーンがよかった。どんなことばも愛おしくなるようだった。

『女たちの沈黙』
著/パット・バーカー
訳/北村 みちよ

トロイア戦争の終盤を舞台に、戦争に翻弄される女性たちと戦いをやめない男たちの物語。

凄く静かな読後感で、全体の雰囲気は『ハムネット』に似ていた。ただ主人公の状況は『侍女の物語』だったので、読むのはしんどかった。

ギリシア神話もトロイア戦争も予備知識を持たない状態で読んだので、時代背景と人物名の整理に少し苦労した。ただ「どんな時代であれ戦争はクソ」という理解さえあれば読み進められる。戦争がどういった名目で起きて、誰が闘い、誰が殺されて、語り遺されるのはどういった存在かについて描かれている。言わずもがな、語られるのはいつも剣を持って前線に立つものだ。それは今でも変わらない。ゼロ戦に乗る男たちの物語は語られても、南方で餓死した男のエピソードは物語られないように。あるいは、住処や家族を奪われたうえに勝利の褒章として男たちにあてがわれる女性たちの物語が記録されていないように。

沈黙に潜む傷、喪失、慟哭、愛。伝説のなかにだってかならず存在していたけれど「ないもの」とされてきた物語を語りなおすための小説だったとおもう。

『英語の路地裏 オアシスからクイーン、シェイクスピアまで歩く』
著/北村紗衣

オアシス、クイーン、パディントン、スタートレック、ジョーズ、シェイクスピア等々、歌詞や映画や戯曲で使われる英文をとりあげて文化的な意味や使われ方や文法の基本を解説してくれる本。楽しくてスイスイ読めた。関係代名詞の非制限用法と制限用法はネイティブでも間違えることがあると聞いてひと安心。いや安心してる場合ではないが。

英語でお米は「rice」だけれど、日本語だと「白米」「玄米」「冷やご飯」「銀シャリ」「握り飯」等々、状態や温度や調理方法で様々な呼び方があるのは、それだけ「お米」にまつわる文化の深度が違うから、みたいな話を聞いたことがある。同じことがもちろん英語にもあるわけで、キリスト教やシェイクスピア作品への深度は日本と全然違う。言語を学ぶってただ喋れるようになるだけじゃないんだなあと改めて思った。

図書館で借りてきて急いでガーッと読んだので、実は面白さを全然味わいきれていない。でも「英文は楽しく読めたらまずはOK」「小説を読むのも全然アリ」的なことが書いてあったので私も小説を読んでみようかな。パディントンとか。

『環と周』
著/よしながふみ

いつかの時代のどこかの場所で、会って、話して、手が触れて、ほんのひと時共に過ごして、また別れる、かつてどこにでもいた/いまもどこにでもいるであろう「環」と「周」の関係を描く連作(?)短編集。

恋とも愛とも友情とも名状しがたい関係性というものが大好きなのですが、全話何度も読み返したくなる素晴らしさでした…。

偶々同じ時代、同じ場所にいて、つながることができたひとが、人生で忘れ得ない存在になる。わたしは今この時代を生きるすべての人とそうなりうる可能性があるわけで、誰かを憎んだり貶したりしている暇はないなぁ、などとおもいました。

『女ぎらい ニッポンのミソジニー』
著/上野千鶴子

社会学を多少かじって、フェミニズム関連の本も数冊よんでみたとはいえ、それでもうまく名前が付けられずにいたモヤモヤに、ぺぺぺっと名札を張って、痛快で明快な説明をしてくれる本。読むのも凄く楽しくて一日で一気に読んじゃった。刺激的な表現が多岐にわたってでてくるので電車の中で読むのは多少気を遣った。でもそこが好き。

ミソジニーの定義にはじまり「ホモソーシャル」についての解説、性の二重基準、児童虐待、皇室、春画、母と娘、女子高……と、盛りだくさんな内容だった。一家に一冊あったほうがいい。

2010年に刊行された単行本が2018年に文庫化されている。13年前の本だというのに、古いと感じるところはほとんどない。たとえ話とか出てくる本のタイトルが古いとかその程度。多分、あと10年20年は余裕で古びないとおもう。気が遠くなる。ちょっとは前進していればいいが、最近は反動的なうごきも強くなっているので、状況はむしろ悪化しているんじゃないかとすら思う。

好きなSFのタイトルは、

たった一つの冴えたやり方
ここがウィネトカなら、君はジュディ
鳥の歌、今は絶え
太陽の黄金の林檎
わたしたちが光の速さで進めないのなら
大きな鳥にさらわれないよう

未読だけど好きなのは「ガニメデの優しい巨人」です。SFは名タイトルが多いので選びきれないし全部読みたい。

『地図と拳』
著/ 小川哲

中国南部に構想された理想郷『満州』をめぐる55年間の物語。物凄い量の参考資料が物語るように、色々と史実に忠実に描写されている一方、天気や湿度をピタリと当てる万能計測器人間や、自筆の予言の書で50年先を予見する男、どこからともなく現れては予言めいた言葉を残し、国家存続のために多くの人を翻弄して暗躍するメフィストフェレス的な男など、いろいろと変な人がたくさんでてきて、史実を土台にした寓話めいた話だった。松尾スズキの戯曲っぽい。

ページを捲る手をとめさせない面白さで終盤は一気に読んだ。単行本600p超と見た目は京極ばりにゴツいけど、四六判1pにつき45文字×20行程度なので文字数的にはさほどでもなく、本に厚みを持たせて超大作感を出すためにあえて厚くしてるかんじがしたので、個人的にはいろいろもっとツッコんで欲しい箇所もあった。でもこれは史実を描いた本じゃないからその辺はお門違いかもしれない。

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