新しいものを表示

統計学を数学の一部と考えていいかどうかは,色々と微妙な点があるように思える.これは,物理学を数学の一部と考えていいかどうか,ということと同じような問題点を抱えているように思える.
 一方,数学は mathematical logic の一部と考えていいと思うのだが,逆はどうなのだろうか? 
 僕個人としては,数学を,人間の知的活動のすべてを包括する学問として解釈したいのだが,一般の認識はそうはなっていないようである.

これは既に鳥類の世界で既に言ったことのある表明ですが,ここでももう一度言っておきます:

今入手可能なデーターを総合して考えると,どう見積もっても,人類は200年以内には滅亡してしまうし,これはもう回避不能でしょう.
しかし,愚かな高等生物として本能に任せた行動で滅亡するか,知性の尊厳を保って滅亡するか,という岐路にはまだ立っていると思います.私は後者を強く望むものです.

「集合論では『すべての集合の集合』を考えてはいけないことになっているそうですが、なぜですか?」という Quora での質問に答えてみた.

jp.quora.com/集合論では-すべての集合の集合-を

きちんとした,誰にでもわかる説明を淡々とすることを心がけているつもりではあるのだが,質問の fromulation 何如では,ついお説教がましいコメントを書き足してしまうこともあり,それがこの作文の最初のところに出てしまっている,と言えるかもしれない.

fedibird はなかなか mastodon の 最新バージョンに移れないでいるようである.昔,僕も,自作の emacs lisp の汚いコーディングのプログラムをたくさん使っていたため,これらのプログラムを修正せずに使い続けたくて,なかなか,emacs の最新バージョンに移ることができなかったことがあって,なんとなくそれを思い出してしまう.
LaTeX の自作のマクロパッケージでも似たようなことが起こるが,こちらの方は否応無しに update されてしまうので,文章の source code が新しい version でも通るようにするのに結構たくさん無駄な時間をかけなくてはいけなくなることが多い. 

Covid-19 は最初の発症例から3年程経つわけだが,この3年間で,日本のメディアでの,スーパーの商品の価格変動の報道のような,滑稽な感染状況の報道の仕方は,遂に殆ど改良されることがなかった.これは報道する側が,日本人の知性の平均の低さに合わせているからなのか,それとも,報道する側の知性の限界に由来するものなのか,本当のところは,どうもよく分からないような気もする.しかし3年間も変わらなかった,ということから,多分この両方が共鳴し合っているのだろう,という想像は,それ程間違ってはいないのではないだろうかとも思われる.

日本では,外国語というのはタブーになっているようだ.たまにテレビを見てみると,ニュースなどで日本語でない言葉で話している人の映像が出ると,字幕が大きく出るだけでなく,変な日本人の声優の声色でもとの音声を遮蔽するので,聴いていると気持ちが悪くなってくる.
中国のニュースは日本のメディアの方が精度がいいかもしれないと思ってちょっと見てみたのだが,耐えきれなくなって見るのをやめた.

この頃,William Byrd や Orlando di Lasso など,ルネッサンスの鍵盤楽器音楽を弾いてみている.
 僕は耳が A=442 に慣れすぎてしまっているので,バロック時代の音楽を (現代ピアノで) 弾くときにも,この A=442 を保持して,しかも,(少なくともバッハやクープランの音楽の場合には) 現代奏法とも歴史的奏法とも言えない,ちょっとへんな折衷的な弾き方やスタイルで弾いてしまっているのだが,ルネッサンスの音楽では,半音下に移調して,当時演奏されていたであろうピッチに近い音高で,リコーダーアンサンブルが弾いたらこんなふうになるかもしれないというような感じのアーティキュレーションで弾いてみている.
 原調だと,音を並べるだけならば初見で楽々と弾けてしまうような音楽なのだが,半音下に移調すると,自然な指使いで弾くには,あらかじめ指遣いを考えておかないとうまくゆかなくなってしまう.もちろん原調の指遣いを頑なに保持して,安川加寿子メトードみたいに,指練習として弾ききってしまうこともできなくはないのだけれど.

とは書いてみたが,自分用の server の管理さえ人におねがいしている人が,自分の instance を持つことは絶対に無理である.プライベートな助手を雇える身分にでもなれば別だろうが,そういうことは生きているうちには絶対に起こりそうにない. [参照]

なにが自分の住んでいる世界で local で,なにが global なのかは, に出てみないとわからないことがよくわかった
(@avillavecesn は sheaf-like world という表現を使ったけれど,multiverse という方が実情にあっているような気がする)

いくら open sourse と言ってもコードを全て読んでいるわけではないし,逆に open sourse だと local な世界が知らないうちに multivers の中で特異な進化を遂げてしまっている可能性もあるわけだから …

例えば,toots の情報の全体の同期にかなりの時間を要しているようだ,というのは,複数の instances に account をもってみて初めてわかったことだし,同期の仕方がかなり local rule に依存している可能性もある,というのも考えていなかったことだった.

この「一般のユーザー」が「自分の村を一度も出たことのない土着人」であることを許す設定は,人類全体のあやうさと同じようなものを持っているようにも思える.

まあ,説明書のようなものを読むと,複数の accounts を instances をまたいで持つことを推奨しているようにも読めるのだが.

これも鳥類の世界で既に post したものにちょっと手を加えたものです.ゾウ目マムート科マムート属の世界では,特に日本語で書くときには字数に余裕があるので,きちんとした表現が選べていいとも言えるし,制限がないことで表現が俳句のような厳しさを持たない冗長なものになってしまいがちであるとも言えるかもしれません:

無人自爆自動機を kamikazeと呼ぶことは,今の戦争の開始以来,世界標準になり始めている.日本は,この用語に躊躇しているようにみえるが,この単語の,世界でのそのような用法に対してプロテストもしていないようである.
まあ,現代の kamikaze は,この無人自爆自動機に操縦者が乗っていない,というちょうど一人分は,かつての日本の神風特攻より human であるとは言えるのだろうが.

拙著「Emacs Lis で作る」 (2003) に例として挙げた自作の emacs lisp プログラムたち ( の用語では "commands") のうち,"file-multi-occur" は,今でも頻繁に使っている.
これは,この本を書いた時点では "multi-occur" と呼んでいたものだが,その後,本家の emacs の standard set に,これとは機能の若干異る command が,同名の "multi-occur" として収録されるようになってしまったので,仕方なく今の名前に変更したものである --- emacs の multi-occur は buffers の中を検索する.
M-x locate や,自作の M-x my-spotlight と組み合わせて使うことが多いが,この3つのうちでも M-x file-multi-occur の使用頻度がダントツに高い.
現在の version では,指定した directory の中を,正規表現で検索するようになっている.検索範囲をもう少し柔軟にしようと思いながら,そのままになってしまっている. [参照]

今では @sakaefuchino で LaTeX code も書けるようになっているけれど,鳥類の世界では formulas が書けなくて苦しんだので,そのときに,mac や ipad の keyboard setting を調教して,例えば,

{ 𝑥 ∈ ℝ : 𝑥 は 𝖫 上の Cohen real }

などという utf-8 symbols だけの偽数式が,比較的少ない key strokes で,LaTeX の数式モードで書くような感覚で書けるようにしておいたのは,よかったと言える.
最初から mathstodon.xyz に住んでいたら,これは思いつかなかったかもしれない.

もっとも \(2^{\aleph_0}\) と書こうとするとこれはもう無理で,せいぜいが 2^{ℵ₀} とでも書くしかなくなってしまうのだが ...

現在のところ では LaTeX は使えないが,今のところ数学のコミュニケーションを日本語でするつもりもないので,これはこれでいいかもしれないと思っている.

Sakaé Fuchino さんがブースト

差別発言を繰り返すひとは内閣の一員として相応しくないです!罷免してください!by福島みずほ

fedimovie.com/videos/embed/098

拙著「Emacs Lis で作る」 (2003) に例として挙げた自作の プログラムたち ( の用語では "commands") のうち,"file-multi-occur" は,今でも頻繁に使っている.
これは,この本を書いた時点では "multi-occur" と呼んでいたものだが,その後,本家の emacs の standard set に,これとは機能の若干異る command が同名の "multi-occur" として収録されるようになってしまったので,仕方なく今の名前に変更したものである --- emacs の multi-occur は files の中でなく,buffers の中を検索する.
file-multi-occur は,M-x locate や,自作の M-x my-spotlight と組み合わせて使うことが多いが,この3つのうちでも M-x file-multi-occur の使用頻度がダントツに高い.
現在の version では,指定した directory の中の指定したパターンのファイル名のファイルたちの中を,正規表現で検索するようになっている.検索範囲をもう少し柔軟にしようと思いながら,時間がなくてそのままになってしまっている.

日本文化は良い文化と言えるのか,とんでもない文化なのか,ちょっとよく分からないところが多い.
「喧嘩両成敗」(漢字で書かれていてかなり古い表現のようだが和製漢語のようである)というのは,日本文化で refer されることの多い表現だろう.
これは,(子供の喧嘩だけでなく戦争なども含めた) 紛争が単純な aggressor-victim 関係ではないことが多い,という知恵の表明なのだとしたら,大したものだが,単に喧嘩に対する対応の仕方を述べたもだとしたら,どうしようもない白痴アルゴリズムとしか言いようがない.

Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。