昔撮った写真を見ていたら,「数理の世界」という名前の教養科目の数学の講義で,2014年1月20日に,Sylvester-Gallai の定理について話したときの板書の写真が出てきた.
これはまだ板書の画像をインターネットに upload するようになる前のものなので,どこにも公開していなかったもののようだ.

fuchino.ddo.jp/kobe/Scan_2023-

Aigner-Ziegler の Das BUCH der Beweise からそのままとってきたものかと思って比べてみたが,全く同じ内容の presentation というわけでもないようだ.Das BUCH の英語版 Proofs from THE BOOK の第4版 link.springer.com/book/10.1007 には,この定理から簡単に導かれる Erdős-Bruijin の定理 (上板書の画像の pdf で Erdős の定理として述べているもの) の驚くべき一般化が述べられていて,その証明では平面幾何学への reference は消滅している.

同じ内容を書いた toot のリンク先の での toot の修正が,こちらの instance から見ると反映されないので,別のリンク先に書き直しておこうと思う.新しい mastodon では多分 toots は,オリジナルの toot に修正の差分の chain がつながった構造になっていて,これを古い mastodon のエンジンで見た時には,この chain の root になっているオリジナルの toot だけが見える,というのが,起こっていることなのだと思うのだが.

#初等数学
▶ √2, √3, √5, √6, √7 etc. は全部無理数です.なぜなら:

fuchino.ddo.jp/obanoyama.html#

というべきか算数というべきかちょっと分からない気もするんだが ...

#初等数学
√2, √3, √5, √6, √7 etc. は全部無理数です.なぜなら:
mathstodon.xyz/@sakaefuchino/1

というべきか算数というべきかちょっと分からないですが ... [参照]

arXiv に日本語 LaTeX で作った論文を (調節して) post する話なので,僕の日本語の instance にも link しておくことにします. 

年をとることのいいことの一つは,大昔に書いたことを忘れてしまっていて,昔の仕事が出てきてそれを読みなおしてみたときに,「このころの僕,なかなかいいこと言ってるじゃない」と思えることがあることである.シューベルトは年をとるより前になくなってしまったが,山のように書いた自分の作品を全部は憶えていなくて,昔に書いた自分の曲を聞いて自分の作曲だと気づかず,「この作曲家なかなかいいじゃん」と言ったとか言わなかったとか,という逸話が残っているのだが,そういう感じである.

実は今日

「集合論は矛盾する?!」

という,昔『数学セミナー』に載せてもらった記事 fuchino.ddo.jp/misc/set-theory
を読み直したら,これが起こった.もう10年以上前に書いた作文である.

The sample of the book cover of my new linear algebra book arrived right now. 

本の装丁の見本が送られてきた.これは,装丁の具合を見るだけのサンプルなので,ページは印刷してなくて偽札の札束のような状態になっているだが.

この本は,これまでに出版された僕の本の中で一番デザインの凝った本になると思う.

と言ったときにそれは議論の論理のほつれについて言っているので,結論の真偽について言っているのではない,というのは,どのくらいの人が分かっているのかちょっと判断しづらいところがある.これに関連することについては,ちょっと前に「現代思想」誌に書いた (もちろんここで掲載雑誌の名前を挙げたこと自体,argument from authority タイプの fallacy である) 作文のこのあたり
fuchino.ddo.jp/misc/logic-2022
でも議論したところのものである:

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誤解のないように補足しておくと,「数学のコミュニケーションを日本語でするつもりもないので」と書いたのは,単に日本語で書くと,非日本語圏の人たちとコミュニケートするためにこれをさらに自分で翻訳しなくてはいけなくなり時間の無駄だからです.自動翻訳だとニュアンスや細かい side-informations が抜け落ちたり,最悪の場合 statement が正しく翻訳されないので,この種の lost-in-translation 現象を避けるためには,自動翻訳が正しく訳せるように原文を調節するか,訳文も自分で用意するか,しかなくて,そうすること自身は面白い遊びで,(日本語も含めた)語学のトレーニングにもなるのかもしれないし自動翻訳に関する思索を深められるかもしれないのですが,これを毎回やる気はない,というのが言いたかったことです.ただし,数学の literacy に関する話は日本語で書く可能性もり,その際には数式アレルギーの人が聴衆に含まれる可能性もあるので,utf-8偽数式しか書けないという での制限は,ここでは逆に positive に働く可能性もあるのではないかとは思っています.

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Fallacy と書いたことには,注釈が必要かもしれないので,補足しておく.

ある条件が,

"一卵性双生児の時は77%、二卵性は31%、通常のきょうだいは20%だった。
このことによって、遺伝が関係していることはわかった。"

という推論の問題点なのだが,一卵性双生児か,二卵性双生児か "通常のきょうだい" (この差別表現はもとの記事のもので僕が書いたわけではない) なのかで,その子供達の間の関係や,兄弟たちに対する親の差別化の度合い,また社会のその子供達に対する扱いの違いも変わって来ることが予想されるので,それらの影響の有無を吟味せずに断定的に "わかった" と言ってしまうのは fallacy でしかないだろう.このような統計を取るのだったら,同じ統計データの取得時に,明らかに遺伝と関連しない複数の条件についても出現の割合を調べて,参照データとして検証しない限り,遺伝に関する結論を (断定でなくとも) 出してしまうのは,間違いである (と断定してしまっているが,これは,差別や偏見が絡んでしまいそうな issue なので断定的に強調すべきことだと思って断定しているので自己矛盾ではない,と思う).

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書き直しをしたらここへの link が切れてしまったみたいなので再度
繋ぎを作ってみている.toots の tree structure を直接いじれるようになっているといいのだが,やはりそういうのは自分の html files でいじって,ここから参照する,というのがいいのだろうか.
#集合論

fedibird.com/@sakaefchn/109504 [参照]

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Quora の「Cの有界閉集合がコンパクトであることを示す時、選択公理を用いずに示すことはできますか?」jp.quora.com/Cの有界閉集合がコンパクトであるこ
という質問に答えてみた. との議論の続きで言えば,これは,ここに toot すべきか ( はまだ mastodon の古い version を使っているので toot である) , で publish すべきか迷ってしまう内容である.今,選択公理が話題の一つとなっているトポロジーの expository paper を (英語で) 書いているので,この Quora の回答も,実はそれと連動している.

統計学を数学の一部と考えていいかどうかは,色々と微妙な点があるように思える.これは,物理学を数学の一部と考えていいかどうか,ということと同じような問題点を抱えているように思える.
 一方,数学は mathematical logic の一部と考えていいと思うのだが,逆はどうなのだろうか? 
 僕個人としては,数学を,人間の知的活動のすべてを包括する学問として解釈したいのだが,一般の認識はそうはなっていないようである.

今では で LaTeX code も書けるようになっているけれど,鳥類の世界では formulas が書けなくて苦しんだので,そのときに,mac や ipad の keyboard setting を調教して,例えば,

{ 𝑥 ∈ ℝ : 𝑥 は 𝖫 上の Cohen real }

などという utf-8 symbols だけの偽数式が,比較的少ない key strokes で,LaTeX の数式モードで書くような感覚で書けるようにしておいたのは,よかったと言える.
最初から mathstodon.xyz に住んでいたら,これは思いつかなかったかもしれない.

もっとも \(2^{\aleph_0}\) と書こうとするとこれはもう無理で,せいぜいが 2^{ℵ₀} とでも書くしかなくなってしまうのだが ...

現在のところ では LaTeX は使えないが,今のところ数学のコミュニケーションを日本語でするつもりもないので,これはこれでいいかもしれないと思っている.

Fedibird

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