一つ前の toot で,「ホロコーストのような,本能行動の爆発」と書きましたが,こう書くと,異和感が感じられるかもしれません.第三帝国でのホロコーストは,少なくともその実現に関しては,非常に綿密に管理された大量虐殺やそれに至る抑圧や集団移送のシステムが伴っていたわけなので.これを,「本能行動」という言葉に結びつけるのは適当に思えない,かもしれないからです.

しかし,理性に上層構造として本能を乗せることができるように,本能に上層構造として理性的なシステムを乗せることもできて,ここで言っているのは,後者のパターンの発露,ということができるのではないでしょうか.近代戦争も,そこで投入されるハイテク殺人装置や,クールな戦略理論などにも拘わらず,それを下層構造として支えているのは,多分,石器時代からそれほど変化のない本能行動だろう,というのは,今の戦争を見ていても思われることの一つです.

ここで言っている「本能行動」は,個々の個体の gene に何等かの形でコードされている本能の集積として,群 (むれ) に出現する本能行動のことなわけですが, の,この本能行動が非常に安定していて,時代や歴史や民族の壁を超えて同じような形で実現されている,というのは,考えてみると,とても不思議なことに思えます.

リンクが切れて孤立した toot が微妙に error を起こすようなので,内容を以下にもう一度コピーして,孤立していない toot を作っておく:

しかもこの記事では,引用した "統計データ" について,「アメリカの研究で」といって "引用" していて, の分類でよく "argument from authority" と言われるものが臆面もなく顔を出している.この「アメリカの研究で」とか,「 を使った研究で」とか,「 での計算で」とか,authority を傘に着た fallacy が日本の に蔓延しているのは,authority 万歳の が悪いのか, が悪いのか,(verschwörungstheoretisch に言えば) それを裏で操っているやつらが悪いのか,多分その全部なんだろうが,何とかしてほしいものである.

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Fallacy と書いたことには,注釈が必要かもしれないので,補足しておく.

ある条件が,

"一卵性双生児の時は77%、二卵性は31%、通常のきょうだいは20%だった。
このことによって、遺伝が関係していることはわかった。"

という推論の問題点なのだが,一卵性双生児か,二卵性双生児か "通常のきょうだい" (この差別表現はもとの記事のもので僕が書いたわけではない) なのかで,その子供達の間の関係や,兄弟たちに対する親の差別化の度合い,また社会のその子供達に対する扱いの違いも変わって来ることが予想されるので,それらの影響の有無を吟味せずに断定的に "わかった" と言ってしまうのは fallacy でしかないだろう.このような統計を取るのだったら,同じ統計データの取得時に,明らかに遺伝と関連しない複数の条件についても出現の割合を調べて,参照データとして検証しない限り,遺伝に関する結論を (断定でなくとも) 出してしまうのは,間違いである (と断定してしまっているが,これは,差別や偏見が絡んでしまいそうな issue なので断定的に強調すべきことだと思って断定しているので自己矛盾ではない,と思う).

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しかもこの記事では,引用した "統計データ" について,「アメリカの研究で」といって "引用" していて, の分類でよく "argument from authority" と言われるものが臆面もなく顔を出している.この「アメリカの研究で」とか,「 を使った研究で」とか,「 での計算で」とか,authority を傘に着た fallacy が日本の に蔓延しているのは,authority 万歳の が悪いのか, が悪いのか,(verschwörungstheoretisch に言えば) それを裏で操っているやつらが悪いのか,多分その全部なんだろうが,何とかしてほしいものである.

「発達障害」に関するネット上の記事 (記事や,記事を書いた人個人を誹謗中傷するのが目的ではないので,link は張らないことにする) の ASD 判定条件の一つとして,何の注釈もなく,

"・興味ある領域に関する膨大な知識…など"

というのが挙げられていた.思考能力に障害のある人たちが,通常の思考能力を持っている子供を差別する社会構造の透けて見える記述だと思う.この記事の後の方には,

"自閉症スペクトラムのきょうだいがいる場合、もう一人もそうである確率について、アメリカで研究が行われた。
その結果、一卵性双生児の時は77%、二卵性は31%、通常のきょうだいは20%だった。
このことによって、遺伝が関係していることはわかった。"

というあからさまな fallacy もあり,この記事を書いた人が,上で「思考能力に障害のある人たちが,…」と書いたことの本物の例になっている可能性も示唆されている.

「和魂洋才」あるいは,これの元の表現になっていると思われる「和魂漢才」は,日本文化を論じるときの重要なキーワードの一つでしょう.

今年の初めに『現代思想』書いた論理教育 (倫理教育ではありません) に関する論説では,和魂洋才というタイトルの節を設けて,これについて少し論じてみました.

fuchino.ddo.jp/misc/logic-2022

私はいわゆる「教育」の専門家でないので,これは専門外からの場外乱入の作文だったのですが,大方の「専門家」からは無視されてしまったかもしれません.けっこう本質的な鋭い指摘をしているつもりなんですが ...

この作文のエピグラフの一つに,

言葉には、言葉そのものを認識したり説明したりすることを可能にする働きがあることを理解すること

という語句をあげていますが,これは,

文部科学省、高等学校学習指導要領(平成30 年告示)解説 国語編

の論理国語と題された節からの引用です.他のエピグラフは,それぞれ Gödel と Wittgenstein の有名な言葉ですが,この「言葉には、 ... 」は,それらに劣らない名言と言えるでしょう.

これは既に鳥類の世界で既に言ったことのある表明ですが,ここでももう一度言っておきます:

今入手可能なデーターを総合して考えると,どう見積もっても,人類は200年以内には滅亡してしまうし,これはもう回避不能でしょう.
しかし,愚かな高等生物として本能に任せた行動で滅亡するか,知性の尊厳を保って滅亡するか,という岐路にはまだ立っていると思います.私は後者を強く望むものです.

これも鳥類の世界で既に post したものにちょっと手を加えたものです.ゾウ目マムート科マムート属の世界では,特に日本語で書くときには字数に余裕があるので,きちんとした表現が選べていいとも言えるし,制限がないことで表現が俳句のような厳しさを持たない冗長なものになってしまいがちであるとも言えるかもしれません:

無人自爆自動機を kamikazeと呼ぶことは,今の戦争の開始以来,世界標準になり始めている.日本は,この用語に躊躇しているようにみえるが,この単語の,世界でのそのような用法に対してプロテストもしていないようである.
まあ,現代の kamikaze は,この無人自爆自動機に操縦者が乗っていない,というちょうど一人分は,かつての日本の神風特攻より human であるとは言えるのだろうが.

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