Federico Mompou について書いたのは,僕にとって2度目のバルセロナ滞在の,ちょっと前のことでした.この文章を書いたのが,もう10年以上前だというのは何か信じられない気がします.今みてみたら,ちょっと misleading な記述があったので,修正してみました.修正点は, html ファイルのソースコードを見るとわかります.fuchino.ddo.jp/barcelona0.html
--- URL を % encode し忘れたので,一度削除して書き直しました.

修正のついでに書くと,この文章で「郊外の憂鬱」と書いているのは,もちろん,Mompou の組曲「郊外」と佐藤春夫の小説の連想ですが,この間に美学的な関連がある,と主張しているわけではありません.

「郊外の憂鬱」ということについては,「Suburbis (II) 」と題した,上の作文より少し後でかいた文章にも書いたことがありました:fuchino.ddo.jp/kasugai.html#09

今度は注意して,最初から % encode したアドレスを post しています.

趣味の問題かもしれないが,ピアノは僕だったらもっと音を聴いて弾くと思うのだが,チェロはすごいと思う 

youtu.be/Fkzu8fd8ks8

てなさく氏のブログを見たら,発表会で Lange の Blumenlied を弾いたと書いてあって,それを読んで,中学生の頃を思い出した.

中学2年の時に,転校してきた吉野ひろみさんがこの曲を音楽の時間に素敵に弾いたので,それが記憶に残っていたからなのだが,つい,どんな曲だったのかと好奇心に駆られて,楽譜をダウンロードして,弾いてみてしまった.

ABACA の A の部分は大体記憶と一致したのだが,全体としては,減7の和音や増5度の和音の砂糖をまぶしたサロン音楽で,カデンツァもどきみたいなものも,B と C にとってつけたようについているし,子供の頃にはこんな偽物に惑わされたのかと思って幻滅してしまった.
しかも,その頃はこの曲が難しくてうまく弾けなかった記憶もあるので,これは一体どういうことだったのかと訝しく思った.

の伝記に,彼が,音楽を勉強したら,子供の時に聞いて夢中になっていた音楽が,実は全く価値のない種類のものだ,ということがわかってきて大変落胆した,というような記述があったと思うのだが,なんかそういう感じである.

特に,これを弾いてみたのは,ネットに流れてきた のチェロソナタのすごい演奏を聞いた直後だったので,僕の「落胆」も半端でなかった.🟡

私にとっては,複数の accounts を持つことは混乱以外のなにものでもありません.複数の accounts を持とうが持つまいが,もう自分の中でたくさんの人格分裂が始まってしまっています.
 日本語の toots を書くために開設した account で英語の answer を書いてしまったので,日本語での follow-up をしてみましたが,これは元の英語の翻訳にはなっていません.これは両方とも書いているのが本人なので当然起こることです.
 作曲家の自作自演の CD で演奏が楽譜どうりでないことがあるのと同じようなものです.🟡
[参照]

この頃,William Byrd や Orlando di Lasso など,ルネッサンスの鍵盤楽器音楽を弾いてみている.
 僕は耳が A=442 に慣れすぎてしまっているので,バロック時代の音楽を (現代ピアノで) 弾くときにも,この A=442 を保持して,しかも,(少なくともバッハやクープランの音楽の場合には) 現代奏法とも歴史的奏法とも言えない,ちょっとへんな折衷的な弾き方やスタイルで弾いてしまっているのだが,ルネッサンスの音楽では,半音下に移調して,当時演奏されていたであろうピッチに近い音高で,リコーダーアンサンブルが弾いたらこんなふうになるかもしれないというような感じのアーティキュレーションで弾いてみている.
 原調だと,音を並べるだけならば初見で楽々と弾けてしまうような音楽なのだが,半音下に移調すると,自然な指使いで弾くには,あらかじめ指遣いを考えておかないとうまくゆかなくなってしまう.もちろん原調の指遣いを頑なに保持して,安川加寿子メトードみたいに,指練習として弾ききってしまうこともできなくはないのだけれど.

Fedibird

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