19世紀末から20世紀にかけて『聊斎志異』の翻訳が進んだのがわかる。
仏語訳リストの最初にある Le Poirier planté (1880) は、原題「種梨」の訳。「種梨」は、道に植えた梨の種から見る間に幹が伸びて、たわわに実った梨を道士は人々にわけてあげました、という日本でも知られた「魔法の梨の木」のオリジナル。
次の Contes chinois (1884) は、『聊斎志異』から25話を選んで1冊としたもの。この25話に「労山道士」は含まれていない。
3番めの Contes magiques (1925) は、20話を選んで訳出。「労山道士」が L'ERMITE DU MONT LAO の題で収められている。仏語版 Wikipedia のリンク先に訳文あり。
Contes magiques (1925) のテキスト
laloy_pousounglin_contes.pdf
https://www.chineancienne.fr/app/download/5940741262/laloy_pousounglin_contes.pdf?t=1420103503
laloy_pousounglin_contes.doc
https://www.chineancienne.fr/app/download/5940741162/laloy_pousounglin_contes.doc?t=1420103454
エイメの「壁抜け男 (Le passe-muraille)」は、これを表題作とする1943年刊の短編集所収。
アポリネールの「オノレ・シュブラックの失踪」は、1910年刊の短編集『異端教祖株式会社』所収。
「労山道士」を含む『聊斎志異』の部分訳 Contes magiques は1925年刊。編訳者のルイ・ラロワは音楽学者、中国学者、文筆家。
アポリネールが「オノレ――」を書いた時点で Contes magiques は未刊。
エイメが Contes magiques を読んだ可能性はある。否定されない。ルイ・ラロワはとくに音楽方面の活動で広く知られた人物だったらしい。
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