影が自分の意志で動いているわけではないように、人も自分の意志にしたがって動いているわけではない。
そのことを『荘子』は嘆かない。悲劇とも喜劇とも見なさない。人はそういうものなのである。
人は気ままに生きているわけではない。
何かに動かされているだけの受け身な存在、それが人間。
気まま、自ままな生き方なんて、そんなものはない。
そんなことは人にはできない。
人は自分の判断で動いているのではない。
人は影にすぎない。
で、何の影なのか、何に頼って生きているのか。
『荘子』の影がいうには、
「それがよくわからんのだよ。おれが頼ってる何かも、やっぱり何かの影ではあるまいか。あるいは、ヘビの皮かセミの抜けがらみたいなやつ」
人は自由な存在である。
どのように自由かといえば、じつは自由ではないのに、自由であると勘違いして、じっさいにも自由を感じたりする存在。
ひとことでいえば、仮想的自由。
さらにいえば、「自由」以前に、すでに「意識」が仮想的。
そういうわけだから、もっと気楽に生きたらいい。
#自由 #自由意志