深作欣二監督『上海バンスキング』(1984年)の予告編が YouTube にある。
youtube.com/watch?v=x_B7S043Bx
監督・深作、主演・松坂慶子、相手役に風間杜夫という組み合わせは、『蒲田行進曲』(1982年)と同じ。

こちらに深作版のあらすじ。
eiga.com/movie/37006/
原作(斎藤憐)にかなり書き足してあり、劇場版とはおもむきが異なる。

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上海あるいは仮想の都市を舞台とし…
ja.wikipedia.org/wiki/近藤東

ヲンナノ髪ニ昨夜ノ新月ガ引懸ツテトレナイ。
オンナノ腋毛ハ飴色ノ腋毛ダ。

窓ノ港ニハ白イパイロット・ボオトガ揺レテヰタ。
フタリハ急ニ悲シクナツタ。

日本ノ軍艦ガ遡航シテ入港シタ。午後三時。
――トウトウ駆逐艦デ追ツカケテ来タワヨ。
johf.com/memo/020.html#2022.2.

上海、満州、出口、逃亡。モダニズム。
具体的などこかではなく。

戦前のものを含め日本の歌謡曲が台湾で歌い継がれていることは前に書いたが、「上海帰りのリル」も広くカバーされている。

陳一郎 - 上海歸來的莉露 (1989) - YouTube
youtube.com/watch?v=5mmh6Cip2y

陳一郎は80-90年代の台湾を代表するシンガーか。
そのほか「上海歸來的莉露」や「莉露」でYouTube を検索すると他の台湾歌手のカバーも拾える。楽器バージョンもあり。

関連記事
fedibird.com/@mataji/112090811

[参照]

「上海帰りのリル」は、アメリカのミュージカル映画『フットライト・パレード』の挿入歌「上海リル」にインスパイアされて作られた。
「上海リル」は日本語でも多くカバーされ、松尾和子、青江三奈、あがた森魚、他。初期の代表的カバーとしては川畑文子。また、舞台『上海バンスキング』で吉田日出子が歌ったという。

上海リル/SHANGHAI LIL - YouTube
youtube.com/watch?v=kIzpXZAfxP

上海リル - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/上海リル

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〽船を見つめていた、ハマのキャバレーにいた…、「上海帰りのリル」は1951年発売。歌手は「ビロードの歌声」と言われた津村謙。当時としては大ヒットの累計30万枚を1954年時点で記録した。1968年時点で累計52万枚。
発売翌年の1952年、これを主題歌として水島道太郎主演の映画『上海帰りのリル』が作られ、これもヒット。

上海帰りのリル - YouTube
youtube.com/watch?v=19n7uyalzm

上海帰りのリル - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/上海帰りのリル

李香蘭(山口淑子)が殺されずに帰されたこと。

《李香蘭は中国人と思われていたため、日本の敗戦後、中華民国国民政府から漢奸(売国奴・祖国反逆者)の廉で軍事裁判にかけられた。そして、李香蘭は来週上海競馬場で銃殺刑に処せられるだろう、などという予測記事が新聞に書かれ、あわや死刑かとも思われた。しかし奉天時代の親友リューバの働きにより、北京の両親の元から日本の戸籍謄本が届けられ、日本国籍であるということが証明された。》
ja.wikipedia.org/wiki/山口淑子

法理としては、「日本人であるから、漢奸(売国中国人)としては無罪」ということらしいが、有罪にするつもりなら、法理や司法手続きなどどうにでもできたろう。
港を離れる引揚船のデッキから山口が上海の摩天楼を眺めていると、船内のラジオから自分の歌う「夜来香」が聞えてきたという。「夜来香」もあわせて無罪という光景。

年間の霧発生日数を、太平洋戦争終結(1945年)の前後で比べると、戦前のほうが多い。夜霧に限定したデータではないが、夜霧についても同様の傾向だったろう。
夜霧の歌がさかんに作られた戦後より、戦前のほうが霧は多く発生していた。かつての日本の夜霧は、忍び逢う恋を隠してくれたり、哀愁の街に降ったりするものではなく、たいした感興をもたらすことはなかったのだろう。とすれば、夜霧をロマンチックに思う感性は、上海の夜霧に対して培われたものが、戦後の日本で再生したと見ることができるのではないか。

霧日数の経年変化、東京と横浜
asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kis

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夜霧を歌った戦前の流行歌(歌詞かタイトルに「夜霧」を含むもの)
 1939 さらば上海  李香蘭
 1939 港シャンソン 岡晴夫
 1941 夜霧の馬車  李香蘭
1939年の2本は、いずれも上海を舞台としている。41年の「夜霧の馬車」には具体的な地名がないが、歌詞に「波の上浮かぶジャンク」「月に胡弓の流れる町を」などとあって、中国が舞台。
探してみたが、夜霧を歌った戦前の歌謡で日本を舞台としたものは今のところ見当たらない。戦前の日本では、上海の夜霧をロマンチックに感じても、国内の、たとえば東京の夜霧にはそんな思いを抱かなかったのかも。異郷感の有無?

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〽青い夜霧に灯影が紅い… 上海の夜霧を歌ってヒットしたディック・ミネの「夜霧のブルース」は、水島道太郎主演の映画『地獄の顔』(1947年)の主題歌。
ja.wikipedia.org/wiki/夜霧のブルース_
youtube.com/watch?v=VFLTDphHeA

同じ「夜霧のブルース」を主題歌とする映画『夜霧のブルース』(1963年)は石原裕次郎主演、主題歌も石原。ストーリーは『地獄の顔』とは別。
石原にはヒット曲「夜霧よ今夜も有難う」(1967年)あり。第2次大戦後の1940年代後半から70年代にかけて夜霧を歌う歌が大量につくられたが、「夜霧よ――」はその代表曲。

《霧に包まれた上海の街、十米も先はわからない様なモヤ、灰色の雲の中をフハリフハリと行く人、その時、街の心臓にパツト灯がつく、白いロココ風の馬車が二馬路の角を通る、白い馬車白い二頭の俊足を持つた馬、白いビロードの服をつけた馭者、乗つて居る人は老人と華かな飾りをつけた若い弱々しい、紫色の娘、彼氏はその時刻に二馬路から三馬路にかけて歩道を散歩して居れば必ずその白い馬車を必ず定つて見かけた。そうしてその白い馬車が彼氏の心の中で生活し生長した。でどうかしてその白い馬車を見かけない日、彼氏は一種の憂鬱と不安におそはれた。》
三岸好太郎「上海の絵本」
aozora.gr.jp/cards/001997/file

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《その早暁、まだ明けやらぬ上海の市街は、豆スープのように黄色く濁った濃霧の中に沈澱していた。窓という窓の厚ぼったい板戸をしっかり下した上に、隙間隙間にはガーゼを詰めては置いたのだが、霧はどこからともなく流れこんできて廊下の曲り角の灯が、夢のようにボンヤリ潤み、部屋のうちまで、上海の濃霧に特有な生臭い匂いが侵入していたのであった。》
海野十三「人造人間殺害事件」
aozora.gr.jp/cards/000160/file

《上海四馬路の夜霧は濃い。
黄いろい街灯の下をゴソゴソ匍うように歩いている二人連の人影があった。
「――うむ、首領この家ですぜ。丁度七つ目の地下窓にあたりまさあ」
と、斜めに深い頬傷のあるガッチリした男が、首領の袖をひっぱった。
「よし。じゃ入れ、ぬかるなよワーニャ」》
海野十三「見えざる敵」
aozora.gr.jp/cards/000160/file

動詞 shanghai(上海)の由来

《19世紀は帆を動力とする商船の全盛期であり、不誠実な船長に新鮮な乗組員(多くは不本意な乗組員)を供給する海のポン引き(クリンプ)の全盛期でもあった。別の言い方をすると、船員はシャンハイされた。(クリンプという言葉は、もともとは「エージェント」を意味するイギリスのスラングで、おそらくイギリス人船員とともにアメリカにやってきたのだろう。「シャンハイ」という言葉は、クリンプされた船員の多くが、帆船時代の主要港であった中国の上海にたどり着いたことから生まれたと思われる)》
Of Crimes and Shanghaied Sailors
historynet.com/of-crimes-and-s

《「シャンハイされる(getting shanghaied)」という語は、歴史上、とくに19世紀において、誘拐や強制によって人を船員として働かせた行為を指す。(……)シャンハイの犠牲者は、麻薬を盛られたり騙されたりして、海の上で目覚め、船上で強制的に働かされることになった。》
What does the term ‘getting shanghaied’ mean? - Quora
quora.com/What-does-the-term-g

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鉄板をひっかくような音が聞こえてきた。
SOS、助けを求める信号だった。為吉はナイフを取り出して水管を叩いた。

《「Shanghai――」と返信があった。
 上海? ナニコトカと彼は又水管を掻いた。
「Shanghaiされた」
 上海された! 通行人を暴力で船へ攫って来て出帆後、陸上との交通が完全に絶たれるのを待って、出帆後過激な労役に酷使することを「上海する」と言って、世界の不定期船に共通の公然の秘密だった。罪悪の暴露を恐れて上海した人間に再び陸を踏ませることは決してなかった。絶対に日光を見ない船底の生活、昼夜を分たない石炭庫の労働、食物其他の虐待から半年と命の続く者は稀だった。》――牧逸馬「上海された男」
aozora.gr.jp/cards/000304/file

《shanghai vt. ⦅海俗⦆麻薬をかけて[酔いつぶして]船にむりやり連れ込む⦅水夫にするため⦆, 誘拐[拉致]する; ⦅俗⦆だまして[むりやり]いやなことをさせる.》――『リーダーズ英和辞典』

佐藤信『ブランキ殺し上海の春(ブランキ版)』を再読。いちおう枠組みは把握できたとする。
登場人物は全員、19世紀のパリから20世紀の上海へ回帰してきた者たち――という理解でいいだろう。彼らのうちの一部はかつてのブランキ本人、一部は配下、その他周辺の者たち、ごく一部はブランキの敵対者。

最終章「終曲」の春日の台詞。
「いまこの瞬間、無数のぼくたちが、無数の橋の上で、無数の死体を前に途方にくれているんです。ぼくたちは間違っている。無数のぼくたちはみんな間違っています……」
ブランキがパリでやりそこなった革命は、ここ上海でも実らなかった。ぼくたちは間違っている……

宿題、なぜ上海か。
なぜ彼らは上海に回帰してきたか。言い換えれば、作者はなぜ上海を選んだか。
ブランキ版の最後の台詞も春日が言う、誰にともなく。
「ねえ、ここは上海ですか?」
この問の意味もわからない。
作者はドラマの場を上海に設定し、登場人物たちも上海租界を歩き回ったのだから、ここは上海のはずなのだが。あるいは、「いや、ここは東京」、そんな答えを期待してるのだろうか。

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「ブランキ版」の次の章は「15 プレリュード」。なにゆえ今さらの前奏なのか。

硝子屋が「ムッシュウ・プランタン」と伯爵に呼びかける。
伯爵の返事は、「忘れたな、何もかも忘れちまった」

ブランキが率いた革命組織「四季協会」は4つの大隊から成り、プランタン=春はその一つ。硝子屋の呼びかけに伯爵は「忘れた」とは答えたが、自分が「プランタン」であることは否定しない。ここ上海で「伯爵」と呼ばれている人物は、かつてブランキの指揮下にいた「ムッシュウ・プランタン」、すなわち「春大隊」の長が回帰してきて、かりに伯爵と名乗っているのだろう。
とすれば、伯爵の前身を知る硝子屋も、かつてブランキの周辺にいた何者かであって、それがここ上海に回帰してきたに違いない。

なぜ、今さらのプレリュードか。この章あたりから登場人物たちの正体=前身が見えてくるからではないか。

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窓が違う。こんなに大きくて、格子もはまっていない。老人=ブランキは、自身の今いる部屋がトーロー要塞の牢獄とは異なることに気づく。そのことの意味を老人も戯曲も言葉に出しては言わないが、この「異なる」ということこそが、ブランキが『天体による永遠』で唱えた永劫回帰の眼目。

永劫回帰は同じ出来事を繰り返すが、異なる様相でも出来事を繰り返す。永劫回帰は分岐する。様相は分岐のたびに変化をかさね、現に1881年に死んだブランキが半世紀を経てここ上海に回帰してきたのだし、さらに幾つもの分岐と変異を繰り返して、いつかどれかの地球上で私ブランキは革命を成し遂げるだろう。――それが彼の永劫回帰論の夢。

あるいは、これも明示はされてないが、繃帯も回帰してきたブランキの一人か。ここまでのところ、繃帯は道端で拾ったピストルで頭の周りの虻を追い払っただけだが。

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小部屋。牢獄のような。
ト、寝台で繃帯と少女が裸で抱き合い、眠っている。春日の姿はない。
別のひとり……老人。鞄。燭台をもち部屋の中を興味ぶかそうに、仔細に観察している。
老人「何もかもそっくりだ。花崗岩の壁……不規則な凸凹だ。それぞれがそれぞれの形と色と持続……そして、生命をもった結晶をつくっている。ピラミッド形、円錐形、十二面体」

『ブランキ殺し上海の春(ブランキ版)』は全31章、上はその中盤「14 窓」冒頭のト書きと台詞。
老人はブランキ。部屋を見回して、自分がとじこめられていたトーロー要塞の牢獄を思い出し、酷似の様相を数え上げる。やがて鞄から天体望遠鏡を取り出し、組み立ててのぞきはじめるが、見えているのは部屋の壁だけらしい。

寝台から繃帯が起き上がり、服を着はじめる。老人は振り向くが、たがいに相手の存在を気にするふうではない。
少女が目をさます。繃帯はテーブル上のピストルを取り上げ、止める少女を押しのけて部屋を出ていく。
老人が望遠鏡から目を離してつぶやく。「そうか……窓が違う。こんなに大きくて、それに格子もはまっていない」

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もう上海はない。上海という町は、今だってあるけれど、それはあの上海じゃない。今や、あの上海は、幻の町なのだ。消えてしまった町、消えてしまった青春。(……)今僕は、大川さんの青春の日々、好きなジャズに明け暮れ、キリッとしまった体のなじみの中国女性とかりそめの恋を楽しんだ天国のような上海の気分にしばらく酔っていたい。この七色の光のまばゆさは植民地特有の雰囲気なのだ。それは、異国で女性と知り合った時にも、幾分かは味わうことのできる切なさだ。楽しくて、素敵なのだけど、人はその時人生のはかなさを知る。

斎藤憐『昭和のバンスキングたち――ジャズ・港・放蕩』から。
大川さんとは、1938年から1941年まで上海のクラブ「ブルーバード」でバンマスをつとめたサックス・クラリネット奏者の大川幸一。斎藤憐『上海バンスキング』の登場人物・波多野四郎のモデル。

2023年は寺山修司没後40年とのことで、各方面でイベントあり
terayamaworld.com/foyer/

2023年、早稲田大学演劇博物館で特別展「演劇の確信犯 佐藤信」
enpaku.w.waseda.jp/ex/17861/

どちらも最近になって知った。
今になって上海を云々してるのは、歴史上の事実からは世紀遅れ。
上海を題材にした寺山修司、佐藤信、斎藤憐・串田和美らの戯曲・演劇活動からは半世紀遅れ。
彼らの活動を振り返るイベントからは1年遅れ。
まとめて言えば、いつも時代遅れ。
だが、近づいているとも言える。何に? 時代に?

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