本来の忠義は契約事項であること。契約書などなくても、口約束さえなくても、契約事項。
家人は家に尽くす。家人が尽くす限りにおいて主家は適切な見返りを与えなければならない。家人が死んでも──病気で死のうと戦場で死のうと──契約は破棄されない。主家は家人の家族を保護し、家人の家を存続させてやる。これによって又者(家人の家人)も救われる。そういう信頼や安心感があるから、時には命をかけても家人は主家に尽くす。
赤穂事件は、忠義が契約による実効性を失くして、たんなる理念と化す移行期の出来事。以後、忠義は無償の行為となり、無償ゆえの純粋性、狂信性は近代にまで持ち越される。

《「大義」が殊更物々しく持出される時人が多勢死ぬ。
快挙とも義挙ともはた壮挙とも云われる義士の討入はまぎれもない惨事だと思う。》

『吉良供養』の冒頭に杉浦日向子がかかげた宣言がこれ。
大義が惨事を引き起こす。
その惨事はすでに起きてしまった。
もう取り返しはできないが、供養ならわたしはできる。そう考えて描かれたのが『吉良供養』だろう。

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『吉良供養』は吉良家の人々を供養した。
どう供養したか。
事実に迫ることが供養だと杉浦は考えたはず。赤穂事件を材料にした創作物のうちでも、『吉良供養』は最も事実に即したもののひとつ。
吉良側には勇敢に戦った者も、卑怯な進退をした者もいる。おおかたはほとんど出会い頭みたいに殺された。そうした振る舞いの別や結果の違いにかかわりなく、吉良家の人々は──じつは赤穂方もなのだが──忠臣蔵という大きな物語を構成する部品として使われている。事実を明らかにすることは、部品としての使用目的から人々を解放する。そのような意味で、『吉良供養』は人々を忠義の物語から切り離した。この切り離したことが供養である。
斎藤宮内も小林平八郎も忠義の盛り上げ役として生きたわけではない。
屋敷にとどまれば殺されると思ったから宮内は逃げ出し、安全を見きわめて屋敷にもどった。それだけのことであって、忠義は関係ない。
小林平八郎は言い抜けにしくじって殺された。彼の場合も、やはり忠義は関係ない。

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杉浦日向子の『吉良供養』は、時と所を赤穂浪士討ち入りの夜の吉良邸に限定し、おもに吉良側の人々の動きと生死をドキュメンタリー風に綴った上下16ページずつの漫画作品。サブタイトルは「検証・当夜之吉良邸」。下巻の表題ページに「東都神田青林堂上梓」「壱千九百八拾壱年拾壱月」とあり、初出は雑誌『ガロ』か。現在、ちくま文庫『ゑひもせす』所収。
その「検証」によると、公の調書では吉良側の死者16名、負傷者23名、ただし重症で落命する者が多く、検視後には死亡23名、負傷16名と逆転した。いずれにしろ家中の約半数が死傷する一方で、浪士側は46名が討ち入って全員生還。浪士の原惣右衛門は「敵対して勝負仕り候者は三、四人許り、残りの者どもは立合に及ばず、通り合せに討捨て」との証言を残し、杉浦は「完全なワンサイドゲーム」とした。

タイトルの謎。なぜ「供養」なのか。
ワンサイドゲームに終わった殺し合いの結果を再現することが、敗者側の供養になるのか。
ぶざまな所業を蒸し返された斎藤宮内は、これで供養されたことになるのか。
「忠臣蔵」という国民的物語の中で名誉あるポジションを与えられていた小林平八郎は、こんな死に方を暴露されて供養されたといえるのか。

杉浦日向子は『吉良供養』によって赤穂浪人の吉良邸襲撃事件の実相をあきらかにした。
これが科学(歴史学)の方法ではなく、虚構(漫画)を手段として行われたこと。

虚構によるのでなければ、こんな絵は描けない。
fedibird.com/@mataji/112288263

あまりにも不条理に殺されたうえ同情もされなかった上野介と吉良家の人々に対する見方を変えるのは、歴史の事実を説くだけではダメで、杉浦日向子氏の「吉良供養」のような堂々たる文学作品が必要なんです。――芦辺拓
twitter.com/ashibetaku/status/

[参照]

小林平八郎を剣客とする説は長いあいだ事実として流布していたらしく、江戸学の創始者とされる三田村鳶魚でさえ、ある言い伝えに「コロリとだまされて」(鳶魚)、俗説を補強する論を出世作の『元禄快挙別録』に記したが、のちに「当夜の小林平八郎」という小論を著して、「嘘も嘘、実にとんでもない間違い」と俗説の平八郎像を否定し去った。

俗説の核は、平八郎を上野介の正室・富子の付け人とするもの。
富子は上杉家から来嫁した。赤穂事件の時期の吉良家と上杉家は、二重三重の婚姻・養子関係にあり(これは事実)、その関係から上杉家は赤穂浪人への備えを支援し(これは虚構)、平八郎はその要となる人物であった(これも虚構)。鳶魚によれば、吉良家も上杉家も赤穂浪人の襲撃を予想していない。したがって、防御の要という平八郎の役割もない。そもそも平八郎は上杉家から来たのではない。もとからの吉良家の臣。重役ではあるが、剣豪などではない。

杉浦日向子の『吉良供養』は多くを鳶魚に負ったと見られる。

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あまりに馬鹿げた応対ゆえに、かえって命を助かった斎藤宮内は、このあと別の家老(100石、69歳)とともに普請中の壁を破って吉良邸から逃げ出し、浪士が引き上げてから同じ壁の穴をとおって帰邸した。この所業で二人は人非人とののしられ、彼らが破った壁の穴には「犬猫、家老ノ外、入ル可カラズ」と落書きされた。

斎藤宮内とは運の違いすぎた小林平八郎。
小説、映画、演劇などの創作物では、小林は吉良方の重要人物。赤穂浪士の襲来にそなえて吉良邸の守りを固める要の役であったり、討ち入りの当夜は厳しく戦って倒れた剣客でもあった──というようなイメージがある。
ところが『吉良供養』によると、吉良側は赤穂浪士の襲来を予想していない。
ならば、守備の要という小林平八郎の役割は消える。言い逃れが通じず首をはねられた次第からは、剣客でもなかったことになる。

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杉浦日向子『吉良供養』から、斎藤宮内が命を助かり、小林平八郎が首をはねられたくだり。

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討入の夜の吉良邸で。
赤穂浪士が家老の斎藤宮内(150石、64歳)をつかまえる。
「わたしは下々の者です。どうかごじひを」
「下々が絹を着るか。お前は相応な者だろう。隠さず云え」
「は…皆様も御苦労に存じます。ど、どうか私の小屋へお立寄り下さいましてお煙草でも召しあがれ…」
応答にあきれた浪士たちは、宮内を突きとばして去る。

吉良邸の別の場所で。
おなじく家老の小林平八郎(150石、55歳)を浪士がつかまえる。
「主人の寝間へ案内しろ」
「下々にて存じませぬ」
怒った浪士は、平八郎の首をはねて去る。

杉浦日向子『吉良供養』が伝える斎藤宮内と小林平八郎の運命の対比。
戯画的だが、事実らしい。

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ベンヤミンは「救済」と言った。
対して、杉浦日向子は「供養」。

ベンヤミンの言う「救済」が、過去の救済を掲げながらも、現在を救済する契機として過去を見ているのに対し、杉浦の「供養」は一方的に過去を慰撫するだけで、見返りを期待していない。
ありえたかもしれない可能態としての過去をテコに現在の改変を志向するのがベンヤミンの「救済」だが、杉浦が『吉良供養』他の作品で行った「供養」は、虚構を手段とした事実への接近にとどまる。功利性あるいは現世利益的には「救済」が「供養」にまさるだろうが――

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永劫回帰と呼べるようなことが現実に起こるとすれば、それはブランキが立脚した物理法則によってではなく、後世の人為によってでしかない。何者かが過去に思いを馳せて敗者の悲哀や無念を共にし、彼らの復権を試みようとするなら、それが回帰となる。復権がかなうまで幾たびでも我々を呼び返してもらいたい。それが永劫回帰という願い。

敗者の復権を試みる行為をベンヤミンは「救済」と呼び(『歴史の概念について』)、杉浦日向子は「供養」と呼んだ(『吉良供養』)。

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