「耳の穴かっぽじって聞け!」濱田祐太郎さん出演回
明石家さんまが「前に芸人のAさんとBさんが~」(両者とも自分も知ってる人)って話してて、せいぜい10年前ぐらいをイメージして聞いて笑ってたけど、よく聞いたら50年ぐらい前の話だった
向こうとこちらで脳裏に描いてた情景が全然違った
にも関わらず笑えた
これはモニター越しの一方的な話だけど、この年代の人と会話してお互いが同じところで笑ったりするのって割と驚異的な体験なのかもなあ
もっと言えば、そんなに年齢が離れてなくても見聞きしてきたものや物事の認識の仕方は人それぞれに違うわけで
会話というのは常時無数の誤解やすれ違いにまみれてて、それをお互いに補正し合って何となく笑ったり「共感できた」と錯覚したりしてるだけなのかもしれないな
#ulmm
知識マウントって、かなりいびつな形とはいえ知識の共有の一形態ではあるんだよな
『リング』のリングウィルスが死への恐怖や利他的精神などを利用して感染していくみたいに、「知識」も人間という媒体の攻撃性とか名誉欲とかを利用して伝播していってるんだな
という想像を15分ぐらいして楽しかった
※『リング』関連作品は最初の方の映画数作しかふれてないので、リングウィルスへの理解もその域を出ません
#ulmm
文章を読んでて分量が残り5%ぐらいになって「もう少しで読み終わるな」と意識した瞬間から集中力が0になる
フィクション/ノンフィクション関係なくそうなる
あと少しだから読み切ってしまいたいと思って無理やり読み進めるけど、内容は一切頭に入ってこない
最後の最後に作者渾身の伏線回収などされても「あ、何かしてるな、でもごめんもう行くね」などと思いながら素通りしたりする
で「最後の1字まで目視したのだから自分はこれを読了したのだ」と自分に言い聞かせつつ本なりタブなりを閉じる
数百ページの本でもせいぜい3000字ぐらいのWeb記事でも同様に最終盤においてそうなるので、集中力の持続時間とはあまり関係がない気がする
そんななので「泣きながら一気に読みました」的な文言に対してはまず劣等感を覚える
みんな中盤~終盤のテンションのまま走り抜けてるのか、そんな経験自分にはない…と
もしみんな自分のように大失速して読み終えてるのなら、「一気に読んだ」とか勢いで言わずにちゃんと申告してほしい、こっちが不安になる
#ulmm
そもそも
マスという概念が崩壊とまではいかなくとも相当に分割され各界隈に固有の価値観が育つような現在において、アウトサイダーであること自体への拒絶感は昔ほど強くない気がする
「自分にとってのアウトサイダーは誰かにとってのインサイダー」というなかば無意識の認識が、少なくとも趣味分野などにおいてはそれなりに共有されてるのではないかと
内/外という区分けの仕方そのものが時代にそぐわないのかもと思わなくもないけど、社会一般のあれこれを見てるとちょっとそうは思えない
趣味分野にしたっていざ争いなどが起こると「内側か外側か」「多数派か少数派か」などを基準にした、要するにムラ的な振る舞いをする人はたくさんいるし
結局社会というのはどれほど細かく分割しようが(構成員の配合が大幅に変わりでもしない限りは)フラクタル的に相似形を描くものであり、そこから逃れようと思ったら「個」以外のあり方を徹底的に拒絶するしかないのかも
#ulmm
某ドラマ
見たのは最初の2回だけで以降は一応録画だけはしてたけどもう見なくていいか
「ここまでクソだけど脚本あの人だからそのクソさを回収する仕掛けが終盤に用意されてるかもしれない」みたいなこと思ってたけど、それって自分の判断がある種の権威性に染まってるってことで気持ち悪いなあと
これが無名脚本家のドラマだったら初回で離脱してたと思うし
実益/実害のからむ事柄ならともかく、娯楽に関してそういうのは(なるべく)したくない
底が浅くて移り気な消費者でいたいのだ自分は
#ulmm
偽情報があふれすぎて個人の判定機構がパンクした結果「有名な新聞も報じてるから90%ぐらいの確率で事実だろう」みたいなザ・昭和の判定方式に先祖返りした自分がいるぜ
イーロンありがとう!(氏だけが原因じゃないけど)
#ulmm
活動が長くなっても「深化」などと評されるような方向に進んでいかないアーティストにむしろ惹かれる
人間が加齢やライフステージの変化とともになんとなく含蓄ありげなことを口走り始めるのって当たり前のことで、見ようによっては凡庸ですらある
いい歳になっても表層的/軽薄/インスタントな存在に甘んじる方が、覚悟や狂気を必要とする気がする
#ulmm
ここではよほどおかしなことを書かない限り直接お叱りを頂くことはないと思うので逆に危ないし怖い
その分自分で気を付けると言っても、自分の目と他人の目は別物なので
自分が100回読み返しても気づかなかった瑕疵に、1回読んだだけの他人が気づくことは普通にある
これ知識量だけの問題では必ずしもなくて、自分のバイアスに支配された文章が自分とは異なるバイアスに晒されることで、その差分から不適切な記述が検出されるのだと思う
だとしたら、たとえ研究者が自分の専門分野について書いた文章でも、読んだ小学生が瑕疵を的確に指摘できる可能性は原理的にはある
なので世界最高の賢人1名による校閲が、バカ100名によるそれに優るとは限らないのだよなあ多分
その辺AIによる(校正はまだしも)校閲ってどうなっていくのかなーと思う
適切なデータセットによる十分な学習を経たAIが獲得する視点って、「世界最高の賢人1名」的なものなのか、それとも「あっちやこっちに偏った数十億名」の視点から、場合に応じて的確な「偏り」を取り上げて「こういう視点・考え方もありますよ」と提示してくれるものなのか
#ulmm
ネタバレ
最近作業しながらこれの録画を延々と垂れ流してる
面白い面白くないの彼我を超えて自分はやはり連続ドラマなら古いのが好きなんだなあと実感した
とにかく心地よい
なんというか、視聴覚への刺激が一定
耳に刺さる声を張り上げることもなければ、中途半端なくすぐり笑いをやたらと差し挟んでも来ない
(単純に古いからだと思うけど)色調も落ち着いてる
結末なんてなくてもいいから永遠に続いてほしいと思わせるような、アンビエント的な受容の仕方を許してくれるところが好きだ
まあ作品そのものというよりは、現在との50年の間隙そのものを愛でているところは多分にある
当時の人が今の自分と同じように見てたわけでは多分ないだろう
ただ同じ70年代のドラマでも、たとえば「ムー一族」などから感じる趣は本作のような「枯れ」とはまた別のものだし、本作の空気の少なくとも一部は、制作者の器量と演者の技巧の賜物なんだろう
「あとで読む」的な場所に放り込んだ記事を一向に消化せず数がどんどん増えていくことにほのかな重圧を感じているけど、別にそれらを読んでいない自分は今現在普通に暮らせているわけで
「あとで読む」はあとで読みたいものを溜めておく場所ではなく、読まれることのなかった記事が「あとで読みたかった気持ち」とともにゆるやかに成仏するための供養堂ぐらいの認識でいると気が楽かもしれない
#ulmm
冷水で手を洗ったら冷たすぎて硬い物を素手で殴ったときのジャッキーチェンみたいな顔になった
#ulmm
「不公平だ」
と怒るのって、その状況とか構造が不公平なものであること自体に怒ってるのではなく、結果として自分が不当に損をする(可能性がある)から怒ってる場合が割とあるな、よく考えたら(もちろん、その損が不当なものであるならその人には怒る権利がある)
そういう理由で怒るとき、「不公平だ」という怒り方は嘘ではないけど言葉は足りない気はする
「自分(を含む集団)だけが損をするこの状況にどんな正当性があるのか」を省略して「不公平だ」と言ってしまうと、その状況・構造の不公平さ自体への怒り(いわゆる義憤の類も含む)と紛らわしくなるし、「自分が不当な扱いを受けている」という当事者性がちょっと希釈されてしまう気もするので、もうちょっと言葉を増した方がいいかもと思ったり
でも利己-利他とか公-私ってそんなにはっきり分かれてるものでもないから、無理に弁別すると他方の要素が置き去りになってしまって逆によくないか
とりあえず、言葉をもうちょっと足して悪いことはないかもしれない
#ulmm
※前にメモしてたのを思い出して書き直したもので、直近の何かへの反応ではないので念のため
ギャルというモチーフの扱われ方に文化の盗用めいたものを感じることが割とある
#ulmm
「○○が××した納得の理由」っていう記事タイトル、よく考えると不思議だ
タイトルにあえて「理由」の語を入れるような記事で、文中で説明される「理由」が納得できない(理屈として受け入れがたい)ものであったことはあまりない
「○○が××した納得のできない理由」という記事タイトルも見たことがない
「納得の」の3字を加える分だけ冗長になるし、いいことはない気がする
でもこの言葉がタイトルにあった方がより多く読まれることが、統計あるいは経験則から明らかといえるからこそこう書かれるのだろうし
この言葉に反射的に飛びついてしまうほど、人間は納得することを欲してるんだろうか
#ulmm
今日の体験
thebelebeの『JEBSON pt.1』を聞きながら地下道や地下街を歩いてたけど、不思議な感覚になった
視界に入る大勢の人たちが、自分とは無関係で同一の距離感の全く均質な存在として認識されたというか
普段なら大勢で騒いでる人たちがいれば「嫌だな」と思うし、小さい子連れの夫婦がいれば「微笑ましいな」と思うけど、今日は何か「赤の他人という関係性」すらなく個別の識別も難しい、ただ自分に関わってくる心配がないことだけは分かっている大量の安全な人の形をしたもののように感じられた
そういう存在の間を安心しながら滑るようにずんずん歩いてきた
#ulmm
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